第363話 スサーナ、うっかりミスをする。
その一瞬、スサーナは困りきっていた。
着替えを用意された部屋に入ったところまではまあまあ良かったのだ。
―――
その部屋は、なるほど休憩室らしい、という風情で、足元は裸足で歩けるような一段高い木床が置かれており、部屋の中は暖炉で良く温まっているようだった。
背もたれのないベンチソファが暖炉の前には置かれ、飲み物なども一緒に置かれている。
本土の慣習として、入浴後には体がしっかり乾くまではちゃんと着付け直すことをせず、一休みをするというものがある。
これはそこそこリラックスさせてくれる仕組みで、髪や服をちゃんとし直す前にしばらく放っておいてくれるというのが正式だ。
毛穴が開いている時に誰かが動き回ってホコリが立っているような空気に触れるのが病気につながるというのがその理由で、それでも一人か二人は女官がつくのかと思っていたが、誰もいない様子にスサーナはほっと息を吐いた。
――エルブエイ候夫人が付かれるのかと思っていたんですけど、そうじゃないんですね。
そのまま身の回りの世話をされるのかと思っていた女官は、先程から何処かに行ってしまっている。
入浴の前の着替えの際に一応”念のためセット”――念のため作成してある刺繍と裁縫セット、それから入浴中は外してあった護符だ――は小さな巾着に移し替えてからタオルにくるみ、手放さずにガッチリ手元に確保してあったのだが、流石に一旦置きたいと思っていたので好都合だ。
そろそろ宴席が始まるころだな、レオくんがあっちに行くことはきっともう今夜は無さそうだし、内廷で騒ぎが起こっているという風情もなし、などと、大型の柱時計――珍しいものだが、さすが王宮だ――を確認してほっとしたあと、スサーナは用意された着替えを漁った。
支度されていたのは、着替えのドレスではなく、スサーナの感覚だとちょっとギリシャっぽいかな、という感じの、膝上ぐらいまでのワンピース型トップスと七分丈ぐらいのパンツ。それにバスタオルを兼ねた布を羽織って留める、という一式だった。
前がカシュクール風になった短めワンピース風の上着というのは珍しく、とても楽そうなのでスサーナはおおとなる。フレアスリーブの袖も実に楽そうだ。下半身用のほうも、普段身につけるドロワーズ的なものより、言ってみればリラコだとかああいうものに近く、締め付けも装飾も少なそうでいい。
――これはかわいい……ワイルドシルクなんでしょうか。手触りもいい……
たぶんこれはお風呂後の休憩の専用の服なのだろうな、とスサーナは少し残念に思う。
――冬場は流石に寒いですけど、夏場はこういうものを着てもいいんじゃないですかね……
浴衣だって似たようなものからお祭りおしゃれ着になったのだから、そういう機運が盛り上がらないだろうか。上に羽織るのをバスタオルではなく、普通の布地のケープにすれば結構ちゃんとして見えそうだ。
スサーナは商機と、異国生まれという触れ込みを活かしてそういう格好を流行らせられないかと考えながらもごもごと着替え、小さめの鏡を見つけて全身を写してふむと考えた。
――おお、これはいい感じでは?
なんとなくギリシャ風の美少年、という風情の格好だ。今スサーナの頭は洗った髪に髪油を浸透させるために麻布できゅっと包まれているのでよりそれっぽさがある。
ちょっと仕立て屋の精神を思い出したスサーナはドレープの出し方や形の出し方を確認しながら頷き、くるっと回って後ろを確認しようと試みる。
「む……」
裾を掴んでぐりんっと回転したスサーナは、そのタイミングでかたんと大ぶりの衝立の一部が押され、キョトンとした顔のレオくんが顔を見せたのとすっかり目があった。
「スっ……」
なにやら口をぱくぱくしたレオくんは、そのまま後ずさろうとしたらしい。
布衝立に手をおいたまま後ずさったので、どうやらかなり軽かったらしい衝立がひっくり返り、バランスを崩す。
「わーっ!?」
「レオくん!?」
スサーナは間一髪、腕をぐるぐるとしてバランスを保とうとしたレオくんのシャツをひっつかみ、自分の方に引っ張り込むことで後ろに倒れて頭を打つという事故が起こるのを防いだ。
「せ、セーフ……」
スサーナが安堵の息を吐くのを他所に、レオくんは何故だかぎしぎしと固まってしまい、一瞬遅れてバネじかけのごとく飛び上がった。
「す、すみませんスサーナさん!」
「いえいえ、危ないですから気をつけてくださいね」
「いえ、あの、はい……」
レオくんの返答があまりにたどたどしく、急いで数歩下がったらしい様子にスサーナはちょっと首を傾げる。
ちょっとこちらに重心が掛かった姿勢ではあったが、服の前と腕を掴んで軽くこちらに寄りかかった程度だ。別に二人でひっくり返ったわけでもなく、なにか触れてはまずいところに触れられたわけでもない。慌てて飛び退るほどのことも無い気がする。
「どうしました? 足とかひねったとか……」
「い、いえっ、その、案内された部屋が、間違っていたようで……! 湯、湯上がりの姿を見てしまうなど大変な、そのっ」
「むう?」
確かにドレスに比べればやや薄着ではあるが、セパレートなルームウェアぐらいには十分体は覆われているのだ。足の出し方も太ももだなんてことはなく、ふくらはぎまで覆われている。
レオくんは頬を染めたまま目をそらし、ひどく慌てた様子だったので、ちゃんとこちらの姿を確認していないのかもしれない。
――別に足も出ていませんけど……? 慌てているから、こちらの格好が下着だけのように勘違いされたとか……?
「ええと、そうだったんですね。お互いちゃんと着替えた後で良かったですよね?」
スサーナが曖昧に首を傾げつつ、ちゃんと着替えているので安心してくれ、とアピールすることにしたのは、別に前世感覚ということでもない。
正直、女所帯であったおうちでも、このぐらい着ていればお家の中をウロウロしてもちょっとはしたないかなぐらいで済む程度のようにも思えるのだ。
「その、それはその……」
「ちゃんとした場ですとまずいですけど、まあ家族ぐらいならこの程度の格好でも……? 島の家ではこのぐらいは大丈夫だったのですけど、王都の基準ですとまずいでしょうか?」
「そ、そうですか……? ですが、その、慣れませんから……」
レオくんも柔らかそうなシャツとズボン姿で、現代感覚のぱりっとしたパジャマに近いものを身に着けている。特にタオル巻きなだけということでもないし、そこまで気にするようなものではない気がした。
「でも、お部屋間違いはさぞ驚かれたでしょう。部屋に自分一人だけだと思うとびっくりしますよね」
「そ、そうですね。女官に……別の部屋に案内せよと言えればいいのですが、スサーナさん側もお一人ですか?」
「ええ。この区画の外にはちゃんと皆さん居られるんでしょうけど、しっかり放っておいてくださるんですね。今日はずっと女官の方々に囲まれきりでしたから、少しホッとしました。レオくん、何か飲みます?」
レオくんが少し落ち着いた様子だったので、スサーナはこいこいと手招き、暖炉の前の長椅子にレオくんを座らせる。
「まだ髪が濡れておられる……風邪を引いたら困りますし、ちょっと動かないでくださいね」
スサーナは着替えと一緒に置いてあったタオルを持つと、レオくんの髪をわしっとタオルドライする。レオくんの方の服には羽織りバスタオルはついていないようなのは、男の子は髪が短いので髪の水気ガードの必要がないということだろうか。
「……! あ、あのっ」
「あ、ブラシもある。ちょっと待っていてくださいね、軽く整えて……」
ひととおりタオルドライを終えて満足したスサーナが離れたところで、なぜかびゃんと飛び上がったレオくんは自分の指でがさがさと髪を持ち上げ、あわただしく首を振った。
「そっ、その、スサーナさんがこちらは使われていてください!! 僕はその、まだ着替えの用意は出来ていないようですから……ちょっと自室に戻って着替えてきます!!」
「え」
タオルを持ったままぽかんとしたスサーナが止められないうちに、レオくんはそのまま衝立の向こうにあったドアを開けて飛び出していってしまう。
スサーナ側には靴はなかったのに、レオくんの方にはどうやらサンダルめいたものがあったらしく、裸足だし、と一瞬考えてしまったスサーナはレオくんを止めそびれたのだ。
「いやいやいやいや」
――レオくんをここにとどめておけば何かあっても巻き込まれないと思うんですけど、自室はちょっとまずくないです?
パーティー会場よりは安全のような気はするが、途中の廊下なんかで謀反人と鉢合わせでもすれば洒落にならない。
――パジャマみたいな格好で、豪華な服とかじゃなかったから安心していましたけどっ……!
前の予知夢の時、スサーナが夢に見た状況と、スサーナが魔獣を吐くに至った状況は少しだが違ったのだ。
レオくんがあの豪華な服を着ていなくても、流石に自室の方に行ってしまえば巻き込まれる可能性はある気がする。レオくんの言う自室がある場所は、つまり王族の私室が纏まっているはずだった。
それに、自室で着替えてしまえば、あの豪華そうな服になる可能性は、当然ぐんと上がるのだ。
ちょっと気を抜きすぎた。
スサーナは自分の格好を数秒だけ考え、ままよともう一足残されていたサンダルをつっかけてレオくんの後を追うことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます