第187話 摘み草に安全でも適切でもありません 4

「そ、それなら私も行く!」


 ミアが慌てた様子で声を上げた。


「二人より三人だよ、そうでしょ!」

「ええっ、ええと、ミアさん、危ないですから」

「スサーナだって危ないでしょ!」


 スサーナはうっと困る。

 もし魔獣に襲われたとしても自分ひとりだけならなんとでもなる、と思う。

 正直ジョアンから地図を借りて一人で行ったほうがいいだろう、と思うぐらいだ。


 そうは行かないだろうから間違いなくジョアンの先導は必要で、万一魔獣と出くわした場合、自分はいわゆる盾役となるのが妥当だろうと考えているのだが、これにミアが加わるとなると正直庇いきれるかどうかわからない。

 とはいえ、ここで置いていくのにミアが納得してくれるだろうか。


「ええと、ミアさん、私は大丈夫なんです、ええと、その、貴族の方々が持ってらっしゃる護符……と大体一緒のものを頂いてあるので!」

「そんなの、強い魔獣相手にどれだけ役に立つかなんかわからないじゃない! 三人で居たほうが魔獣は近寄ってこないはずだよ。それに私だって、強い魔獣にあったことないけど、どうしたらいいかはちっちゃい頃から聞いてるもん」


 そう言われてしまうとスサーナは反論しづらい。魔獣などこれまで一度しか見たことはないし、島では魔獣の魔の字も普通に生活すれば話題に出ることはないのだから、そのあたりの知識量は本土生まれのミアのほうが明らかに多い。

 ……お守りは絶対に魔獣相手にでも役に立つとは思うのだが。


「……わかった」


 ジョアンが頷く。


「二人共邪魔にならないようにしろよ。……後、ヤバいと思ったらためらわず逃げろよ」


 ジョアンがきっぱりとそう言い、ミアがうん!と力強く頷く。スサーナはどう説得していいかもうすこし粘ろうとしたが、こうなってしまうとミアを置いていこう、という意見を通すのは至難の業のようだった。


「 よし、じゃあ用意してくるね!」

「み、ミアさん、用意って?」

「ん? 魔獣のいるところに行くときの用意だけど……?」

「……そういうの、あるんですね。」

「そうか……そりゃそうか。」


 島生まれの二人が顔を見合わせて感心しているうちにミアは自室に向けて走っていった。

 これはミアが同行する意味は確かにあるのかもしれない、とスサーナは少しだけ宗旨替えをする。残り二人は魔獣がいるかも知れない、という環境ではろくに暮らしたことがない。本土の人間達が経験的に知っている対処法はほぼ未知の技術だ。


 明確に何か対策があると示された以上、ジョアンがここでそっと一人で出ていく、ということはなさそうだなと判断したのでスサーナも自室に行き、こちらにストックしてあった手紙用紙を一枚と、万が一怪我をした時に使えそうな大判のハンカチを数枚、それから一応携帯用のソーイングセットなどを持ってみることにした。

 なんとなく前のヨドミハイに出くわしたときからの連想でのものだ。……流石にいきなり麻酔なしの傷口縫合とかそんなことをする羽目にはならないといいと思う。

 ついでに荷物のそこに入れておいた防犯ブザー、もといヨドミハイが嫌う音を出す道具を取り出してかばんに入れた。これでもし当該の魔物がヨドミハイだった場合対処できるかもしれない。海から遠いし、大きな、と言っていたので悩ましいが、陸棲で巨大なヨドミハイもいないとは限らない。居てほしくはないが。


 それから氷砂糖を少しと、昼手を付けなかった補助食品もそのまま持つ。まさか遭難するとは思わないが、念の為だ。


 それからスサーナは少し考え、窓から首を突き出して裏庭を眺め、ひとしきり見渡した後に端切れを一枚取るとインクで「森へ行きます」と書きつけた。


 ――ネルさん、今日は居ないのかな。そういえば朝からずっと見なかったけど。

 途中でもしネルと合流できればそれが一番心強い。なにせ彼はプロだ。

 もし合流できなくてもわかりやすいところにでも伝言を残しておけば何かの備えになるかもしれない、と考えたのだ。


「ええと……いま準備できるのってこのぐらいでしょうか……」


 とりあえず泥縄ながら出来ることは全部した気がする。スサーナはそれで下へ降りると、待っていたジョアンの所に合流した。



 それからもう少し待つと、どうやら部屋へ行った後台所に行ったらしいミアがやってくる。


「お待たせー」


 彼女は小さな革袋をいくつか抱えている。

 駆け寄ってきたミアはそれを一つずつジョアンとスサーナに手渡した。


「手持ちの水入れがあんまりなかったから数は少ないけど、無いよりいいよね」

「なんなの、それ」

「水……じゃないですよね。」

「あそっか、スサーナは知らないんだっけ? ジョアンもか。これはね、お酢。塩を混ぜたお酢ね。唐辛子も入れてあるの。袋開けちゃ駄目だよ。すごく臭いから。」

「ははあ……」

「怖い魔獣が近くに居たらこれを投げる! そうすると魔獣ってみんな鼻がいいからうわーってなるんだって。その間に逃げるんだよ」


 ミアは自信満々で投擲のポーズを取った。

 スサーナはなるほどなあ、と感心する。確かに感覚が鋭い生き物の目とか粘膜とかにこれが当たったら大変なことだろう。


「ジョアン、全然用意してる感じなかったからどうするのかと思ってたら知らなかったんだ。やっぱり私が行くことにしてよかったでしょ。用意無しでつよい魔物が居るかもしれないところに行こうなんて、駄目だよ。」

「へえ……」


 ジョアンも流石に今は何も憎まれ口を叩く様子はない。感心した顔で頷き、ミアの勧める通りにベルトの穴に袋の紐を通して吊るした。スサーナは鞄に入れかけたがミアに止められ、万が一鞄の中で潰れたら酷いことになる、と言うので確かにと納得してエプロンの横に留める。


「じゃあ行こう、ええと、後はね、裏庭から乾いた薪を貰っていったらいいのかな。魔獣は大抵火が嫌いらしいから!」

角燈ランタンじゃ……駄目なんでしょうねえ。」

「ぼうぼう燃えてないと駄目なんじゃないかなあ」

「そこは普通の獣と同じなんだな」


 裏庭に出て細割の松材の薪を数本ジョアンが引き抜き、背負い袋に突っ込む。

 そして、誰ともなく目を見交わした。


「じゃあ……行くか。」

「う、うん。」

「何事もないといいですね……」


 確かめるように言い合って寄宿舎から出る。

 スサーナはこのぐらいのタイミングで先輩たちでも戻ってこないかなあ、と思っていたが、どうやらその様子も、ランド達が運良く戻ってきた、ということも無いようだった。


 寄宿舎を出てもネルは見つからなかったため、スサーナは出掛けによくネルが手入れをしているあたりを見回す。

 ――いつでもそのあたりにいる、というのもなんだか心配ですけど、居なかったら居なかったで居たら良かったんだけど、と思うのも自分勝手ですよねえ。

 実は日常生活をしないでずっとそのあたりで待機しているのではないか、とうっすら勘ぐっていたのがこれで解消されたのが良かったのやら、このタイミングで不都合だったのやら。スサーナは苦笑すると立木の枝に伝言を書いた布を縛り付けておいた。




 早足で森を目指す。

 最初はなんやかやと喋っていたジョアンだったが、森の入口が近づくにつれ言葉少なになっていた。

 スサーナもミアもそれにつれて黙りがちになる。


 黙り込んでたどり着いた、森に入り込める入り口は、草原の中にぽつぽつと樹齢の若い細い木が点在した先に急に木々の密度が上がっていく、という場所だった。

 その中にトンネルを思わせる具合で踏み込むように獣道が出来ている。


「……お前らさ、離れるなよ。」

「う、うん……!」

「ええ……」


 立ち止まったジョアンはそれをしばらく眺め、大きく息を吸ってから肩をいからせ、その中に踏み込んだ。スサーナとミアもその後に続く。

 大小の枝が茂るそこはほんの数歩入り込んだだけで昼だと言うのになお暗く、否応なく彼らの足を竦ませた。

 子どもたちはひとかたまりになってそろそろと奥に進んでいく。





 天井の低い薄暗い酒場は猥雑な気配に満ちていた。

 麻煙草の煙。強い酒の匂い。調子はずれな大声で歌われる流行歌、怒鳴り合う男たち。


「うっへえ、こりゃ初等生共は連れてこれないわ」

「女の子が居るようなところじゃないだけマシじゃない? まあ連れてこないに越したこと無いのは同意。」

「で、その猟師の爺さんってのはどこにいるんだ」

「普段はあの辺りにいる……はずなんだけど。猟に出てるのかな」


 扉を開けただけでうんざりした顔になった学生たちはややあって気を取り直す。

 卓の間に細く開けた通路に体を斜めにして入り込み、麻の煙を払いながら奥へ進み、とりあえず老猟師が普段座るという席の周りの客に声を掛け、首を突っ込んでいく。

 ボリスが人懐こげに酔客と打ち解け、如才なく褒めるのを横目に、残りの二人の学生たちも心当たりがありそうな客にポケットから取り出した数アサスで安酒を奢り、老猟師について聞き始めた。


「爺さん? ここ2日……3日は見ねえな」

「俺も知らねえ。そんなことよりよう、聞いてくれよ学生さんよ、こいつが遊戯札を……」


 怪訝な顔の酔客達が、ともすると全く別の話にそれていくのを宥めつつ老猟師の話を振る。

 それなりに物慣れた様子のボリスはともかく、残りの二人は飲み比べに巻き込まれたり愚痴を聞かされたり小競り合いの仲裁をするはめになったりと、酔っぱらいの迷惑さを散々に味わうことになった。


 そうして、聞き続けてしばし。


「猟師の爺さん? 数日見ないけど、そういや妙なこと言ってたなあ。」

「妙なこと?」

「おうよ。でけえ魔獣に商売道具の犬ゥ食われたとかよ」

「ああ、俺もそれは聞いたよ。あの爺さん犬はいいんだよな。ほとんど犬が狩りしてるようなもんだ。斑と茶の二匹な。確かにこないだは連れてなかったよ」

「へえー、犬を。」


 いくつかのテーブルで無為に時間を使った後に、それなりに老猟師と親しかったらしい酔客を見つける。

 ボリスが相槌を打ちながら自然な動きで空いた椅子に座り、いったいこういうのはどこで覚えるんだろう、と残り二人の学生達は呆れた目をした。


「おう、酒で目が焼けてるから、クマかなんか見間違えたんだろうけどよ。可哀想になあ、犬もよ。狩猟犬ってのはそういうもんだけどもさ」

「それで、そのことについてなにか詳しい話ってしてました? あ、喋ると喉が渇きますよねー。親父さーん、ここの席にジョッキもう二つ」

「おっ、へへ、すまねえな。と言っても大したこた聞いてないぜ。森の奥の方で魔獣に出くわして、犬がやられてるうちに逃げ帰ってきたって言ってよ。ああそいえばさ、流れ者の兄さんたちにもその話してよ、森に行く話を取り付けてたよ。あの爺さんも犬は可愛かったんだなあ。爺さんの与太で森まで付き合わされる兄さんたちにゃ迷惑だろうが……」

「ヨソモンの荒事屋だのは爺さんが話を盛るの知らねえからなあ、真面目に聞いてたよ」

「その荒事屋はまだこのあたりで仕事してる?」

「そういや、3日ばかし前から見ねえな。」

「爺さんと森に行くって言ってた日から居ねえんじゃねえか?」


 学生たち三人はなんとなくの嫌な予感に無言で目を見合わせた。


 それからしばらく。いくつかのテーブルを回り、老猟師と言葉をかわした人間を探す。

 それで分かったのはいくつかのことだった。


 年老いた猟師が魔獣を見た、と言ったのはどうやら日のあるうち。森の奥の湿地だったらしい、ということ。

 それは、聞いたものによって描写は異なったものの、ナメクジに似た巨大な化け物、という点では一致していたこと。

 老猟師は犬が立ち向かっている間にかろうじて逃げおおせたらしい、ということ。


 そして、彼はそれを苦にして流れ者の荒事屋に退治を持ちかけ、案内をすると言っていたらしい、ということ。

 そしてそれから3日ほど、彼らの姿を誰も見ていない、ということ。



「まあ、犬がなきゃ狩りは出来ねえだろうし、そのまんま他所行ったのかねえ。」

「熊か狼か、でなきゃ猪か。荒事屋どもの旅費ぐらいになりゃいいけど」


「なあオッサン。そういっても荒事屋の対価って高いものなんだろ? その爺さんは払えるような金を持ってたのか? 払いが出来なくて森に行く前に他所に行っちゃったんじゃなくて?」

「ははは、ちげえねえ」


 その事実は彼らにとってはあまりに不吉な響きを持っていて、彼らが嫌な予感を振り払うように、想像できる一番凡庸で平和な顛末を酔客達に問いかけたのは無理のないことだ。


「ああでも、俺そばで聞いてたけどな。爺さん、なんつってたっけな。バケモンが出たところの湿地に珍しい草を見つけたから、それ好きに採っていいっつって荒事屋の兄さんたちに話してたからよ。行くには行ったかもしれねえなあ。」

「うまいこと言ったなあ。実際ちょっと似てるだけの雑草かなんかだろうに」

「ああ、俺も聞いた聞いた。強壮蘭サテュリオンなんかあったんならこっちに分けて欲しいもんだよな」


 酔客達は肩を叩き合いながらどっと笑う。

 学生たちは不吉な感覚に苛まれ、押し黙って目を見合わせていた。

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