第77話 奇禍と僥倖のあいだ 2

 時々目線を合わせ、外し、斜め下に視線をそらしながら柔らかく目を伏せる。控えめに微笑む。

 そんなふうに表情筋と精神力を酷使しつつスサーナは視察の時間を過ごしていた。


 やりすぎてはいけない。なにせ島で過ごすのはあと一晩あるのだ。一足飛ばしに夜這いでもする気になられては台無しだ。

 向けるのは目線だけ。スサーナは直接接触しないように距離を取る。

 食べそこねた果実ほど、あとあと眼の前にぶら下がった時に後先考えず食いつくぐらいにうまそうに思えるというものだ。一挙両得。

 昼食のタイミングなど皆が一まとまりで動くタイミングでは、お嬢様たち二人や、奥様、チータなどの近くに行けば隠すように距離を離してもらえるので、なんとかうまいこと成り立っている。


 視察中には側仕えの仕事は、マリアネラを扇ぐとか、汗をかくタイミングで拭くものを渡すとか、大した仕事があるわけではなく――重要な仕事は流石に元からの使用人の出番であるし――ひたすらベルガミン卿の観察に注意を裂ける。

 うれしくない。


 そんなわけでスサーナはずっとベルガミン卿の動向を注目せざるを得なかったわけだが、午前中を過ぎ、しっかり設えられた村長の家のテラスで昼食を取り、午後マリアネラの任地となる名目の場所について代理人と合流した頃に、

 ――あれ?

 スサーナはなんとはなしにずっと感じていた違和感がうまく言葉の形に落ち着くのを感じとっていた。

 ――なんかこう、ベルガミン卿、特定の場所を避けさせるみたいに動いて……るような……


 たとえば休憩に向いていそうなそれなりに新しい作りのティーハウス。

 視察にはまあ向いていないこともないかな、と思われる、染料も扱っているタイプの少し大きな店。

 ――なんか、こう。たまに全然別の話を始めるタイミングみたいなののちょっと後とかに通るところ。

 スサーナは商人の間の暗黙の了解と、リューに聞く建設裏話を思い出していた。

 ――窓の高さを変えてあるし、梁が多いし。張出し窓のかたちへんなとこあるし。「特別室」あるところ混ざってません……?


 特別室、とは基本的にはいわゆる密談用の部屋だ。

 密談とは言っても他所に大切な商談が聞こえないようにする、というような用途なんかでも使われるので、それほどいかがわしいものではない。それなりに大きいところなら何処の店にも、お客様が安心して商談ができるようなその手の部屋は1つ2つしつらえてあるものだ。


 とはいえ、普通の特別室はちょっと防音がいい豪勢な部屋、というだけで、見ればわかるものだが、主の趣味か、それとも本当に必要に迫られたものだか、外からわからぬように隠したその手の部屋を持っている店もある。


 曰く。装飾の多い建物。

 曰く。小さい窓を様々な高さにつけた建物。

 曰く。建て増しを繰り返した建物。


 壁の凹凸で構造がごまかしてある、とか。窓の位置でわからなくなるが実は室内に段差が作ってあるところが一階層多い、とか。デッドスペースに実は部屋がある、だとか。


 もちろん、そういう建物だからといってあると限ったわけではない。商人たちの間の冗談として新しく建てた店舗が条件に当たればそうではないかと言われるような、そういうものなのだが。


 去年。いやもう一年半ほどになるだろうか。

 講で駄弁っている最中にリューが言ったのだ。

『そういえばさ、最近「特別室」入れた建物多いんだよね』

『守秘義務とかいいんですか!言っちゃったらまずいやつでは!?』

『どこで建ててるやつかまで言わないよ。でも、ここしばらくそういう建物の話が急に増えてる』

『貴族が来てるからじゃねえの? あっこの揚げ鶏うまい』

『うん、まあそうなんだろうね。あっ、でもさ、貴族の家の隠し部屋とはやっぱり建てるときの考え方が違うよ、商家の特別室って。探すと面白いよ。大人の冗談って結構当たってる』

『いいですか貴族の家の隠し部屋の暴露話をはじめたらこのレモンを容赦なくリューくんの目に向かって絞りますからね』


 ――つまり、ここ一、二年の新築の、そういう形の建物、なんですよね。

 スサーナは目を細める。いやあ関係ないのかもしれないけれど、なんだか勘ぐっちゃうなあ。と。

 ――つまり、闇取引になにか関係があったりしません?


 思えば出屋敷から出ないのも怪しくないか。普通本来の主人、というか、予定された滞在者が来たならどれだけ面の皮が厚くとも部屋を引き払って宿とかに引っ込むものではないのだろうか。まあ、貴族の慣習なんかはよく知らないわけだけれど。

 いかにも面の皮が厚そうだし、マリアネラと同じ建物で過ごそうともくろんでいた、と言われればとても納得してしまうので気にはしていなかったが、違和感がある気もする。


 スサーナは用足しなどのタイミングで離れるのを見計らって、とりあえずレミヒオに相談することにした。


 スサーナに相談を受けたレミヒオは大きくうなずいた。

 ありそうな話だ。出屋敷にはリストか何かあったのだろうが、流石に処分してしまっているだろう。ならば近寄らせたくない場所があるとすれば、証拠が残りっぱなしになっているかもしれない。なにせ相手は闇商人というわけではない、素人なのだ。

 ……どの建物にベルガミン卿が関わっていた、というような話はこの場にいないセルカ伯の使用人が調べただけでも十分出てくるだろうが、隠し部屋……のようなものの考えは彼らにはないだろう。貴族の邸宅のものと様式が違うならなお見つけるのに多少手間がかかったかもしれない。セルカ伯に言えば意味がある情報だ。悪くない。


「お手柄です、スサーナさん。僕からセルカ伯にご報告しておきます。」

「あの、ただの勘ぐりなので、全然じつは違うかもしれませんけど! 可能性があるなって!」

「可能性だけでも大したものですよ。」


 わたわたと注釈しつつ、誇らしげと照れ笑いが混ざった表情が垣間見えた少女に少しホッとする。

 ……いや、うん。なんというか、やはりこういう生き物なのだ。アレは見間違いか勘ぐり過ぎか。


「しかし、ベルガミン卿を警戒していたおかげで新情報が手に入ったかもしれませんが……あまりずっと見ているのもよくないですよ。アレがなにか勘違いしたらどうするんです。身の危険を招きかねない。」

「あっ、それは織り込み済みです!大丈夫です! えっと、そういうのに詳しい人がああすると強いって言ってたのを聞いたことがありまして!」

「……そうですか。」


 誰だ、こんな娘にそんなことを教えたのは。

 明らかにアレがどういう効果を目してのしぐさかをちゃんとは判ってはいないだろう。

 こうなった上では仕方がないが、あまり乱用させると不慮の心得違いを招きかねない。

 まったく、とレミヒオヨティスは思い、はっと不安になる。


 ――考えもしなかったが、閨に誘われるということの意味は理解しているんだろうな……?

 なんだか漠然と酷いことをされると思っているのでは。

 いや、まさか、まさか。実情は知らないとしても……その、単語の意味とどういう事をするのかぐらいは……

 知らないかもしれない。



 まさかそんなことを思案されているとはまったく思っていないスサーナは、目の前でなにやら悩み始めたレミヒオに首を傾げると、そろそろ戻ったほうがいいだろうな、と思案した。


「えーと、そろそろ戻らないとまずいかなって思いますけど……どうしたんです?」

「いや……なんでもありません。」


 レミヒオヨティスはいっそここで聞くべきか、と悩み――まさか知らなければ「その場」

 に至って囮にはならないような――即座に内心否定していた。

 ――聞けるか!!!!


 囮になる、ということを知っている女性にやんわりと聞いてもらう……という可能性を頭に登らせる。知っているのは?レティシアとマリアネラである。

 そんなもの、どう考えても男の自分が彼女らに向けてのこのこと話題に出せるものか。


 レミヒオヨティスは怪訝そうにこちらを見た後で先に戻っていくスサーナの背中を見ながら、まさかの懸念事項に頭を抱えたいような気持ちになっていた。


 くそ、いや、後々セルカ伯が場を整える。そうすれば事情を通される中にもののわかったメイドの一人や二人いるだろう。そちらに聞いてもらえばいいし、判っておらずとも「なにかされそうになったら」人を呼べということでなんとかはなるだろう。なるはずだ。なる。

 第一やらずに済むかもしれないのだ、済めばいい。うっかり特大の醜聞なんかが発見されればいい。されてほしい。


 レミヒオヨティスはとりあえずこれ以上今は考えずに置くことにする。


 技能として閨ごとを仕込まれたこともあれば、兄貴分ミロンに洒落で女郎屋に放り込まれたこともある。あるが、だからこそ同年代の常識と反応がわからない。流石に自分が一般的ではないことはわかる。では話題に出してしまえば何処から引かれるか、とか、第一いかにもその手の話にうとそうな女の子がどこからショックを受けるのか、とか。困るのはそういう、些細なあたりだ。


 暗殺士として育てられた少年は、同年代の子供と関わることに慣れない。特に、同年代の少女相手で、センシティブな話題などは、とくに。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る