第356話 スサーナ、念のためを詰める。

 朝。起き出すことにしたスサーナは夢のことを誰かに伝えるべきか少し悩み、とりあえずダメ元でレミヒオ経由でセルカ伯に注意喚起だけしておくことにした。

 ――日中は多分、外務卿府にいますよね?

 ルカスさんの預かりになったサラの件はどうなったか、と気にしてもおかしくはないことだし、自分が顔を出しても変ではないだろう、とスサーナは判断する。

 それに、エックスデイまでの数日、レオくんかテオに張り付いていようと思うならばお父様に相談は必要なので、どうせ王宮には顔を出さないとならぬ。

 ――もう少し沢山眠るつもりだったんですけど。

 それでも、昨夜から常人並みには眠ったはずなので、なんとでもなるはずだ。

 最悪なにかやることが増えて駆け回ったとしても、あと数日ぐらいなら保つだろう。


 気合を入れて着替え、ショシャナ嬢として王宮に出向く。

 なぜだかはまったくわからないが、スサーナが王宮に行くと言うと使用人の皆さまが何も指示していないのにお父様用と思われるお弁当をすっと用意しだすので、なんだかそういう役割として認識されているような気がしなくもない。

 お弁当を用意しだした料理人に口を挟み、厨房で軽くスモークしたローストチキンに焼いたベロクレソンペレヒルパセリをぎゅっと挟んだサンドイッチをたっぷり抱えてまず訪れたのは、今日もデスマが限界を迎えているように見えるセルカ伯がお勤めをしている部局だ。

 どうやら飛び交う会話を聞けば、賓客に失礼がないように諸事務の調整や慣習を確認するような仕事が動いているらしく、なるほどこの時期に死ぬほど忙しいわけだ。外交史料室兼儀典賓客事務室とでも言うべき職務だろうか。

 そんな時に一時的にでも仕事の進行を鈍らせるのは申し訳なく思いつつも、スサーナは差し入れですよ、皆さんでお上がりください、という顔でバスケット一杯の――大ぶりの丸鶏一匹分の――サンドイッチを差し出した。


「飯!」

「うわーっそう言えば昨日の昼から食べてない!」

「ありがとうございます!」

「室長! 休憩にしましょう!」


 わっと湧いた部局の皆様の支持を武器に、苦笑したセルカ伯から午前中のお茶兼朝食兼ともかく食べていない人の食事休憩をもぎとると、スサーナは首尾よく「なにか飲み物をご用意してまいります」と言った気のつく侍従にすっとついていくことにする。


 ミント水と割ったワイン、ビールをそれぞれ満たした瓶と、お茶もいくらか。

 ワゴンに必要なものを載せつつ、周りに人がいないことを確認したレミヒオがもの問いたげな表情をしたので、スサーナは急いで昨夜見た不穏な夢の説明をした。


 前に見た夢よりもずっとただの悪夢じみた要素があることはレミヒオくんも認め、予知夢かどうかの判断はつかないようだったが、武器を持った者達が乙女らしい少女たちを囲んでいた、ということ、捕らえた誰かを何処かに連れて行こうとしていたこと、牧歌的な風景の場所でどこか目指す所があったらしい、ということを警戒事項としてセルカ伯にうまく流しておく、とまとめられたのでスサーナはホッとした。確かに事情に詳しい誰かがピンときそうな要素があるならそこであるように言われてみれば思う。


「あと、魔術師さんが関与している……かも……という部分は夢かもしれませんけど……」

「僕はその経緯に詳しくはありませんが、対処はなされる、という話は聞いてはいますけどね。」


 あとは、と、一応言って置かなければならない残りの部分をもごもごと曖昧に引っ張ると、レミヒオが眉をひそめてそう注釈したので、スサーナは全力で縦に首を振りたくった。


「で、ですよね! この部分はきっと間違いなくただの夢だと思いますので……」


 ちゃんと政治的な思惑と配慮があった上でなにか交渉して王宮魔術師さんが動く、という経緯であるはずのものがそう簡単に覆されるはずがない。魔術師は常民の都合など気にしないという鳥の民の観点からの見解はだいぶ聞かされたが、王宮魔術師自身はそれなりにこのヴァリウサの王家に譲歩しているとも聞いているわけだし、対処する、ということ自体はレミヒオくんですら疑っていないのだ。明確に彼女の意思で抑えられているのなら、そこでいきなり反旗を翻すはずがない、と思う。

 ――王宮魔術師さんと不和があるということは……無い、はず?

 断片的にだが、第三塔さんが王宮魔術師さんのことを語る時。敵意だとか、隔意だとかは感じられなかったように思ったし、なにより。

 ――とても親密な方、なんだと思うんですけど。

 恋人の意に反してまで謀反人に助力しようとはしない、というのは希望的観測だが、常識的に考えれば期待の持てる話で、虫の良い話だがそれなりに最後の砦的に心を支えてくれた。

 結局、敵対するだなんて信じたくはないし、魔術師の精神性がそこまで理解できないものとも思いたくなんかないのだ。



「……それでも、注意喚起して損はない事象でしょう。セルカ伯も、そちらに関する役割の者に話が行くように上申すると思います」

「ふぁい」


 スサーナがぼしょん、として頷いたところで、レミヒオがちょっと困ったような表情で、そうですね、その、と曖昧に呟き、かたん、とワインの瓶をワゴンに置いて一息。少しだけ目線を彷徨わせたあとにぐいと胸を張ってみせた。


「何があるかはわかりませんが、今回の件は僕も力を貸します。間接的であれ、国家とやらに雇われるのは面倒ですが……、まあ、セルカ伯はそれなりに話がわかりますからね。」

「レミヒオくんが?」

「ええ。王家の人間を守るなど面白くはありませんが、そうです。……自慢するわけではありませんが、魔術師の一人や二人、充分とどめられますよ。ですので、そこまで恐れずとも、なんとでもなる事態だと思ってくださって結構かと」


 反射的に、それはそれでレミヒオくんも心配だし、そこが刃を交える事態はあまり想像したくない展開だ、と思ったスサーナだったが、そう言ったレミヒオくんがこちらの反応を推し量るような目をしていたので、あ、これはもしかしたら慰めてくれているのだな、と気づいた。


「それで。えぇ。……それで、少しは先の懸念が晴れましたか」


 レティシアに泣きつかれていた時も思ったものだが、どうもこの少年は、人を慰めるだとか寄りそうだとか、そういうときにいきなり不器用になる傾向がある気がする。

 そつなく人を褒めたり、スマートにフォローしたりするのも得意なはずだと思うのだが、一体どういう条件が混ざった時にこうなってしまうものか。

 それでも、十分に視線から心配そうな気配は感じ取れたので、スサーナは微笑んで頷いた。


「それ、なら、きっと大丈夫ですね」

「当然でしょう」


 眉を上げて腕組みをしたレミヒオが、呆れ返った、というようにふっと息を吐き、ワゴンを押して歩き出したのでスサーナも急いでその後を追う。

 いっそ傲然とした自信に溢れた姿で、と一見見えるものの、言い終わってからじわじわと照れたのか、なんとなく耳元が赤くなっている、とは指摘しないことにしておきつつ、その挙動で確かにだいぶ気は晴れたので、スサーナは感謝を込めて、うまくこの事態が終わったらレミヒオくんに何かお礼を差し上げよう、と考えることにした。



 戻って、気のつくご令嬢らしく、しかしやりすぎて高貴なご令嬢らしさが崩れない程度に飲み物を配るのを手伝う。


 そうしながら聞いたところ、ルカスさんはセルカ伯の息子さんではあるが、どうもお勤めの部署は違うところらしく、ここにくれば会える、というわけではないらしい。

 確かに家族が直属の上司というのは公務上なかなか面倒なこともあるだろうしそんなものか、と納得しつつも、口実であったとはいえ、普通にサラの去就を知りたかったスサーナはややガックリした。


 それでも、祭礼までの案件のうちの若手に任せたものは滞り無くと閣下にお伝え下さい、と片目を閉じてみせたセルカ伯に言われたので、きっとそちらのほうは問題なく進んでいるのだろう。



 過重労働と戦う部局の皆さまに別れを告げ、残りの包みを抱えて次に向かったのは

 当然お父様の仕事場だ。

 こちらもとても忙しそうで、たっぷりのサンドイッチはお父様だけではなく直属の皆様にも喜ばれた。


 こちらでは配膳の手伝いは流石にお父様の分だけに限られる。

 というより、隣室で食事をする間は人を通さない、というオペレーションを副官さんが徹底してくれているので、特に今日は直接の報告を持ってきたわけではないスサーナは、ありがたいような申し訳ないような気持ちになりつつも、お父様にお茶を淹れ、お疲れのところを労りつつ、宴の当日まで手持ち無沙汰で不安でと理由をつけて、残り数日の間のレオくんとテオの予定を聞き、余暇時間に彼らと過ごす許可をなんとか首尾よく手に入れたのだった。

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