第81話 奇禍と僥倖のあいだ 6

 先に立ってさくさくと歩く魔術師第三塔に、スサーナは早足で歩きながら声を掛けた。


「あの、何処に!」

「ここで話し続けるわけにも行かないだろう。それに石畳でそう不自然な座り方をされると拷問を思い出して気分が悪い」


 ――正座、拷問扱い!


「あ、じゃあ……どこか、座れる……お店とかにです?」


 魔術師の人が入ってもびっくりされないお店とかがあるんだろうか。そういえば前海賊市の辺りに居たのだから、あのあたりにはあるのかもしれない。

 スサーナは如何わしいパブめいた店をなんとなく想像する。

 ――こう、壁に謎の依頼の紙が貼ってて、ミルクでも飲んでな! って言われる……グレイヴィーソースとかのシチューが名物みたいな……薄暗い……それでエールがあって……チーズとかがとろとろしてるようなパンとかが……

 前世で読んだ洋ファンタジーによくそう言う系統の店が出てきていた、という連想から具体的なメニューを想像してしまってスサーナは空腹を自覚する。

 珍しい「そういう日」だから、遅く帰ったなら食事なしで寝てもしかたない。というよりそういう閉じこもる行事だと受け取っていたので、明日の朝食べればいい、と思っていたのだが、具体的な食べ物を思い浮かべてしまうと流石に食の細いスサーナでも駄目だった。


「いや」


 すこし振り向いて否定しかけた魔術師は、後を続いてきた少女が情けない顔で胃のあたりを押さえるのを見た。


「……」

「あっ、えっと、音聞こえました……?」

「いや……まあ、それでいいか。」


 少し広さのある場所を目指していたらしい魔術師はなにやら思い直すと、それからしばらく歩いたところの適当な路地で立ち止まる。

 他に誰もいる様子もないので、なんというか少し広くなっていないと立ち止まりづらい、というような庶民めいた感覚が魔術師のひとにもあるのだなあ、とスサーナはなんとなく感心した。ちなみに下級貴族の皆様にはなかった。


 フードを下ろす。面倒臭そうな顔と、深い万色の色彩の瞳、淡い蛋白石の輝きの髪が半ば露出する。

 ――綺麗なのになあ。

 スサーナが自分も普段はしっかり髪を隠している、というあたりを棚の上に放り上げて幾度目かの述懐をしているうちに、第三塔は自らの目の前へすこし長い光の軌跡を描き終わり、人差し指で髪を軽く弾いた。


 弾いたところから光の粒が流れていく。

 ――あれ? 髪の艶が……

 スサーナは一瞬首を傾げ、次の瞬間力いっぱい目を疑った。


「ええっ、髪、髪が、目も!」


 光が消えた後、魔術師の特徴的な色彩の代わりにそこにあったのはごく普通の色。

 白みの強い、とはいえ普通の金髪の範疇に入る髪と、水の色みたいな青い瞳。


「えっもったいない、じゃなくて、ズルい!でもなくって、ええっとどうしてるんですかそれ!」


 驚きのあまり思考が口から漏れているスサーナを胡乱げな目で見て、第三塔は首の後に手を回し、完全に金色に変わった長い髪を掴みだして雑にくくった。

 それでもやたらと男性にしては手入れがいいのは見てわかり、謎の違和感はないでもないのだが、ぱっと見はただのやたら綺麗なだけの男の人だ。


「欺瞞を掛けただけだ。」

「欺瞞……あっ、つまり偽装! えっとじゃあ普段どうしてそちらでいないんです!? フードをかぶっているより絶対目立たないのに」

「術式の複雑さと魔力の消費量に対して長時間保たないからだ。手間がかかる割に使いづらい。積極的に使う理由がある機会も多くはない。」

「ほへえ……」

「……後あれは別に魔術師であることを隠してはいないが。」

「えっ 髪の毛を隠しておられるのかと」

「……君ではその発想になるか。」


 魔術師は言いながらローブを脱ぎ、雑に畳むとそれに指で何かまた描く。

 するとローブが10cmほどの扁平なブロックに変わる。スサーナの知識でいうと、前世で見た圧縮タオルに似ている。


 第三塔はそれをポケットに放り込む。下に着ていたのは長めのゆったりしたシャツとブルーグレーのボトムで、やたら生地が良さそうなのを除けば、ぱっと見た感じだけでは普段そのあたりを歩いているお兄さんたちとさほどの大差はない。


 ――ふっ、普通!って言って差し上げたいところですけど、ゆったりとろんとしてるから目立ちませんがこのトップス縁取り以外完全無縫製! 糸妙に細いしマイクロファイバーじゃないですか!? どう見てもオーバーテクノロジー!


 スサーナが妙なところに引っかかっている間に、第三塔はざっと見た目を整え終わっていた。


「容姿は……今から変えるのも面倒極まりないな」


 ――顔まで変えられると!!


「なんですかそれ! 変装し放題じゃないですか!」

「君は何を憤っているんだ。さて、君は何色がいい?」

「はい?」

「髪と目。何色に変えたいかと」

「わっ私も変えられるんですか!」


 ぴょんぴょんと小さく跳ねつつなにやら憤っていた少女が一転ものすごく目を輝かせだしたのを第三塔は胡乱げ……とはそう言えない目で見る。

 これは、まあ、想像のつく歓喜だ。


「ええとええと、ええと!」


 何色にしよう! スサーナは頭を悩ませる。おばあちゃんや叔父さんとおそろいの紅茶みたいな赤みの強い茶色。フローリカみたいな美味しそうな杏色。


「あっ、じゃあ、そちらと同じで!」


 予想外の答えだったのか目をしばたたいた第三塔にうむ、と頷いてみせる。


「気づいたんですけど親子かきょうだいだと思っていただかないと通報とかされちゃったりしませんか」

「流石に……」


 この文化圏では無いやつかもしれない、とはいえ、もと現代人の感覚だとなんというかそこが気になる。やたら綺麗な容姿の男性が不審者扱いされる絵は、なんというかこう余計辛いものがあると思うのだ。


「まあいい、じゃあそうしよう。」


 魔術師の指が白い軌跡を描く。弾いた指が離れると、顔の横にある髪がみるみると金白色に変わっていくのが見え、スサーナは静かに興奮した。


「全部変わりました!?」

「ああ」

「おかしくないですか!?」

「違和感はないでもないが、見慣れの問題だろう」

「まあそれはお互いさまですので!」


 わあいわあいとはしゃぐ娘を魔術師はしっかりと捕まえた。

 ……浮かれたままで何処かに走っていかれては堪らない。

 スサーナは、どうやら6歳児ぐらいの動きの認識をされているような気がすることにうすうす気づいたものの、気分がとても良かったので目をそらしておくことにした。


「保ちは大体三時間ほどだ。気をつけなさい。君だともう少し短いかもしれない」

「三時間! とっても長くつと思うんですけど……」

「……同じ魔力量で飛空馬車を10年可動できる。」

「すみませんでした!」


 スサーナは手のひらを返して謝った。




 それからしばらくして、商業区の中ほどにある、席ごとに一応に区切りをつけたのが売りの居酒屋は、奇妙な客を迎えていた。

 妙に顔のいい青年と少女の二人連れだ。どちらも似通った輝かしい金髪と青い目をしていたので係累だろう。親子、というには年が近そうだったので年の離れた兄妹と見えた。


「わあ、実は私食べ物屋さんに入って注文して御飯食べるのはじめてで!」


 隅の方の席に落ち着いた彼らの注文の料理を運んだ店の親父は、妹のほうがはしゃいでそう言うのを耳にした。

 ――その年齢でそれかい? 貴族のお忍びかなんかかねえ。

 花蜜めいて耳ざわりのいい娘の声がなんとなく気に入ったのもあり、親父はしばらく耳を澄ませていたが、その後は言葉を交わす様子もなく、静かなものだった。



「おお……」


 並んだ料理を前にキラキラと目を輝かせるスサーナに第三塔は諦め顔で言った。


「食べながらでいいから話してもらえるだろうか。」

「あっ、はい! あ、でもいいんですか? 折角変装したのに、ここだと魔術っぽい話題が周りに聞こえてしまいそうな気もしますけど」

「問題ない。声は外に漏れないようにした。」

「はい、では……」


 スサーナは持ちかけた匙を置き、ぐっと力を込めて話しだす。



「なるほど。」


 第三塔はスサーナが話すあらましを聞いて頷いた。


「はい、それで、闇取引で魔力を使って結界が消えてしまうって言うなら、本島でもいっぱい魔力は使っていますよね、だから大丈夫なのかって思って、心配だったんです。」


 第三塔は短く思案する。

 そのクーロと名乗った魔術師が真実のすべてを話したわけではないだろう。

 だが、詮方無いことだ。彼ら魔術師は政治的問題を極力この土地に持ち込まないようにしてきた。事なかれ主義ではないとは言わないが、長生者がそのほとんどを占める魔術師にとっては常民のごたごたは短く首をすくめていれば過ぎる出来事に過ぎぬ。直接攻撃されれば報復するし、意志を見せはする。しかし積極的に関わることはしない。王の側近くにいる魔術師は助言者とも貴族とも振る舞うが、それは王権の認可のもとの行為で、島々とは事情が違う。


 例えば、諸島の魔術師が領地の後継者のどちらかを擁立した、とかそういう理解をされる前例が出来るのは避けるべきこと。

 領地一つの話と思っていればすぐに国一つの話になり、いつか数多の手が内海の真珠に縋る手をのばすだろう。

 ……古い者たちはそうして大陸が一つ焦土になった頃を知っている。


 弱腰だと言われようと大典決まりに異を唱えるなら手続きが必要で、得られるものは少ない。

 となれば、排除できるものが十分大きいならそれを排除してよしとするのは頭の良い手段だ。

……まあ、世事に疎い研究一辺倒の塔なら本当に気づいていない可能性もないでもないが。


「その魔術師」

「クーロさんです」

「……そのクーロと名乗った魔術師は、真実のすべてを話したわけではないね」

「えっ、そうなんですか」


 少女がきょとんと目を見開く。


「……本島以外の魔力の補給は、特に辺境の島の補給は居住している魔術師に任されている。そして地脈はそう急に増減するものでもない。減るにしても段階を踏む。……つまり、そのクーロという魔術師は」

「く、クーロさんは」

「サボりだ。 つまり、数回、忘れたかサボったか、地脈が枯れ果てるまで放置してあったんだろう。」

「さっ、サボり……」


 手をこまねいていた、のかもしれないが。

 第三塔は常民の関わる面倒くさい部分を抜いて端的に指摘する。

 ……それも真実の一端である。


「ううっ、なんか言いつけたみたいになってしまった……」


 スサーナががっくりと首を落とす。


「外周に住んでいる魔術師に負担を強いているのは判っているから、特に罪になるものでもないよ。魔物の侵入以前に対処してもらいたいのは確かだから、注意喚起ぐらいはあるかもしれないが。」


 補給を怠った事自体は罪にはならない。対処をする意志を見せている以上問題にするものもいないだろう。救援依頼があれば出向くし、結界が早期に復帰しているのならどうするものでもない。

 仕方ない事態ではあるのだ。特に魔力量の多くない魔術師ならば一度ごとに数時間単位での気絶、もしくはそれ以上の深刻な状況が発生しかねないうえ、自然な一時的増減とも判断がつけ難く、さらに対処できるシステムが回りだしてからさほどの時間が経過していない。辺境の塔なら後手に回るのは避けがたい。

 まあ、想像するに研究者肌の魔術師同族ならば『やばいなやばいなーと思ってはいたがあまり触りたくないので現実逃避的に研究に熱中していたらはっと気づけば地脈が枯れ果てて』というやつだろう。まれによくいる。



「つまり、本島ならばそう簡単にそのような事態には陥らない。」

「よ、よかった。あ……でも、前、第三塔さん、倒れられてしまってたじゃないですか。」

「ん? ああ、魔術師一人の魔力では補いきれない、と言いたいのか。それに備えて君も言った魔力卵というものがある」


 魔術卵が開発されたのは一年半ほど前のこと。

 結界のための魔力を地脈に載せる、その分を貯蔵した魔力で代行する。それだけのための道具である。

 関わらないための後ろ向きな努力に魔術師たちが知恵を絞った結果だ。

 開発過程と基本設計に彼自身それなりに関わっているが、まあそれはどうでもいい。


 だいたい起きた事情は把握した。上位塔が出向くような事態ではない、ということもわかった。聞き取りはこれで十分だろう。


「いやその、そう言ってしまえばそうなんですけど、なんて言いますか、こう、当番の魔術師さんがたは大丈夫なのかなって、その、ええ、まあもう問題ないならいいです」


 なにやらもぞもぞと言っている娘に料理を勧める。空腹だったものに料理が冷めるまで話し続けさせてしまったのは済まないと思った。


「本島と周辺部は万が一にも綻びが起こらないように幾重にも安全策を取ってあるから大事ない。……周縁地域も個人の負担が大きいのは問題だな。魔力卵を配布するように塔の集まる会議で持ちかけてみよう。君が恐ろしがる必要はない。 ……ああ、随分と喋らせてしまったな。料理、せめて冷めきる前に食べるといい。」


 あっと声を上げた少女がカトラリーを取り上げる。


「えっと、それじゃいただきます!」


 魔術師は見るともなしに豆と玉ねぎのスープに取り組む娘を見る。

 彼女はしばらく熱心に口をもぐもぐさせていたが、途中でふと目を上げ、妙に疑問げに第三塔を見上げた。


「どうか」

「ええっと、第三塔さんはお食べにならないんですか?」

「空腹なのは君だろう。」

「それはそうですけど。……もしかして、花とかしか食べられないなんてことは」

「そういうことはない。普通に食事もするが」

「あの、じゃあよかったらお食べになられませんか、お腹はすごく減っていますけど、こんなには食べられないです。もう夜も遅いですし。なんだか取り皿が二枚ずつありますし。」

「事情を聞いたぶんの対価のつもりだったが」

「じゃあ一緒に食べていただくのまで対価でどうでしょう!」


 卓上には平焼きのオムレツと焼き塩豚とオレンジのサラダが手付かずで残っている。

 第三塔は断りきれず半分を載せた皿を受け取った。

 双方、しばらく黙って食器を使う。

 少しして、豆のスープに勝利したらしい娘がよし、と気合を入れてオムレツに取り掛かった。


「……しかし、こんな時間まで食事もせずなにを? まさか魔術師を呼ぶ日は厨房に入らないとかそんな習慣があるわけではないだろう」


 問いかけたのには深い理由があったわけではない。少しだけ、子供が食事もせず夜中まで過ごすのは良くない、と感じはしたが。


「むぐ。あっはい、えっと、実は先ほどお話した闇取引の貴族の方をハメようと思って、その下準備に――」

「は?」


 存外間の抜けた声が出た、と第三塔は頭の何処かで思った。




 再度スサーナを問い詰めた第三塔はこめかみを抑えて頭痛をこらえるような気分になる。


「それは、君がするべき仕事ではないだろう」

「いえ、でも。その貴族に求婚を受けている子が、ご家族と関係が悪いみたいで、ご家族は縁談に乗り気で、それで」


 自分が責められているような顔をして首を振る。


「うまく行けば結婚話どころではなくなるでしょう、ですから」

「……それは、仮にその話が無くなったとしても、次の話が来るだろう」


 指摘しながら第三塔は思う。どちらにせよこの娘がする義務のない行為だ。あまりにお人好しが過ぎる。想定されている事は愉快とは思い難いだろうというのに。


「それは……でも、しばらく何も考えなくていい時間があるのは大事ですし」


 てこでも引かぬとばかりに首をもうひと振りされる。

 魔術師は言葉を続けかけて止めた。

 怯えたような思いつめたような表情。彼は瞑目して静かに息を吐く。

 流石に子供を問い詰めて泣かせる趣味はない。

 ……泣いたところで思い直しは絶対にしなさそうならばなおさらのことだった。



 黙って食事の残りを片付け、店を出る。

 塀の前まで戻って髪と目の欺瞞を解いた。今度は細心の注意を払って窓辺まで子供を戻す。


「あの、ありがとうございました。」


 一礼して中に引っ込みかけるのに、内心我が身に舌打ちをしながら声を掛けた。


「待ちなさい。四日後と言っていたね」

「っ、はい。」

「身につけていられるものはあるのか」

「へ?」

「あるなら貸しなさい。」


 目を見開いて右往左往した挙げ句に奥に駆け込んでいき、彼女はしばらくしてハンカチを一枚掴んで戻ってくる。

 娘が今度はベランダから落ちそうなほど身を乗り出すので第三塔はため息をついた。


「身を乗り出さなくていい。こちらに投げなさい。」


 受け取ったハンカチに荒く術式を書き込む。魔術師同族相手なら即座にわかる程度のなんの隠蔽もない代物だが、そんな場に同族がいるとも思えない。

 ちょっとした障壁を貼るだけの術式。

 認識があまりに甘いと思う。囮役なぞ引き受けて、相手を首尾よく追い詰めたとする。その際に相手が頭に血を上らせたらどうなる。

 囮に使おうとした人間は判ってやらせているのか、でなければ護衛か何かの能力を過信しているのか。どちらもか。


 ハンカチを戻す。効果を言いおいて帰ろうとしたところに声。


「あのっ、すみません!ありがとうございます、本当に……!」


 だから身を乗り出すなと言っているのに。

 なんだかどうにもイライラした魔術師は、帰ってさっさと眠ってしまうことにした。

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