第83話 大虚鳥は滑稽劇を歌い 2
主目的はベルガミン卿をハメること。
ではあるのだが、さっさと目的を果たす、ということは出来ない。
物事にはなんにでもそれらしいタイミングというものがあるものだ。
今回のことに置いては、ある程度宴が爛熟し、言い方は悪いがダレだしてから行うべきである。参加者各位が程よく注意散漫になり、誰が何処にいるかに強い注意を払わなくなってからが本番だ。
現代的な言い方をするならば、合コン中に二人で消えるならビール勢が減って高アルコールに移行してから、席順がフリーダムになりだしてから、である。
……ちょっと違うかもしれない。ちなみに紗綾にはガチの合コンの経験はろくに存在しない。基本的に活発だった友人に聞いた話である。
スサーナは馬鹿なことを考えながら飲み物をワゴンに載せて配り歩いている。
招待客は基本的に男性だが、随伴客として女性もいないでもない。というわけでお酒の減っていない御婦人にそっと寄り、ノンアルコールをおすすめしたり、甘いものに取り替えたりする業務がなかなか好評である。
そうやって飲み物を配っていると、話しかけられることも結構ある。
最初ベルガミン卿を思い出し結構警戒したスサーナだったが、現状までいまだ鼻の下を伸ばしたタイプの喋りかけられ方はしていないので、やはりアレは特殊例、と認識を一層固めたところであった。
「お嬢さん、セルカ伯はいまどちらにおられるかご存知かな」
「あ、はい、先ほど中庭の方でどなたかとお話をしておられましたけれど、呼んでまいりましょうか?」
「いや、そうか。いやいや構わないよ、後で充分。この器の感想を述べたいと思っただけなんだ。これは普段遣いの品だね?」
「あっ……はい、ええと。」
「いや……この色がね……この発色と透明度は高温焼成でしか発生しないんだよ、グリスターンの窯でないとこの色は出なくてね……普段遣いのカップというのがまたいい……同時に焼いた窯のなかでも場所で色が違ってね、この色になったのはこの個体だけなんだろうねえ……釉薬の厚みといい……すうっとした青といい……いやあセルカ伯はやはり趣味がいい……」
完全に抹茶茶碗に張り付く骨董趣味のおじいちゃんみたいなことを言っている人品卑しからぬおじさんに話しかけられ、最初ビクッとしたものの、ああなるほど好事家のお友達だな、と思ったスサーナは結構楽しくお話を傾聴した。
「はあー……、ああおほん、いや急にすまないね、つまらんだろう話を。飲み物をいただけるかな」
「どうぞ。ああーいえ、興味深いお話でした。詳しくありませんけど綺麗なのはわかります。この手の焼き物だと緑の強いのも綺麗ですけど、私は湧いた水の青みが白い器の回りに凝ったような……底に釉薬が溜まって淵みたいになっているのが好きで」
「ああーっわかるかね、やはりグリスターン窯は清い水か雨上がりの晴れ間の空のようなところがなにより素晴らしいところだと私も思うんだよ。土を焼いて作ったものが水のように仕上がるのが不思議で素晴らしいじゃないか。それを日常手元において使うというのがまた風雅で」
盛り上がったおじさんに両手で握手などされつつスサーナはちょっと申し訳なくなる。半可通が口をだすのは良くない。そのうえそのグリスターン窯についてはよく知らないスサーナとしては、青磁に見えたのでなんとなく懐かしかっただけなのだ。
「ああーええっと、私なんかよりもあるじにお話して差し上げてくださいませ、きっと喜ばれます。」
急いで中庭にご案内さしあげたスサーナは、声を掛けたセルカ伯が振り向いて、
「ミランド公閣下! こんなところまでご来遊頂いて」
「はっはっは、来てしまったよ」
などというのを聞いてぴいっと震え上がった。
――なんかすごく偉そうな称号が聞こえましたよ!!とんだ失礼をしていませんか私!!!! 下級貴族しか呼んでいないって言ってませんでしたか!!!!
「公閣下とは知らずとんだ失礼を!」
いそいで限界まで深くお辞儀して謝ったスサーナに、身なりの良いおじさんはいやいやと手を振った。
「いやいや気にしなくて構わない、今の私はナヴァ伯の代理だからね!」
「またそういうことをなさって……」
セルカ伯が言葉みじかに説明してくれたのを聞くと、どうもこのとても地位がありそうな人は下級貴族の誰かの代理でやってきた、と――なにやら招待状を買い上げて代理ナヴァ伯としてやって来たのでその地位の人間として扱うように、と横から嬉々とした注釈が入った――いうことらしかった。
――招待状の買上げ!!そんなイヤな裏技が!!!!
つまり呼ばれているのが皆下級貴族だと思って安心していたのに、埋設地雷があるようなものではなかろうか。
スサーナは、セルカ伯がごくろうさま行っていいよと言うのに全力で甘え、急いでその場を辞した。
「おやめくださいよこういうことは、私もなんの懸念もない身分というわけでは」
「他ではやらんよ。……そんなことよりなあブラウリオ、あの器! 素晴らしいものだね名工の手ではないようだがそれゆえの自然の手のなせる造形の妙が」
後ろから全力でセルカ伯相手に焼き物の話をしだしたミランド公の声がしていたので、機嫌は損ねていないようでまだ幸運だった、と思った。
えらいひと、こわい。
はあやれやれくわばらくわばら、と思いながらスサーナが飲み物配りに復帰してしばし、
「ああ、いらっしゃった。すみません、酒精のない飲み物があると聞いたのですが、いただけますか」
と、高い声がした。
ととっと駆け寄ってきたのは成年までしばらくありそうな……同年代か、一つぐらい下に見える少年で、酒の器を持て余したように持っている。
身につけている衣装は派手すぎず地味すぎずというところで、趣味はいいがどのぐらいの身分かはぱっとはわからない。
柔らかそうなキャラメルブロンドの髪を長めにきちんと切りそろえ、スサーナの感覚だといかにも良いお家の良い子めいている、という感想を覚える。
数は多くないがこの集まりにはこどもも幾人かいるようだった。
さきほども端の方でマリアネラと旧交を温めている……――お嬢様たちの意図としてはうっかりターゲットの毒牙にかからぬようカヴァーしているというのが正確――女の子にノンアルコールを渡してきたところだ。
――結婚できる年まではパーティーに出られないと聞いていましたけど、ややこしい。
スサーナは最初自分以外には全然子供がいないつもりで計画を立てたのだ。
貴族社会にあんまり縁のない島のこどもたちが習うのは社交の「原則」であり、慣習だ抜け道だ例外だといろいろあるのが世の中である。
特にこの手の歓談を主体にした集まりはそのあたりふわっとしており、褒められこそしないが主催者が目くじらを立てなければ黙認される程度のふんわりさ加減だ。
ちなみに舞踏会ですらも結婚年齢を過ぎて正式にお披露目を経て一人前として招待されるのは原則であり、親の随伴でやってくるのは非公式なので問題にならない、らしい。ただし親の随伴の子供は踊れないらしいが。
特にスサーナは前世からの先入観もあり、比較的伝聞での齟齬に引っかかりやすく、後からの常識の打ち直しに微妙に苦労するので、外来習慣については早いところ正確な情報を入れておくべきだなあ、と思う。今回はやってきた女の子たちはうまくお嬢様たちが集めてくれているのでベルガミン卿が下手にそっちに行くという事態は避けられそうだが。
……ちなみに、お茶会パーティーでも14までは男子と同席できない、はただの女子ルールであった。ともあれ。
一瞬よぎった内心のごちゃごちゃは綺麗に押し隠してスサーナは少年に笑顔でワゴンを示した。
「オレンジジュースに黒すぐりのシロップを入れたのと
「レモン水で……」
諸島ではあまり一般的ではないが、こちらでは未成年飲酒はふつうのことだ。というより、アルコール発酵飲料を飲料水代用として扱わず、水ばっかり飲んでいる諸島が国土全体でいうと珍しい方である。
とはいえ、飲んでもいいといってもアルコール特有の苦味を好まない女子供もまた結構いるので、今スサーナがやっているような隙間サービスには結構な需要がある。
薄手の陶器の器に半ばほど注いだレモン水に、アイスペールから氷をひとつふたつ。
「えっ、待ってください。そのような特別扱いは僕は――」
「はい?」
首を傾げたスサーナに少年はなにやら少し慌て、小声で言う。
「っその、わざわざ氷を入れてくださるような気遣いは不要です」
「あ、ああ。」
スサーナはようやく理解した。
諸島の外では夏に氷はほとんど使わない、らしい。貴重だからだ。
まあそれは当然のことだ。きっと氷室とかで冬に貯めた氷を大事に使うのだろう。
それはともかくとして、島には魔術師がいる。それはもうたくさんいる。
魔術師たちはどんどん氷を供給するし、保冷庫も売る。氷菓子だって売り出す。
一般のご家庭であっても事前に魔術師の嘱託商人に注文書を出しておけば、ちょっとどうなんだろうというサイズの全く曇りのない
というわけで、夏の飲み物には氷、これは島っ子にとっては多少の贅沢ではあるものの一般概念である。
――つまりこの子、本土の子かあ。
本土と島は結構距離があるのに、パーティーのために子供連れで来るとは親御さん頑張るなあ。スサーナはそうほのぼのしつつ、とりあえず首を振る。
「皆さんにお入れしてるので。えーと、島だと入れるんです。もちろんお嫌いでしたら抜いたものをご用意しますけど」
「ほ、
「はい。氷、器一杯あるでしょう? ……抜きます?」
「い、いただきます!」
スサーナが酒のグラスとレモン水を交換すると、受け取った少年はまず中を覗き込み、揺らし、目を輝かせ、次いでまず氷を嬉しげに口に入れた。
――あー、やるやる。美味しいもんね、氷。
氷好きだったかー、と、人には申し上げられないものの、飲み物の氷をカリカリ食べるのが
「小さめの氷、もう少し足しましょうか」
来い来いと手招きして、アイスペールから粒の小さな実に齧りやすそうな氷を数粒足してやる。
あからさまに目を輝かせた少年に、いやあ自分も好きなんですよね、と笑う。
「お帰りまでにお時間があるようでしたら、本島の港の市場にお寄りになるといいですよ。えっと、今年はジュースを凍らせてかち割り氷にしたものが売り出されているんです」
今年は毎年の豪華果物かき氷みたいなものに加え、持ち歩きのしやすいフルーツかち割りが出ているのだ。氷をかじるならきゅうっとした歯ごたえを求めるスサーナとしてはほろほろシャリシャリするジュースごおりはさほどの評価ではなかったが、本土から来ているならいい思い出になることだろう。
「あ、ええ! はい! きっと……。あ、あの、あなたは明日はお暇ですか? 案内、ええ、案内をお願いしても構わないでしょうか」
早口で言った少年に、スサーナはうーんっと首を傾げた。
「案内ですか……。ええっと、多分きょうの後片付けがあるんですよね。」
色んな意味での後片付けが、だ。
「そうでしたか、残念です。」
「よろしかったら、えー、島の案内を出来る使用人に言付けておきましょうか。」
「あっ、いえっ、ご配慮は不要です。僕は、そう、従者と必ず行ってそれを食べます、食べますとも!」
「はい、えっと、じゃあまた島においでになるときは、えー、セルカ
多分ほぼ間違いなく貴族の子供なので名目上の
そのときはきっとぜひと顔を輝かせた少年を同じ氷齧り勢として激励し、スサーナはまた別のノンアルコールドリンクを求める人を探して旅立った。
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