第322話 偽悪役令嬢、悪役じみた王子様と接触する。

 さてどうしたものかなあ。

 スサーナは半眼で王子を見上げる。先に立った侍従は手近な開いた扉からやや薄暗い廊下の方に歩いていってはいるが、現状居るのは壁際とは言え広間のうちだ。この背を押す手をすいと逃れればそれでこの場は済んでしまうだろう。

 だが。


「どうしたのかな、彼が行ってしまうよ? ……邪魔の入らない部屋を知りたかったのだろう?」


 半眼で自分の方を見上げた後に賑わう広間の中央を眺めて思案したスサーナを見てウィルフレド王子がくすくすと笑う。

 ――この人は何を考えているんだろう。

 スサーナは再度見上げた顔から感情を読み取ろうと試みた。


 スサーナにとってこの王子の評価は非常に芳しくない。だから二人きりでひと目のない所に行くなどとご遠慮したいところだし、それに。


 彼は現王権の継承位が二番目の王子だ。

 なにやら企んでいるらしい過激な教団が第一王子を廃そうとしている、というなら、普通まず関与を疑うべきはこのあたりだろう。スサーナも伊達や酔狂で謎の教団と他国の貴族と権勢に貪欲で立場の微妙な貴族が結託して謀反を起こそうとしている、だなんて思いはしない。

 ――普通に考えたらこの人か、いまいち影の薄い第三王子が怪しい、と思うんですけど。


 スサーナの立場では裏事情は話してもらえないので大人たちがどういう予想図を立てているのかはわからないが、王家の血筋に関わりがないことであるというのは少し考えづらい。

 ――まあ、藤原氏的な人たちが黒幕ってこともありますし、万が一さくらんぼが実ったりパリ・コミューンするかもしれないですし、そうとも一概に言いづらいですけど、ねえ。


 黒幕側の人間だとしたら、うっかりこの局面でミランド公の娘が人目につかない場所に着いて行ったりしたならどんな目に遭わされても文句が言えない状況だろう。


 ――とはいえ、まあ。

 ドレスの下の隠しポケットには携帯用の裁縫箱が入っているし、魔術師が出てこなければ付け袖の下に着けた腕輪も有用だろう。魔法や魔術の介在の少ない催眠術やら暗示やらの類は鳥の民こそが長けた分野で、簡単な対処法も一応は学ばされた。

 ある程度リカバリは効くという前提で、スサーナは不確かな直感に判断を任せることにする。


「――ええ、そうですね、二度手間を掛けるのは労力を掛けすぎですし。第二王子殿下、ご協力を感謝致します。」


 背を押す手に従って廊下に歩き出す。実に楽しげにこちらの反応を伺っていたらしい第二王子が小さく目を瞠り、それからこれは面白いと言わんばかりに微笑んだのがなんとなく癪だ。



 侍従に案内されて着いた先はあまり天井の高くない客室のような一室だった。

 屋敷の広さやホールの豪華さに比べると少し飾り気がないように思えたので、来客の連れてきた侍従や侍女を休ませるための部屋なのかもしれない。

 スサーナは案内の侍従を見送るとぐるっと部屋の中を見渡し、ふむ、と思案する。

 ――部屋はそう広くなくて、調度も少ないですし、会場からもちょっと離れていて盗み聞きは大変そうでいいですね。

 部屋の等級が下がるからと言ってわざわざ建築様式や壁材を変えても居ないので、壁はちゃんと厚く、隙間風も感じないので手も抜かれていない。音漏れするということもなさそうだ。

 なんとお誂え向きなのだろう、とうなずいたスサーナは奥に用意された寝台をすいっと黙殺した。

 そう受け取られるだろうとはわかっていたのだが、この世界の人間たちは対象年齢の下限がちと下過ぎやしなかろうか。そっとそんな述懐が浮かんでいる。


「ええ、いい部屋ですね。ありがとうございます第二王子殿下。では場所の確認も終わりましたし、広間に戻りましょう」

「忙しないな、ショシャナ嬢。少しここでゆっくりわたしと話そうとは思わないの?」


 かつかつと歩いていったウィルフレド王子が寝台にぼすんと座ったのを見てスサーナは心底嫌な顔をした。しっかりそれを視認しているくせにちっとも気を悪くした様子もなく、面白そうに唇の端に笑いを載せるのもなんとなくやめてほしい。


「いえ、色々と自分なりの予定というものもありますもので。そのお話は帰り道では済みませんか?」

「そうだね、やはりそれでは少し慌ただしいかな。それに、ほら、ご婦人との内緒話というのはみんな耳を澄ますものだからね。……ああ、そう警戒してくれなくてもいいよ。わたしだってミランド公の娘に手を出そうとは思わないもの。の続きをしようとは誘わないよ。」


 さあほらおいで、とわざとらしく手を広げて見せた王子は嫌な虫でも見たようにいーっという幼げな表情を浮かべた娘の表情が嘆息めいた一呼吸で凪いだのを見る。


「あら、お気づきになられていらっしゃったのですね」

「うん。わたしは人の顔を覚えるのが仕事だからね。君は結構好みだったし、そう簡単に忘れないさ。まさかミランド公の娘だとは思わなかったけれど。彼にしては随分危ない橋を渡らせたものだ。」

「あの時のことでしたら、本当に父は関わりのないことだったんですよ。第二王子殿下が……レ、第五王子殿下の御学友に良くない手出しをするおつもりだと……不用心な場所でお話になっていたではありませんか。」

「おや、恥ずかしいな。人の気配には敏いつもりだったんだけど。……ああ、イーシャをその子かと思ったんだね、なるほどね。」


 その後のことも含めてのつもりだったけど、まあ積もる話は後にしよう、と第二王子は笑う。


「たくさん話したいことはあるけど、楽しい時間は短いものだから、早く戻りたいなら差し迫った話を先にしようか?」

「そうですね。……申し訳ないですが、本当にタイミングを見ないといけないかもしれませんので、できれば手短に。」


 言って、距離を開けるでもなく横に座った彼女に第二王子はにっこりと笑みを深めた。


「そう手間は取らせないよ。安心おし。ちょっと聞いてみたいことがあるだけなんだ。」


 簡単なことだよ、と彼は言う。


「一体どうしてこんな部屋を使いたいと思ったの?」

「それが聞きたいことなんです? それは、少しお話を聞きたい方が居て。……邪魔は入らないほうがいいでしょう? 第二王子殿下だって今そう言われたように。」

「そうだね。ここまでして聞きたい話がなにかも気になるな。君が気にしていたのはアブラーン卿の養女のようだけど。あの子に聞きたい話、っていうのはなんだい? セイスデドスに関わる話? それとも、そうだな、例えば、謀反についてとか?」


 まるで睦言のように頬を撫でながら耳元に囁いたウィルフレド王子をスサーナは見上げる。なんとなくいかがわしい雰囲気を出されてはいるものの、その位置取りは急に誰かが入ってきた場合に怪しまれず、会話も外には漏れない、という計算がありありと見えたので特に避けもしない。


「それを聞いて第二王子殿下はどうされるおつもりなのでしょう」

「うん、ただ興味があって、と言ったら信じる? わたしもほら、成年前の最後の年だからね。無謀な若者らしい行いをしても咎められない最後のシーズンを活用して、好奇心を満足させておこうかなと思ってね。」

「好奇心、なのですね」

「そう。別に誰かやどこかに与しようと思っているわけではないさ。今の所、私に得がなければね。うーん、その話を知りたがっているのはミランド公かい? 彼が君みたいな子を使うのは予想外だったけど……どちらの立場なのかな、彼は。まさかレオを王にしようとはしないだろうと思っていたけど……」


 視線を絡ませたままで微笑む王子にスサーナはもう一思案した。

 ――やっぱり、多分この人はあっち側ということは無い。のかな。


「前回に続き、今回も父は関わっていないのです。私の勝手で手を出しているだけにすぎないことなんですよ。父はもちろん堅実にお仕事をしていますから、ご安心を。」

「なるほど、まさかとは思ったけど、もしかして君が今こうしてるのは実地研修ってやつなのかな。」

「皆さんそういう理解に辿り着くのは何故なんでしょう……」


 向こうの物言いからすると相手はこちらをさてどちらだろう、と思っていた気配がするし、ある程度、それだと辻褄が合わないことも多いのであちら側ではないだろうと踏んでは居たため、スサーナはとりあえず互いの立ち位置の主張をしておこうと考えた。勘ぐりで行動を潰されては堪らない。


「殿下は謀反は起こらないほうが得をする立場、という理解でよろしいのでしょうか」

「そりゃね。王家の人間が狙われているんだしね。わたしが標的に入っていないとしたってそうしたら逆にわたしの立場だと痛くもない腹を探られてひどい目に遭うのは間違いないし。」

「それは良かったです。……ということで、ええと。……実のところ、私は何がどうなっているかをほとんど知らせて頂いていない立場でして。色々と偶然がありまして、知った令嬢がよからぬ方々に取り込まれているようだと知ったので確認を、というだけのことです。話してこちらがわに取り込めれば、父の方策次第ですが、多分損はないですし……、個人的な都合で立場と扱いを確認したくもあるもので。」


 スサーナは言い、小さく首を傾げて言葉を続けた。


「それで、第二王子殿下は一体どのような好奇心を? こちらにわたくし達を伴ったのもその好奇心にかかるような事柄なのですか? そちらもお目当てはアブラーン卿ですか?」


 話してもらえるかどうかはわからないが、これもまた聞いてみて損はないことだ。


「そうだね。……色々と確認するチャンスかなと思ってね。わたしも血族のことでいろいろと考えることもあるんだよ。」

「ああ、やはり王家の血筋に関わるご事情なんですね」

「おや、そこからなのか。」

「何も知らせてもらっていないと申し上げましたとおり、本当は私が関わるようなことではありませんし。一応は深窓の身なので。興味はあるので、話したご褒美に教えていただけたりするような期待はしてはいけませんか?」

「もしかしてこれは私が外務卿に叱られるやつなのかな? ……そうだな、長くなるかもしれないから、詳しくは後でね。急ぐのだろう?」





 簡単に双方の立ち位置表明を終えると第二王子は真面目くさった表情でふむ、と鼻を鳴らす。


「それで君はあの養女……乙女と言ったほうがいいのかな? 彼女をここに連れ込むつもりなのか。どうするつもりなの?連れ込むのは楽だろうけどね、事情を問われたらどうするつもりなのかな」

「そうですね。とりあえず、高慢で性格が悪い令嬢であるところの私が、下賤のものが第五王子殿下に取り入って栄達するのが気に食わずに「ご忠告」しようとした、というのは衆目の納得を得られますでしょうか。」

「ずいぶんと思い切っただねえ。いいの? だいぶ不愉快な見られ方じゃないのかな」

「皆様、そう言うお話はお好きでしょう?」


 これなら第五王子殿下とミランド公の隠し子が対立しているという見方でも執着している方面でもいけますし、と言ってふんすと胸を張ったスサーナにウィルフレド王子は声を立てて笑った。


「ああうん、わたしはやっぱり結構君みたいな子は好きだな。部屋をすぐ出なきゃいけないのが残念だよ、お姫様」

「ははは ははは 御冗談を!」


 ぐいとわざとらしく肩を抱かれた下をくぐりスサーナはぴゃっと寝台から飛び離れる。ここで言葉遊びをしている暇はあんまりないのだ。なにかおもしろい愛玩動物を引っ抱えてみたら暴れてつるんつるん逃げるので面白いな、というような顔をするのは後生なのでとてもやめて欲しい。スサーナはそう思った。

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