第215話 王都アラインに潜む闇 1

 セルカ伯の屋敷についてすぐ、スサーナは中に通された。

 門番をやっていたのが島で顔見知りだった使用人だった所為か、ひねった足を引きずって歩いたせいか、用件を聞きすらされずに部屋に入れてもらい――始めて来る客だと言うのに――、元同僚……みたいな扱いだった侍女がやってきて包帯を巻いてくれたのでスサーナは丁重に御礼を言う。


「まあスシー、いえ今はスサーナ様なのかしら? どうしたの。馬車から降りるのに失敗した?」

「スシーで結構です。ええ、ちょっとひねっちゃって……すみません。あ、あの、実は今日はセルカ伯にご面会をお願いしたくて参りました。伯は本日いらっしゃいますか?」

「実は……本日、旦那様は、王城にご登城なされておられるのよ!」


 たっぷり勿体ぶった侍女が誇り高げに胸を張った。

 この国において、伯の多くは直接王城に上がる機会は少ない。というわけで使用人たちにとっては主が王城に上がっているということは大いに胸を張るべき事柄であるのだが、スサーナにしてみれば素直に喜び難い事態であった。


 ――王都にいらっしゃるってことはなにかお仕事があってだと考えておくべきでしたね……

 もちろん何の目的もなく王都にいるはずがないということは分かっていたが、王城ともなると訪ねていくというわけにも行かない。

 困った顔になったスサーナだったが、城にあがるのは午前中のはずで、昼過ぎてしばらく経ったしそろそろ食事に戻ってくるのではないか、と聞かされてほっとする。


 その言葉通り、そう待たないうちにセルカ伯がやあ暑い暑いなどといいながらやってきて、スサーナを見て驚いた顔をした。


「おや君、スシー。まさかこちらで君と顔を合わせるとは。もしや妻に用事かい? 彼女は領地でねえ。君が訪ねてきたと知ったら会えなくてさぞ悔しがるだろう。新しいドレスを君に着せたいとこの間言っていたよ」

「恐れ入ります。奥様にもぜひお会いしたく思いますが、実は今日は閣下にご相談したいことがあり、伺わせていただきました。どうかお時間を取って頂けませんか?」

「うん、そう改まれると寂しいが、もううちの子ではないものねえ。でももっと砕けて構わないんだよ? 」


 スサーナの言葉にわざとらしく寂しそうな顔をしてみせたセルカ伯だったが、一瞬後に人の良さそうな笑みを満面に浮かべてうなずく。


「我が家のものが君の頼みを断るはずがない。と言っても、まあ、大抵のものならね。私を相談相手に選んでくれて嬉しいよ。食事は済んだかい?」


 昼食の支度をさせるので一緒にどうか、と言うセルカ伯に、スサーナはお気持ちだけありがたく頂くとお礼を言って先に相談をお願いすることにした。


 応接室に通してもらい、席につく。


「喉を湿らせるのにベニトの茶を入れさせよう。今年の出来は良いらしくてね、妻が君の仕送り荷物にも入れていたけど、喉が爽やかになるよ。」


 そう言ってセルカ伯がベルを振り、やってきた侍従にお茶を言いつけた。


「やあレミヒオ、お茶を持ってきておくれ。できるだけ早くね」

「は――かしこまりました。旦那様」


 目をまんまるにした見覚えしか無い相手が小走りで下がっていくのを見送り、それからセルカ伯はさてそれじゃ、と指を組んだ。


「一体どうしたんだね、わざわざ相談に来るとは。何か困ったことでもあったのかい?」



 スサーナはさて何から話そうか、と悩み、とりあえず失礼を承知で端的に質問させてもらうことにした。


「はい。……ええと、なにもないといいとは思うんですけど、ええと、閣下は、三年前、ガラント公のご長男にあったという醜聞をご存知でしょうか?」

「ああ……、うん、まあ一応知ってはいるよ。あまり詳しくはないんだが。宴会で聞ける口さがない噂程度ならね。」


 具体的に何があったか、という話はどうも外に出ないようにされていたようだし、世の中に流れた噂の信頼性は私にはわからないからねえ、とセルカ伯は注釈する。


「はい、ええと。変なお願いだと思われるかもしれませんが、どういう裏事情でそうなったのか、というような噂とか類推のお話……ご存知でしたらお聞かせ願えませんか?」

「む? それは構わないが――」

「実は、お手紙に送ったとおりガラント公のお嬢様にお仕えしているのですけど、その関係でガラント公の別邸にご招待いただいたんですが、ご長男のご友人に疑われてしまいまして。何かその時と状況が似ておられるようです。それで、何も知らないと気持ちが悪くて……。」

「ああーうん、なるほどそれはよくないね。とてもよくない。……話せるだけ話すが、どれだけ合っているかはわからないよ。草の実と噂はどこにでもくっつくものだからね。」


 ふむと思案したセルカ伯が話し出す。


 ガラント公は王の権威の元に諸侯が統制されるべき、という志向が強く、地方は自由にやらせるべきだという考えの――主に辺境よりに封土を持った貴族たちの派閥とは対立している。


「王軍長であられるからね。領間での法の不均衡、犯罪者の引き渡し、色々気になることはおありなんだろう。ある程度積極的に貴族領の治安維持や問題解決にも中央が介入すべきだと考えておられる。」


 当時世の中に流れた噂は、最初はガラント公に関わる派閥で、政治上の話すべきではない事項を漏らしている人物が居るようだ、というようなものだった。正直よくある話で、得があるのは対立派閥の貴族のうち数人。たぶんこの人物だろう、という相手までが面白おかしく噂されていた。

 酒の席の上で口が軽くなった、というようなちょっとした失言や、議会に提出する書類の内容が多少彼らには困った相手に流れ、それを相手が大げさに振り回す、というようなことがいくらか続いたためだ。

 ただそれは酌婦相手に口を滑らせた程度のもので、ほんとうに「大した事のないよくある話」だと思われていた。多少身ぎれいに過ごせばいい、というような。

 それが、うちうちで処分されるはずだった王立騎士団絡みの不祥事が明らかになり、騎士団総長以下数名の首が飛ぶ事態になって話が変わった。


 それは総長の馘首クビでなければ贖えない、と判断されてもおかしくない――事実、議会で不祥事を糾弾した貴族は責任問題としてそれを求めた――規模だったが、優秀な男だった騎士団総長を罷免しては事がまとまらない、と上役が判断しておかしくない事態でもあった。

 そのために発覚を避けた不祥事が、外部の貴族の糾弾によって明らかになる、という最悪の発覚の仕方であり、王軍長であるガラント公は責任を問われてしばらくの間幾つかの権限を制限されることになった――


 セルカ伯がそこまで話した所でレミヒオがお茶を持ってやってくる。

 スサーナとセルカ伯の前にお茶を置いてレミヒオが壁際に控え、セルカ伯は一旦言葉を切ってお茶をすすった。


「その、不祥事って……?」

「話の本題には関係ないが、そうだねえ、噂では騎士団内に邪教の信仰をしている者がいたとか……」

「邪教……」


 わあ、とスサーナは思う。図書館で本を読み漁るようになって理解したが、ちゃんと神様が居る割に彼らは放任主義のため、けっこうカジュアルに異端の信仰とか邪教とかが世の中にはポップアップすることがあるらしい。ちゃんとした神様達はざくざく現世利益をくれるわけでは無いかわりに、その程度では天罰は落ちないらしいのだ。

 特に邪教呼ばわりされるとなると、願いが叶うとかいって血腥い儀式があったりする事が多い。生け贄とか捧げてしまうやつだ。それは確かに結構な不祥事だろう。


「騎士団は治安維持でそういうものにも触れるからねえ。取り込まれる事もあるんだろう。内偵中にことが明らかになって議会の俎上に上がったものだから、網を張りきれずに逃したものも多かったし……だいぶ現場で揉めたんだそうだよ。噂ではね。」

「うわあ……」

「ちょっとそれたな。話を戻そうか。」


 さらに、それだけじゃない。とセルカ伯は言葉を継いだ。


 王軍長であるガラント公は国内の治安維持について強い権限を持つ。しかし専横が許されるのかと言えばそれは違い、騎士団総長などの下僚にも発言権がある。

 次に騎士団総長に就いた人物は前任者とは方針が大きく違い、良く言えば慎重、悪く言えば腰の重い態度であり、王権の元での強い統制をよしとするガラント公とは意見が食い違った。


「……というより、まあ、騎士団を出す際の出費の方を気にする人間だね。大事な視点ではあるけれど。対してガラント公は地方に王命の元に騎士団を出すのをためらわない方だ。どちらにも利点と困った点はあるけれど、それはまあいいとして。」

「ええと、つまり……ガラント公がしたいお仕事があっても、その方が反対される……と?」

「そう。もちろんそれで何もできなくなるというわけじゃないが、動きは鈍くなる。新しい騎士団総長に推薦された彼には前から、地方権派閥の息がかかっている、という噂もまああったし。ガラント公もそのタイミングじゃ異議を申し立てるわけにもいかなかったんだね。……その合せ技で、これでガラント公の発言力はおおきく下がった、と思う者は多かった。と言っても国内有数の大貴族で有力者というのには何のゆらぎもないわけだけどね。」


 知る者の少ないはずの騎士団の不祥事を外部にもらせた人間は多くない。

 当然彼らは調査を行い、どうやらその内通者がガラント公の息子の婚約者らしい、ということになって騒然となった……という噂だ、という。


「それで、その女性が元々対立派閥の人物の関係者だったらしくてねえ。ガラント公の発言力を削ぎたい、と思っている貴族はタイミング的にも多かったし。騎士団総長をすげ替える、というのはそれなりに前から画策されていたと言うし……前の戦争の功労者だったからずっとうまく行かなかったんだね。最初から公を陥れるつもりで縁付いたんだろう、という噂だった。」

「……もしかして、結構なおおごとだったんですね……。」

「そうだねえ、結構な大事だ。裏事情……というと大げさだけど、私なんかが知っている噂はこんなものかな。醜聞の周辺事情と経緯は大体これで合ってる、んじゃないかと思うねえ」


 そこまで聞いて、まずお礼を言ってからスサーナは少し思案する。


 貴族間のどろどろなお話だが、今聞いた感じだとなんというか、普通の政治的なあれこれ、という感じがする。

 外国が関わっている、という話ではなかったし、国内の貴族が――地方分権、となると前世の歴史的に考えると力を持った地方豪族による武家政権とか王権の制限とか方向の連想も過るけれど――直接王家を害する、というのはだいそれすぎているし、契約があるここでは前世とはちょっと事情は違う。なにせ王権が本当に神授され、そして、神に認められた王が不在だと崩壊フォールダウンが起こるというのだから。

 大人しく平民をやっているとそのあたりに関しての知識がしごく曖昧で不安なのだが、図書館の本を読み漁った感じ、大体そう言うことのはずだ。


 王位は神様に認められた人が就き、その人の血筋で神様に指定された人が継ぐ。

 歴史書を見た感じ王位争いみたいなものはあるようだったし、後継者が亡くなったら神託を受け直して別の後継者が継ぐみたいなことはあるようだったけれど、いきなり地方貴族が反乱を起こして新しい国家を作る、みたいなのは無理そうだった。


 ――夢が起こるかどうかを確認する、っていうのも変な話ですけど、オルランド様の醜聞に関わっていそうなのは地方貴族の方々なのかな。でも少なくとも、いきなり反乱とかは仕組み的に無理。だから夢の内容とは直接関係ない……かも。


「ええと、そういえばタイミングと言いますと? 三年前ぐらいってなにかあったんですか? そういえば貴族の方々が島にいらしたのも大体三年前でしたね」


 となると知りたいのはヤロークとの関係とかそういう方面だ。

 スサーナは話題の中の単語からふわっと話題をそらしていこうと試みる。


「うーん、身内の恥を語るようで情けないけど、……諸島も含む中領地、エステラゴ。の後継者争いが本格化したのが丁度そのタイミングだねえ。」

「領主様の。」


 セルカ伯はうっそりと苦笑した。

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