第321話 偽悪役令嬢、とりあえず行動する。

 近場に居る大人たちに万年香の枝を渡す。

 スサーナの顔に明確な心当たりがある人間はあまり多くはなく、視界が明瞭ではない夜会である。それなりに快適にスサーナは会場の中を渡り歩きだしていた。


 天井が高いだけに薄暗く、人が多い広間だ。小柄なスサーナは簡単に人波に紛れたし、貴族よりは市井に多い光沢が弱いブラウンの髪の者も今夜は多く、黒髪も――所詮は鬘で、たっぷりと香油とワックスを塗られているし――昼間ほどは目立たない。声を出して紹介されていないという利点をこれでもかと生かせた。

 ――まあ、それだけでもないんですけど。

 元々スサーナが冬至祝いのパーティーでなんとかサラと接触しようと……それが出来ると考えたのは今のショシャナ嬢がそこまで激烈な注目を受けづらい特性を有しているためだ。

 親に伴われているのならともかくお披露目前の娘というのはそういうものであるし、それでもと思う者たちであっても、この隠し子はなかなかにどんな扱いなのか測りづらく、第五王子との関係もわからない。パーティーの席でただ取り入るにはすこし面倒が勝つような立場なのだ。目を向けるものはいるだろうが、ずっと干渉し続けるよりは他の有力者に挨拶でもするほうがいくらか有用だ。

 更に言えば、自分はどうもしっかりと注視していなければ集団に紛れやすい。

 ――それでも、ここまでスムーズに行く予定ではなかった。

 王子は連れてきた娘たちを紹介をすることをせず、万年香マンネンロウの籠をもたせた。つまりそれはお忍びと同義で、かつ冬至の妖精というのは誰でもない誰かというか、そう言う概念が求められるものでもあるらしい。普通に参加している令嬢達が持った枝束とかついでのような小籠よりもしっかりとした手持ち籠はその象徴で、役柄に扮している限り、娘たち自身から求めなければ、しつこく話しかけるだとか、後日の予定を求めるだとか独占しようとするだとか、そういう行為は無粋になる。


 手厚いのか、それとも別の理由だろうか。スサーナがちらりと目線を向けた先で、せっかく愛らしい少女たちを伴ったというのに――半分は確かにお披露目前だが、半分はデビュー済みであるはずだ――第二王子殿下は関心を向けて欲しげな令嬢達、特にべったり張り付いたグラシア嬢などをろくに構いもせずに男たちと談笑している。

 見れば時折ふと歩み寄っては手近に居る令嬢の誰かから小枝を渡させる、もしくは手近な籠に手を突っ込んで枝を取り出し、戯れるようにそれで会場を歩く誰ぞを叩くだとか、ともかく接触のきっかけにすることはしているようで、となると出発前の言葉通りに享楽を求める為の訪問ではなく、ある程度政治的意味合いがある訪れなのかもしれない。

 であっても面倒な大人たちに娘たちが絡まれないようにしたのは優しさとかそういうことではなく、不測の事態を避けたと言うだけなのだろうが。

 スサーナは最初の印象が最悪だったせいか、第二王子への評価点はどうにも辛辣になりがちかもしれない。


 ある程度人波に流される風を装って手近な相手に枝を渡しながらスサーナは会場の中に視線を泳がせた。

 ホールは広く、料理を載せた丸テーブルや常緑樹の花束を飾る花台、賑やかしの大道芸人やら演奏家やらが位置する丸台などが点在する間を客たちは自由に歩き回ったり立ち止まったりして談笑しているようだった。

 俯瞰することが不可能な高低差のない会場はスサーナを視線から守りはしたし、人の声を混ぜ合わせて少し離れればただのざわめきに変えてしまう構造の高い天井は離れた他人からの盗み聞きを防ぐのに良さそうだったが、それは他の人間も同じことで、目当ての誰かを見つけるというのはなかなか難しい。


 ――到着のアナウンスが聞こえていたら第二王子へ挨拶に来るかと思って見ていましたけど、来ない、ってことはまだ来ていないんでしょうか……

 アブラーン卿のここのところの行動パターンを事前にミッシィに調べさせたところ、お開き前に早めに引き上げる、ということはなかったようだ、というのを励みにしてスサーナは会場の端から端まで根気よく一周りしてみることに決める。

 流石にある程度近くまで近づけば見つけられるはずだ。


 最新の噂話に精を出すご婦人たち。

 罪のない程度の政治談義をする官僚らしい男性たち。

 辺境伯だという男性が国境域の珍しい風物の話をする。

 ボールを投げ上げる大道芸人に、おどけた仕草をしてみせる道化。小猿を連れた猿回し。

 異国から持ち込まれたという鮮やかな羽の鳥の周りにはスサーナとそう変わらなさそうに見える少年少女が目を丸くして集まっている。

 商売人らしい雰囲気の者たちのうちにはここぞと上客を捕まえようと気負っているものもいるようだ。

 らしい雰囲気の華やかで危うい雰囲気の女性たち。


 スサーナは微笑んで小枝を人々に渡しながら時折丁重な挨拶を受け、機嫌をうかがうように話しかけてくる者をすっと交わす。

 その手のあしらいにはそれなりの心得があるので別に慌てもしない。

 蛮勇を発揮したらしい商人を適当にあしらって黙殺し、周りをさり気なく見渡しながら歩を進めた。


 人波に紛れてそうしてしばし。

 ふとスサーナが目を留めたのは目的とは違う人影だ。


 ――あれ――ビセンタ婦人?

 目をしばたたいたスサーナが注目し直したのはそういえばここの所神経を尖らせていた相手だった。

 ――昨日今日見かけなくて……明日の乙女探しの邪魔をしないといいな、と思っていましたけど、こちらのお宅でパーティーに出ていたんだ。

 冬至祝いのパーティーでの社交にせいをだしているとすれば、ザハルーラ妃へ嫌がらせをするのはしばらく控えるつもりだとかそう思ってもいいのだろうか。流石に沢山の貴族が関わる催事だと悟り、危険を察したのかもしれない。そう考えたスサーナは足を止めて彼女を目で追い直し、ふと首を傾げる。

 人の集まる料理の並ぶ丸テーブルの後ろ、壁を背にした場所で話し込むビセンタ婦人の相手がいまいち彼女のイメージに合わない相手だったからだ。

 ――道化? どなたか貴族の方の扮装……とか、そういうことなんでしょうか?

 場の余興のために仮装をする、というような話は前世の知識だが想像はつく。こちらでも仮装舞踏会はあるようなので、そのような延長で戯れているものがいるのだろうか。そう思いながらスサーナはなんとなく相手の道化の姿かたちを意識に留めた。


 彼らの会話も気にはなったがそれよりも今はサラを確保することが優先だ。スサーナはもうしばし広間をうろつき、数人の貴族と談笑しているアブラーン卿と、その横で所在なげに立ち尽くすサラの姿をようやく発見した。


 ――よかった……いた!


 スサーナは振るい立ち、さてどうするか、と思案した。

 もうしばし枝を配りつつ確認したところ、アブラーン卿のサラへの扱いはぞんざいだ。常に意識を向けている、という様子はなく、悄然としたサラが側を離れていないというだけ。アブラーン卿がわが側に引き付けているということでもなく、少し離れた壁際で疲弊した息を吐いているタイミングもあった。

 サラを紹介する相手と、そうではなく別の話をしたいらしい相手がいるらしく、どうやら挨拶をしたいという相手を見つけた際にろくにサラの方に注意を向けずにぐいぐいと歩いていくのも確認したのでそう言うタイミングではぐれたように装ってかっさらうことは可能かもしれない。

 ――見た感じ、もういる方相手には大体紹介は終わっているんでしょうか。

 王子が到着した時間はやや遅めで、彼のような驚くべき飛び入りに是非紹介を、というのでなければサラが必要とされるタイミングはだいたい終わっているようにも思える。


 多分、いける。ごく単純に適当な部屋に引き込むようなやり方で成立する。

 ――もしかしたら離れたら後でひどい目に遭うのかもしれないですけど……


 自分勝手にサラを暴力に晒すかもしれないことを申し訳なく思いながら、数日中にお茶会に出る以上動けなくなるような怪我はさせられまい、と冷徹に計算をする。

 スサーナは我儘で暴虐で、自分のためなら他者に負荷を飲ませることを躊躇わない人間なのだ。

 ――そう、サラさんにもひどい目に遭ってほしくないと思うし、より良くとは思う、でもレオくんとサラさんを天秤に乗せればレオくんをより多くと判断する……。多分最良に振る舞ったらサラさんも安全にできるんでしょうけど……この確認にそのリスクと手間を負うことは選択しない……

 首の後で巻いた髪を意識する。それゆえ、最初は冗談半分でイメージした悪役令嬢というを今日選んだ。「そういうもの」をイメージして合わせて自己を規定するやり方は、今であっても自分自身を鎧う助けになるはずだった。


 ――どこかに連れ出すにしても……まず。

 邪魔の入らない場所を確保しなくては。

 スサーナは周囲を見回すと、宴席にはべる侍従の姿を探す。

 彼らは揃いの空色のお仕着せを着けており、判別は容易い。

 スサーナは近場に居る侍従を見比べ、一番やる気がなさそうな者を選び出そうとした。

 ――確かミッシィさんは、あまり清廉で職業意識に満ちたタイプではない人も雇われているみたいだって言っていた。

 そんな人間なら、愛らしい少女を適当な部屋に無理に連れ込もうという悪役令嬢にうかうかと空き部屋を貸したりするのではなかろうか。


 ――とはいえ、悪役令嬢という単語から連想した作戦ですけど……創作の悪役令嬢さんたちはどうやってそこまで漕ぎ着けていたんでしょうね……。

 そう言うパーティーで主人公をどこか部屋に閉じ込めたり詰ったりする高慢な少女、――特に主人公に返り咲いたりしないタイプの原義に近いやつ――は大抵うまく部屋を抑えていたものだが、特に悪役令嬢ゆかりのパーティーなどではなかったりしたものだ。多分スサーナが今計画したように侍従あたりを抱き込んだのだろうが、一体どんな社会性と度胸なのだろう。

 想像するのと実行するのでは大違いだ。そう思いつつスサーナはひとつ深呼吸をし、つまらなさそうに虚空を眺める男を標的に定めて歩み寄った。


「もし。頼みがあるのですけれど。」


 急に声を掛けられて驚いた様子の侍従にスサーナは微笑みかける。


「わけがあって空き部屋を貸していただきたいのです。悪いようにはしませんから、ほんの少しの間こちらのご主人にはお話せずにどこか部屋を融通していただくことは出来ませんか? ……もちろん、謝礼はお支払いします。」


 言い切って、その表情を見上げて感情を推し量る。


 たじろいだ雰囲気を見せた相手にスサーナは内心これは望み薄か、とそっと落胆した。裁量がない人間か、それとも責任問題になることを恐れたか。


「その、私の独断ではー……」

「その言い方では駄目だよ、お姫様」


 びくっと身を強張らせたスサーナの上から掛かったのは今はちょっと聞きたくない声だ。

 するりと肩の後ろから腕を回され、頭の上で人懐っこく微笑んだ人物が言葉を引き取るのが聞こえる。


「済まないね、驚いたろう? 大したことじゃないんだ。……わたしの可愛い連れが人に酔ってしまってね。ほら、可哀想に。血の気が引いてしまっているだろ? それで、ゆっくり休める部屋を教えてほしいんだ。大げさにすることじゃないからね、人には言わなくていい。」


 頷いた相手にかれは朗らかに続ける。


「ああ、ありがとう。これは感謝の印だよ。今夜の飲み代の足しにでもしておくれ。現金なんて無作法なやり方で済まないね。恥ずかしいから言いふらさないでおくれよ?」


 ぱっと手の中を見た侍従がきらきらと金色に光る硬貨を急いだ様子でポケットに突っ込み、きょろきょろと周りを見渡したあとでこちらですと立っていた壁際を離れたその後に続いて、そっとスサーナの背を押して促しながら。


「こういう場所ではね、こうするんだ。覚えておくと多分得をするのかな? ……さて、何をするつもりなのか恩に着て教えてくれてもいいとわたしは思うんだよ、ショシャナ嬢?」


 そう言って、満足げな猫みたいな顔でウィルフレド王子は笑ったのだった。

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