第75話 夜は短し乙女の迷惑 8

 少しして、おずおずと進み出たマリアネラがすんすん鼻を鳴らしているレティシアに声を掛けた。


「レティ様……ごめんなさい、わたくし……気遣っていただいていたなんて、全然気付かなくて」


 レティシアはレミヒオの胸を押して離れると、涙を優雅にハンカチで押さえ、つんと上を向いた。レミヒオがホッとした顔をする。


「知りませんわ、マリなんて。わたくしとても怒っていてよ、このままレミと駆け落ちしちゃったっていいぐらい怒っているの」


 斬新な脅し文句だなあ、とスサーナはほのぼのする。ほのぼのするところではないのだが、言葉にそっと一歩、どうやら反射的にレミヒオが引いたのが少し面白い。

 ――男の子甲斐がないですよレミヒオくん!


「ごめんなさい……わたくしがもっと義母様と仲がよかったら、こんなこと……でも、でもレティ様、わたくしはお二人が一緒になったら世界一素敵な場所ができるって本当に思っていますの、小さなとき過ごした庭みたいに……そしたら、わたくしも訪ねて」

「ああんもうマリ!そういうことじゃないの! 三人一緒にいられるならマリがお兄様と一緒になったところで同じでしてよ! そしたら私が訪ねていけばいいのだわ!」


 レティシアはレミヒオの肩を支えにして、怒ったうさぎみたいにぱたぱた跳ねる地団駄を踏んだ。

 ――……か、かわいい。

 忍従の表情のレミヒオを他所に、スサーナはちょっと観戦モードである。


「でも、わたくしじゃ……」

「おうちでの立場なんて他所の方がそこまで気にするものですか! お兄様がそうしたいと仰っしゃればたやすく覆るのだわ! 第一もう! 他所から見たらわたくしたちどちらも箸にも棒にもかからない小領地よ、似たようなものですのよ!」


 ぽんぽんぱたぱた。


「でも……」

「でもじゃありません!マリのバカ!もうもうもうバカ! いいことマリ、わたくし絶対クラウディオお兄様とは結婚しませんからね! 絶対結婚しませんわ! マリが結婚してあげなかったらお兄様は婚約破棄された可哀想な殿方になってしまうんですからね!!」

「だ、駄目ですわレティ様、そんなこと、クラウディオ様がどれほどご迷惑か」

「迷惑だけなら私だって同じことですわ! もー!んもーマリのバカ! 手紙! 月に一度来る手紙、扱いが同じだと思っているでしょうけど、厚みが!厚みが倍違うんですからね! お菓子だって!マリが好きだからって書付が!ついて!」


 たしんたしん。

 興奮のあまりレティシアが掴んでいるレミヒオの襟首がめちゃくちゃ締まっているように見えてスサーナはちょっとハラハラしだした。流石に口を挟んではいけないと判断したのだろう、レミヒオは襟にさり気なく指をかけて気道を確保しつつ耐え忍ぶ表情である。抱きつかれるよりもまだマシであるらしかった。


「ですから!私はあんな薄情で冷たくて甲斐性のなんにもないお兄様よりレミヒオのほうが! 一万倍マシなのですわ!!」


 ぎゅうっとレミヒオの襟首を引っ張りながらのレティシアの言葉に、マリアネラがきゅっと胸の前で手を握った。


「わたくし、もしかしてレティ様とクラウディオ様のお邪魔を――」

「馬鹿なこと言わないで!!! わたくしの可愛いマリなんだから当然でしょう!!!!」


 ひととき棒立ちになり、それからかっと頭に血の上ったらしいレティシアがレミヒオをどんっと押しのかしてマリアネラの元に飛びつき、両腕を取る。


「いいことマリ、まずわたくし、クラウディオお兄様のことなんか異性として元々なんとも思っていないのだわ! だからマリが結婚してあげなかったらお兄様一生独り身よ! マリだってお兄様じゃ不足かもしれませんけど、でも今の求婚者の方よりずっとマシなのだわ! わかるでしょう!!」

「不足だなんて、そんなこと……!」


 飛びついてきたレティシアに目を丸くし、反射的に答えたらしいマリアネラは少し頬を染めて、しかし一瞬後にすっと目を伏せた。


「レティ様はそうおっしゃいますけど、でも、義母様は乗り気だわ……。わたくしがお断りできるような話じゃ……」


 ――えーと、いい頃合いかな。

 スサーナは間合いを見ながら二人にそおっと声を掛けた。


「ええーっと、いまいいでしょうか?」


 貴族の少女二人は、まるでいまスサーナの存在を思い出した、というように動きを止め、目を瞬いた。


 スサーナは彼女らの思考停止の波が引くのを待ち、数秒思案してから話し出す。


「えーと、実はこんな時間にこんなところで密談をしていたのは実はそのベルガミン卿のおはなしなんです。」


 レティシアが、密談、そういえばそんなこともあった、という顔でまたたき、静かに首をさすりながら伸びた襟元を直しているレミヒオのほうを見る。

 ――ふふっ、完全に忘れてましたね。


「えっ、それは……まさか、ふたりともマリに呼ばれたわけではないですわよね?」


 ぽかんとした顔で言うレティシアにスサーナは一瞬んっ!?となり、それから意図を取る。


「あ、もしかしてお二人がこんな時間にこんなところにいるのって、なにかベルガミン卿の関係のお話を――?」


 問いかけたスサーナにマリアネラがコクリとうなずく。


「神経が高ぶって、目がさめてしまって、それでレティ様のところに行きましたの……」

「ええ、それで、明日ベルガミン卿をどう黙殺するか相談することにしましたのよ」


 黙殺。

 ははあ、とスサーナは遠い目になる。

 ――つまりアレですね、密談向きポイントに最悪のタイミングでカブった結果の事態、とそういうわけですねー?

 スサーナがレミヒオを見ると、彼もだいぶ遠い目をしていた。

 次があったら、密談場所は穴場を事前に探しておくこと、ですね。

 心に強く刻みつけつつ、スサーナは言葉を継ぐ。


「ええと、私達の相談はそれとは少し違いまして、実は、私、夕方ベルガミン卿に誘惑されまして。」

「えっ」

「それは……」


 少女二人の顔があっけにとられ、ついでぴんと張る。


「まあ、大丈夫でしたの!?なにもされていなくて!?」

「スサーナ、早く言ってくださればいいのに!何時だって抗議に行きましたわ!」


 ――うわあ、なんていうかこの年頃の子たちがこの反応って、やっぱり悪質な常習犯なんですねアレ……


「ああいえ、レミヒオくんに助けていただきましたので」


 そうですよね、と視線を向けると、話の趨勢を見ていたらしいレミヒオが合わせて一つ深くうなずいた。


「それで、そのことについてご相談をしていたんです。」

「そうでしたの……それは、使用人たちの前では出来ない話ですわ……」

「はい、ですから、逢い引きとか思い合うとかそういうことは一切ないです!」


 スサーナは力強くマリアネラの先だっての予想を否定した。絶好の機会であった。

 申し訳なさそうな顔になったレティシアがレミヒオに向き直ると頭を下げる。


「ごめんなさい、レミ、そんなこととは知らず、わたくし……」

「使用人に頭を下げるものではありませんよ。」


 レミヒオが小さく首を振った。


 どうもそれでレミヒオがレティシアの謝罪を受け入れ、その上で過分なものとして辞退した、というようなことになるらしい、ということをスサーナはなんとなく雰囲気で察する。

 ――おお、貴族言語……!


 レティシアが頭を上げ、自分に向き直ってくるのを待ってスサーナは話を続けた。


「えーと、それでですね。相談していた内容なんですけれど、こういうの……私のような立場の…つまり、文句をいいそうなお家の子に声をかけるのは、失点になるのでしょう? 貴族の方々の社会だと。だから、大人に報告したからもしかしたら問題に出来るかもしれないね、って話していて。あ、えっと、それで二人にちょっと相談というか、確認というか、わるだくみを今思いついたんですけれど――」


 怪訝な顔でうなずいた顔の少女二人から少し離れて、どうするつもりなのかと目線で問いかけてくるレミヒオにちょっと申し訳なく笑ってみせる。

 さっきレミヒオくんは独り決めで動く、だなんて思っていたけれど、それどころではない独断専行。さっきベルガミン卿はぼこぼこにしよう、と決めた時におもいついてしまったのだからしかたない。


「つまり……マリアネラ様の結婚話をなくすために、追い落としちゃいませんか?ベルガミン卿。」


 スサーナは笑ってそう言った。

 レミヒオがぽかんとした顔をしたのが見える。対して二人の貴族の少女の表情が輝いた。


「まあ、素敵!」


 レティシアが迷わず声を上げた。


「どうするつもりですの?」


 マリアネラがいぶかしげに言う。


「つまり、ええと、ベルガミン卿が言い逃れが出来ない状態で、いろんな方の前で大きな失点を作って差し上げたら、あの方、婚約とか言ってられる状態じゃなくなる……貴族の方々のやり方がちょっとまだわからないんですけど、そういうものですよね?」

「ええ、それは……そうですわ。責任というものがありますもの、あんまりな失敗をしたら謹慎とか、蟄居とか、そういうことになるって、お父様が。」

「でも、スサーナ、そんな事できますの? 声を掛けられただけじゃ、言っては悪いけどよくチータがあの方の悪い噂を話していてよ、沢山そんなことをしているみたいなのに、あの方平気でいろいろなところに顔を出してらっしゃるわ?」


「はい。それだけじゃ足りないんでしょうけど、これがいろんな高貴な方のいるところで、例えば……みだらなことをしようとして取り押さえられた、ってことになるとどうでしょう?」

「それは……一大事ですわ。そんな話、聞いたことがありますわ。お祖父様のころにそんなスキャンダルがあって、その方はずっとそのあと老人になるまで謹慎を命じられたって。」

「それは高貴な人にしたんでしょうから、もっと罪は軽くなるでしょうけど、相手がそんなに偉くなくてもやっぱり問題になるような行為ですよね。」

「ええ、それはそうですわ、当然よ。」


 同意する少女二人にスサーナはにっこりうなずく。

 側までやってきたレミヒオが小声で割り込んできた。


「スサーナさん。さきほどマリアネラ様には協力させるなと言っていませんでしたか?」


 特にはかばかしい事例が集まらなかった場合に誰かがそうするだろう、というスキャンダルのもっとも手っ取り早いもの、レミヒオが想定したのがそれに非常に近い……マリアネラを囮にして襲わせる、というものだった。

 レミヒオはだから、スサーナが同じものに思い至ったのだろう、と考えたのだが。


「はい、そんな危ないことしていただけませんよ。レティシア様とマリアネラ様にはえっと、貴族の方々が集まる席で、ベルガミン卿が来るもので、そうですね、休む場所があるような集まりがいいですよね。夜会なら最高なんですけど。そういうものが丁度良くあったりしないかどうか考えていただこうと思いまして。 あ、もちろん未成年の小間使いが入れる必要がありますけど……。なければないで。とりあえず貴族の方々が集まるタイミング、未成年の小間使いが入れる場所、この二点があれば最高ですね!」


 あればよし、なければ……出来るだけ話を出したくはないのだが、最悪『塔の諸島の恵みをしるものきたれ!』だ。

 本島の商人がなにかのお披露目とかで宴席を催すことは、ままある。

 貴族流とは違うだろうが、商業筋での宴席だとて呼ばれれば島に居住している貴族なら無視はできまい。そういう機会をみて。そのリストにベルガミン卿をうまく混ぜられればいい。


 忘れがちだがおばあちゃんに頼る以外にも、ドンもリューもいわゆる大商人の子息なのだ。フローリカのおうちだって羽振りのいい商会だ。肚を決めて影響を気にせずとことんやると決めたなら、わるい手の取りようは探せばたっぷりある。


 最悪そっち方面が無理でもほんとうにほんとうの最終手段として、島の商人から一斉に糾弾が届くという方向性も用意できなくはない気は、一応する。ただ家に迷惑はかけたくはないのでよほど最後の手段としてではなければやったりは出来ないと思うのだが。

 ……その場合、叔父さん革命が起こらなければいいけど。


「スサーナさん、何を。」

「ですから、私がやろうかなと!」

「ちょっと! 何を言っているんです! 御自分が何を言っているのかわかっているんですか!? 少しでも対応が遅れたらどんなことになるか……」

「ええ、わかってますよレミヒオくん。いいですか、つまりそうなりかけた際にベルガミン卿の意表をついてたじろいでいただいて、ついでに人を呼び集めるような手段があれば最高にいいんですよね?」


 スサーナは言葉を切ってにやーっと笑った。そう、先程ふと思いついた……連想したが、自分は最高にいいものを持っているわけだ。


「不審者には、防犯ブザーって相場が決まってるんです!」


 レミヒオは、座った目でよく聞き取れない聞き慣れない単語を力強く言うスサーナに、一瞬呆気にとられ、ぽかんとして……それから内心頭を抱えた。


 うっかり相談場所がかち合ったりしなければ、いや、軽い気持ちで今日の夜のうちに話を済ませてしまおうだなんて思わなければ、こんなことにはならなかったろうに。


 夏の夜は短く、残り少なで、だというのに終わりの見えない山程の迷惑ごとで満ちているようだった。

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