第284話 偽物侍女、あちらを立てればこちらが立たず
「きゃぁっ!!」
「ーーーーっ!!!」
汚れ物を盛大にぶち撒けながらスサーナは声にならない悲鳴を上げた。
ほんとうはああーっとかわーっとか叫びたかったのだが、ここで全力で叫ぶとレオくんに正体バレしそうなのでギリギリ我慢したのだ。
「すみません、大丈夫ですか!」
スサーナは全力でぶつかってしまった相手の安否を気遣う。
激突の一瞬前に見えたのは熱心に修練場を見つめる同僚だ。
「スシー。」
その同僚……サラは尻餅をついた姿勢でぱちぱちと瞬きをした。
「ええ大丈夫ですわ。スシーこそ大丈夫?ごめんなさい。周りを見ていなかったの」
「お怪我がなかったら良かったです。私も前をちゃんと見ていなくて。」
差し出したスサーナの手を掴んでサラはよいしょと立ち上がる。
「まあ、大変。」
がさがさ洗濯物をかき集めるスサーナを手伝い、ふわふわと彼女も数枚の洗濯物を拾い上げ、よいしょーっと籠を持ち上げたスサーナと並んで歩き出した。
「この洗濯物はどこへ?」
「洗濯室です。あ、籠の上に載せてくれて問題ないですよ。載せ方を変えたので前は見やすいですから!」
「ええ。ああ、スシー、ここで会えてよかった。あのね、私午後はお休みをいただくことになったの。」
「ああ、そうなんですね。わかりました。午後の分代わっておきますから、ご心配なく。」
それでは少し大変になるなあ、と思いつつ、スサーナは午後の仕事を脳裏でおさらいする。運良く水運び関係がそこそこあり、水筒でぐっと時短できるのが幸いだ。
――じゃあ、昼休みに洗濯の手伝いをしようと思ってましたけど、それは申し訳ないけどさっと切り上げさせていただいて……。
少し時間が余りそうだからその間に何か齧ろうかな、などと思いながらスサーナはふとサラに問いかける。
「そういえばサラさんはご飯食べました? こんなほうで何をしてらしたんです?」
騎士たちの待機所のある一角は普段スサーナ達が仕事をしているあたりとはそこそこ離れている。なんだかうっかり洗濯女中たちから仕事を請け負ってしまったスサーナは仕方ないが、貴重な食事時間を浪費したがらない他の下級侍女たちがこちらにいるのは珍しいことだ。
サラはなにやら思案するような顔をして、それから何故か恥ずかしげに言う。
「ええ、あの、試合をしているとお聞きして……少し、見に来てみたの。」
「ああ、そうだったんですね。サラさんは剣術試合を見るのがお好きなんですか? それともお目当ての騎士様でも……」
「第五王子殿下は聡明で勉学にお励みになっているとお聞きしましたけど、お強くもあるのね」
「は、はい!? え、ええそうですね。レ……第五王子殿下、お強かったですね!」
ぎくんと足を止めかけ、とりあえずバランスを崩しかけた洗濯物を抑えながら赤べこめいてがくがく首を縦に振ったスサーナを他所にサラはなにか思案するように……いや、うっとり? とスサーナが二度見するなか声を上げた。
「これまであまり第五王子殿下はどなたかと浮き名を流すようなこともありませんでしたけど、どんな方なのかしら……」
「どんな方。といいますと。」
「どんなことがお好きとか、お嫌いとか……。普段は何をされておられるかとか……、どんな女性がお好みなのか、とか……」
ちょっとお!
スサーナはそっとぴゃーっとなった。
――いけませんよ! サラさんはそれはいい子ですけれども、レオくんにはミアさんが!!
同僚の恋というのはなかなか見ていて楽しそうなものだが、スサーナとしてはレオくんはミアがどうやら好きらしい、という証言を得ているのだ。正直優先度として高いのは最近すっかり身内認定をしたレオくんの感情の方だ。
まあ、ミアはテオフィロやアルトナルともとても親しそうだったし、なんだかテオもそのあたりまんざらではなさそうな気もしたのでもしかしたら早めに別の恋を探してもらったほうがいいのかもしれないが、まあ。
「そ、そうですねえ。最近結構ご公務の事務連絡が入ってきますねえ。狩りとか遠乗りとかのお話はお聞きしませんし、お真面目でらっしゃるんじゃないでしょうか?」
そのう、あまり贅沢する方という噂も聞きませんし? 王族らしい生活をさせていただけるという点ではええと……などとスサーナは一般的見地からオススメしないポイントを探そうと努力した。
「そうなの。スシー、お詳しいのね? ……お立場のせいで遠慮しておられるのかしら……。無駄に奢侈な方よりずっと好感が持てますわ。」
サラはなんとなくホッとしたように笑う。
ああっ、むしろ好感度を上げてしまった!! スサーナは顔に出さないようにがっくりしつつ、なんとか好感度を下げる情報はないものか、と頭を悩ませた。
レオくんは授業態度は真面目だし、好き嫌いもないし、下級貴族や平民を見下すようなこともなく、学院では学生の手本となろうと努力していたようだし。
こちらにきてからはぐったりうだうだする姿を見ることも増えたが、事情が事情なのでそれは普段の態度とはかけ離れたものだろう。一介の下級侍女が知っていそうな部分ではないし、噂として話したところで「まめしばみたいで可愛いわ」とか言われてしまうかもしれないのだ。
海が好き、とか、でも海の怪物であるところのヨドミハイは嫌いらしい、とかそのあたりは……もはやただのレオくん情報だ。相手がよほど海が嫌いならともかく、失点に出来る気は一切しない。
――おのれ、レオくん、もしかしなくても理想的な有望株ってやつですね……! わかりやすいマイナスポイントが思いつかない……!!
スサーナはそっと歯噛みした。品行方正、真面目で努力家な優等生で、身分が下の相手をも尊重し、女性に優しく、だからといって男性を軽視するわけでもない。ややインドア派かな、というのは武勲だの勇壮だのを評価しがちなこの国の上流階級としてはマイナスポイントかな、という気もしなくもなかったが、年上の少年に対する見事な一本を見た直後にはまったく説得力は無さそうだった。
「いえあの、一般的な噂ぐらいですけど。ええと、でも、こう、第五王子というお立場ですから色々大変だったりされるんでしょうね。王位とは遠いとお噂されておられますし?」
「ええ、でも大人たちは皆、この先わからなくなった、なんて噂していますわね。……ご苦労をされておられるのでしょうね……。」
全く牽制できている気がしないまま、スサーナは洗濯室にたどり着く。洗濯物を洗濯女に渡そうと声をかけると、否応なく中に引っ張り込まれた。
サラは苦笑をうかべ、一つ挨拶して去っていく。
――ま、まあ。こんな事を思うのもなんですけど、レオくん、王子様ですし。サラさんがいくらレオくんに憧れたかもしれなくても、レオくんがその気がなかったら全然、もう絶対お話することもないような立場の差がありますものね。
スサーナはそう考え、でも学院という特殊な場所だったけれど自分やミアはさらにその下の立場の平民だよね!!と考えてううんと眉をひそめる。
――いえ、まあ。学院でもレオくんにプレゼントを渡すご令嬢なんていくらでもいましたし。動揺する内容では無い気もしますけど……。
気に入った同僚の憧れを全く応援できない、というのは少しなんとなく精神的に良くないなあ、とスサーナはそっと溜息をついた。
考えながらうっかり洗濯に邁進してしまったため、午後の仕事には間に合ったものの結局お昼休みに何かをかじる時間は無くなってしまったようだった。
その日の午後遅く。
なんとか別の、いい感じの貴族の若君でもサラに紹介できる人はいないだろうか、などと悩みながら仕事をしていたスサーナだったが、そんな悩みがまるごと消し飛ぶような事態が起こる。
とうとう、「亜麻色の髪の乙女」探しの行事についての準備の司令が下級侍女たちに下ったのだ。
日付は急遽の……――官僚たちや貴族達には通達されていたのかもしれないが――明後日。「第一陣」の数名のお嬢さんたちを招待し、お茶会という形で歓談するのだという。
――とうとう来た。
サラの無害な憧れなどは問題ではない。問題はこっち、明らかに有害な相手が混ざるこちらのほうだ。
スサーナはそっと気合を入れ直した。
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