第156話 世界観右往左往 2

 授業終了後、ミアとジョアンと事務棟に採取実習の希望を出し終わったあとで。

 スサーナはさてと伸びをする。

 今日寝ずに授業に出てきたのにはスサーナ的にとても重要なわけがあるのだ。

 昨夜見た魔術師さん達の話をレオカディオ王子に聞くという重要なにんむである。


 午後まで寝て放課後だけ寮から出てくればいいような気もしたが、なんとなくそれは気まずい気がしたのだ。

 なによりまだ使用人部屋は落ち着かない。一人であってもうまく寝られない気がした。


 ミアと一緒に久しぶりに演奏室に向かう。

 ――まあ、演奏室に来ていらっしゃらないかもしれませんけど、男子貴族の寮のほうにはまず入れませんし、なにかお仕事をしてらっしゃるかもですし。居なかったらクロエさんのところに行こう。

 クロエは研究室を持っているし、学内に居る日にそこに居ないなら大抵図書館という安定感がある。最悪ドアに掲示もあるので居場所がわかりやすい。後回しにしたのは顔を合わせたら絶対しっかり仕事につきあわされるという嫌な信頼感があるためだ。


 ミアがはずんだ曲調の、青葉の月を祝う曲とやらを弾いているのをスサーナが少しウトウトしつつも聞いていると、最初、テオとアルだけがやってきたものの一旦テオが離席し、しばらくしてフェリスとレオカディオ王子を伴って戻ってくるなどした。


「スサーナさん。今日はお休みじゃなかったんですか」


 なんだか嬉しそうな顔をしたレオカディオ王子にスサーナはふわふわと礼をして、ああまあ今は雇用主が居ないからいいか、と恐れ入りますを省略して返答をした。


「はい、レオカディオ殿下……じゃなくて、様。ええと、エレオノーラお嬢様がお仕事だということでいらっしゃらないので、平民の教室の方で授業を受けていたんです」

「そ、そうでしたか。」


 ほにゃほにゃと笑み崩れた王子様にスサーナはそういえばですね、と言葉を続けた。


「恐れ入りますが、お会いした時にお聞きしたいことがあったんです。」

「はい、なんなりと。」


 頷いたレオカディオ王子に問いかける。


「昨日、夜、学院内で魔術師さん達を見かけたんですけど、いったいどうして魔術師さんたちが学院内にいらっしゃったのかレオカディオ様はご存知でらっしゃいますか?」

「ああ」


 レオカディオはあっさりと頷いた。


「埋蔵遺産調査会ですね。毎年この時期に学院の下にある遺跡の入口が開くんです。それで、遺失した古代の魔術なんかがあるそうで、例年調査に魔術師がやってくると聞いています。昨夜に到着していたんですね。今日レーナが休みなのはそういうことですか。」


 スサーナは目を見開いた。


「学院の下に……遺跡!?」


 学校内にほんとにダンジョンあった!!

 内心叫ぶ。まさか現実にそんな物があるだなんて思っても見なかったスサーナである。


「あるものなんですかそんなの……」

「? ええ、それは。入学式の時にお聞きになりませんでしたか? この学院は元々最も古い世代の魔術師が建てた城というか、住処と言うか、そういうものが要らなくなったあとでその上に賢者たちが建てたものだそうです。」

「あっ、確かに聞きました……けど……上に、建てた。」


 入学式の際の逸話とダンジョンのイメージが印象の中で一致していなかったのだ。

 スサーナにとっては魔術師の住処と言えば塔だったし、この学院はスサーナにしてみれば前世の大学、もしくはエスカレーター式大学附属一貫校のイメージにほぼ一致していたのでそんな物があるとは想像できなかった。


「ええ。もともと地下に続く城だったそうで、地上部に建て増しを沢山して、そして年ごとに土を盛り、整地して、そこに新しい建物をまた建てて、そうやって人が学べる場所にしたと。だからこの学院は未だに魔術師に縁ある場所なのだそうです。地下の内部は何か不思議なことになっているそうで。」

「なんかねえ、水気が出る土じゃないのにいきなり湖があったり、時間とかおかしかったり、勝手に道が組み変わったりするんだってー。」

「ほへえ……」

「ボク報告書見たことあるんだけど、星のめぐりかなんかで戸が開くんだってさー」


 ほんとにダンジョンだ。スサーナは感心した。


「あ、えっ、エレオノーラお嬢様はそれで、その魔術師さん達のおもてなしを?」

「はい。今晩あたりからの宴席と、あと一応全体の予算管理の統括もかな……そちらは名前だけのはずですけど。ガラント公は国内の安寧維持を任される方ですから。魔術師達の綏撫すいぶも使命なんです。」

「はー、そんな役職が……」


 魔術師はお化け扱いされているばかりかと思っていましたが、国家やるじゃないですか。

 スサーナははじめて国家の魔術師への対応に感心した。

 どうやら兼業らしいお役目だが、スサーナにしてみれば専門の官職があったっていいぐらいだと思う。ともかく魔術師を敬うための役職があるのはいいことだ。

 国家と人民はもっと魔術師を敬うべきなのだ。


「じゃあ、魔術師がここに来ているのですね。……僕ら学生と顔を合わせることはないのでしょうか。」


 アルのつぶやきにスサーナも頷いた。


「あ、私もそれは知りたいです。じゃあこれからの時期は魔術師さん達が普通に学内にいらっしゃるんですか? 例えば食堂に行ったらご飯を食べてらっしゃったりします?」


 勢い込んで聞いたスサーナの言葉に、アルがなんだか嫌そうな顔をして、どうやら魔除けと思われる仕草をした。


「……それは、困りますね。嫌だな」


 む。


「そんなことはないと思いますよ。昨日話したように彼らは気難しいですし。宴席の食事……常民と同じものを食べることもないようですし、彼らに割り当てられた特別棟から殆ど出てくることもありません。僕ら常民と顔を合わせようとは思っていないのでしょう。」

「そうですか。安心しました。」


 むむ。


 個人の好き嫌いに口を挟むのは無作法だとわかってはいるが、スサーナは寝不足で判断力が落ちているのを言い訳にすっとアルのそばに寄った。


「アルトナル様、もしかして魔術師がお嫌いです?」


 あんなにすごいのに、と微妙にふくれっ面になっているスサーナにアルは意図を完全に取れないという顔できょとんと少し首を傾げ、それからふにゃんと苦笑してみせた。


「そうですね。言ってみれば。魔術師は不吉なものと扱われていますので。」

「不吉! あんなに便利ですごいのに……」


 失礼にならない程度にぷすーっとなったスサーナにアルはなんだかすこし驚いたような顔をして、それからすこし翻訳すべき単語を探すように中空を見つめた。


「どうしたの? 何の話題?」

「魔術師さんはすごいんだけどなあ、とでも申し上げましょうか……ええと、アルトナル様が魔術師がお苦手みたいなので。」

「スサーナって、魔術師好きなの?」


 演奏を一通り終わらせたミアと、なにか記録を取っていたテオが一同のもとにやってくる。


「それは……珍しい趣味だね。怖くないの?」


 ミアに続いてテオまでが首を傾げた。スサーナはやや追加でぷすーっとなる。


「珍しいとまで! 魔術師さん達がいなかったら便利な道具なんてなにもないと思いません? 護符とか全部魔術師さんが作ってらっしゃるわけですよね……」

「わあ……スサーナがこんな勢い込んでるのボク始めて見たんじゃない? えっ、なんでそんなに魔術師の肩を」

「ああ、スサーナさんは諸島のご出身なんですよ」

「あっそっかレッくんが去年の夏行ってたオバケ島!」

「オバケ島!?」


 スサーナは島の呼び名もさることながら全体的に魔術師贔屓をする人が誰も居ないことに少しショックを受けた。

 そこに考えていたアルが言葉がまとまったようで口を開く。


「えー、考えてみれば、嫌いなのかどうかは少しわかりませんね。そのことを考えたことはなかったのです。僕のところで、魔術師を不吉とするのは、昔とても不名誉があったので、そのためです。」

「不名誉……っていうと穏やかじゃないねー」

「はい。」


 スサーナがオバケ島を繰り返したのに不味いと思ったのかフェリスがアルの言葉に食いつく。

 アルが頷いた。


「王家の不名誉です。だから、あまりいいイメージはないです。忌むものとしてきたので、魔術師と聞いたら良くないモノと思いました。すみません」

「あっいえ、こちらこそすみません、謝っていただくことではないんです。ええと、皆さん結構魔術師さん達を苦手としているので……そう怖くないのになと思っていまして……」


 律儀に謝ったアルにスサーナは逆に慌ててぺこぺこと頭を下げる。

 アルはいえいえ、と笑って手を振った。


「怖いと言いますか、僕の曽祖父の時に、王家に魔術師が生まれたことがありましたので、それから国では魔術師が忌まれているのです。」

「そういう……ものなんですか?」

「はい。王位を継げる子供が長く居ない時のことです。褒美が貰えるはずだった側室が生まれたのが魔術師だということを隠したので。それで跡継ぎが出来たはずが、本当は居なかったので、とても揉めたのだそうです。」

「ああー……そういうことか。代替わりの承認、イケると思ったら無理だったのか。そりゃヤバいねー。スペアどころか他の後継一人も居なかったんだねぇ」

「それは宮廷の方々はさぞや青くなったことでしょうね……」


 フェリスとレオカディオが何かしみじみと頷きあった。テオも何か納得したような顔をしているが、ミアはいまいちよくわからないような顔をして、側室の人の浮気……ってことなのかな? などと呟いている。スサーナもなんとなく契約とかの関係かなと思いつつも王子たちの感慨は良くはわからない。


「はい、とてもいろいろなことがあったそうです。そのために、魔術師は不吉の象徴のようなことになっています。ただ、今よく考えれば便利ですごいと言われればそうなのですね。言われてみれば僕のつけた毒を防ぐ護符はヴァリウサを通して魔術師に作らせたものです。」


 暗殺から貴人を守る護符は魔術師にしか作れるものではない。

 魔術師が「王の友人」として居る国は、護符を周辺国に融通するというだけでも結構に強気な外交手段にできる、というぐらいに代替のない技術だ。


「意味なく恐れるのは失礼だったかもしれませんですね。異国には来てみるものです。こちらでは魔術師を見ても悪いことが起こるとは思わないのですね。便利と言うとは。国ではそのようにいう人は一人もおりませんですから、考えてもみなかったことです。」


 アルが感慨深そうに言い、うーんとそれに腕を組んだフェリスがなんとも言えない顔をした。


「見聞を広めるとはこういうことなのですね。ずっと不吉だと思ってきましたので、眼の前に現れれば恐れるかもしれませんが、そうならないといいと思います」

「確かに便利だけど……得体が知れないってのがこっちでも主流だよう。感動してる所悪いけど、ヴァリウサの一般的感想っていうより特殊な意見だよ……まあ、嫌だなーって思ってるより落ち着かない気持ちは減るだろうからいいことなんだけど。」

「そんな特殊なことはない……と思うんですけど……」


 スサーナがそうっと主張する。

 実のところあまり否定しきれない部分はないでもない。

 本土ではオバケ扱いだし、島ではヒグマ扱いだし、皆もっと敬ってもいいと思う。


「オバケ……じゃなかった、諸島ってホントに魔術師が普通なんだねえー」


 フェリスが感心したような声を上げ、ミアが好奇心に負けたという風にそっとスサーナに問いかけた。


「そんななの? ねえスサーナ、魔術師が沢山いるなんて、ヒキガエルにされちゃったりしない?」

「魔術師さんの方にもそういう話あるんですね……」


 漂泊民のほうにもヒキガエルにする魔法が出てきたのを思い出したスサーナは遠い目になった。何故皆超自然と言うとヒキガエルにされたがるのか。


「されないですよう、そんなことされませんよう」


 抗議の鳴き声を上げたスサーナにレオカディオが苦笑する。


「諸島では魔術師達は街中に店を持っていましたし、受容されていましたよ。」

「そうなんだ……スサーナの故郷っておとぎ話みたいな所なんだね」


 感心した様子のミアにスサーナは普通のところですもんと主張しようかどうしようか迷い、一応やめておいた。


「まあ、ええ、とりあえず、ヒキガエルにされないにせよあまり不興を買ってもいけないことは確かですよ。しばらくは魔術師達が学院の中に存在します。顔を合わせることはほぼないとは思いますが、彼らの不興を買うことがないよう北東の奥の特別棟にはみだりに立ち入らないよう掲示されますし、気をつけないといけませんね」


 レオカディオが話を引き取り、元の路線に戻す。


「そうそう。なにか不祥事でもあったらレーナが怒って湯気吹いちゃう。」


 フェリスが頷き、少し動きを止めてからああ、と言った。


「湯気吹くって言えば、スサーナ、レーナの前で魔術師褒めたら駄目だよ。」

「えっ、駄目です? ……ああ、宴席が虚無なんでしたっけ……。」

「それだけじゃないんだけどね。彼女、魔術師が嫌いだから」


 テオが言葉の後を引き取る。


 スサーナはそんなあ!となった。


「ああ……人それぞれなのですね。」


 アルがふむふむっ面をする。


「うちのお役目とかね、いろいろあって。レーナはああいう性格でしょ。」

「……そのうえ今回急に責任者を任されたし、特にね。やりたくない仕事だからよけい嫌い感が高まって苛烈になるだろうし、絶対いいことないよね。」


 フェリスの言葉にテオがしみじみとした顔をして頷き、向かいに居たフェリスが、なぜか、「あ。」という顔をした。


「何がいいことがないと?」


 後ろから噂のエレオノーラの声がしたせいでテオがぴょんと跳ね上がった。


「レーナ。」

「エレオノーラお嬢様。」


 スサーナは何食わぬ顔で深々とお辞儀する。


「皆様やはりこちらにいらしたのですね。」

「レーナ、お疲れ様。いまあなたの仕事のことを話していたんですよ。」

「ありがとうございます。まあ殿下、そうだったのですか。」


 エレオノーラは小さく肩を揺らし、皆のところまで歩み寄ってくる。


「心配していただけるのはありがたいですけれど、テオ。わたくしはやりたくない仕事でも必要なことは行いますよ。何の意味もないとは思っていますけど。」

「ああ、聞こえていた?」


 テオが小さく首をすくめた。


「ええ。……ですが、任されたのも悪いことばかりではありません。あの不愉快な宴席を合理化するチャンスです。何の意味もないことですが、行わなくてはならないのはわかります。ですが予算のカット、料理の削減、人員整理、いろいろ出来ることはありますわ。」

「レーナ、魔術師達はどうせ気にはしないでしょうが、面子というものもありますから、ほどほどにお願いしますね」


 レオカディオが苦笑する。

 ――食べない宴席なんだからまあいいんでしょうけど……それでもなんというか、思いつきで聖域なき構造改革されるのも……いえ、ええ、食べないんですし。ええ。なにか言うことじゃないですよね、ええ。

 スサーナはぷすーっとなりながらもかしこく黙っていることにした。


「ええっ、あの、パーティー……を、簡単にしちゃうんですか?」


 ミアがちらちらスサーナを見たあとでそろっと声を上げた。エレオノーラはふんと鼻を鳴らして尊大そうに彼女を見、威圧的に続ける。


「無駄ですからね。愚かな平民は何も知らずとも仕方ありませんが、魔術師を迎える宴席。必要のない最たるものでしょう。」

「そ、そうなんですか? 魔術師、怒っちゃったりするんじゃ。大丈夫なんですか?」


 あちゃ、今の感じグイグイ行くならスサーナだと思ってたんだけどな、とフェリスが小声で漏らした。


 エレオノーラはミアをじろりと睨む。


「怒らせたからと言ってなんになるのです。本来国内に住まいするものは皆王家に恭順するという態度を示すべきなのですよ。それをあのような横柄な振る舞いを許す大人たちも大人たちです。代えがたい役割など護符ぐらいなもので、熱意を持って王にお仕えするわけでもない。そんなに魔術師が有用なのなら制圧して国家のために働かせるべきではありませんか! 実際そう言っている者たちもどれほどいることか。そんな弱腰なことだから宴席一つとっても軽く見られますし、皆からご機嫌取りだの旧弊なお役目だのと……」


 否定しかけたエレオノーラは途中で何らかの琴線に触れたらしい。棘のある声でイライラと言いつのりかけ、それから咳払いをして扇を開いた。


「レーナー。おちついてー、それボクらの前以外で言っちゃダメな奴だからねー」

「レーナ、今晩は残りの仕事を人に任せてゆっくり休みましょう。沢山疲れているんですよ」

「失礼致しました。わたくし、本当に疲れているようです。」

「根を詰め過ぎちゃ駄目だよ、レーナ。なにか甘いものでも食べようか」

「お疲れは良くないです。今菓子を持っていればよかったのですが。」


 恥じ入るエレオノーラに皆が優しく声を掛けた。


 なぜかレオカディオ王子が前に回り、さりげなくアルに肩を抑えられつつ後ろでスサーナは遠い目になる。

 ――わあーお嬢様ーそれは一般的に過激思想と言いませんかー。

 嫌いな理由はとてもよくわかった。

 王を頂点としたヒエラルキー外の存在に思春期女子の潔癖力と貴族思想が相乗効果を起こしてエラーを起こしているのだな、とスサーナは理解する。

 ――それ以外にもなんだかいろいろありそうですけど……。宮廷って大変そうだなあ。

 大人になるまでになんとかうまく飲み込めるようになってほしい。


 しかしちょっと意欲を持ってもてなしてくれたらいいのになあ、少し残念だ。

 スサーナは無茶ぶりの一種なんだろうなあ、これも、と薄々理解しつつ、それでもなんとかならないかなあ、と思案した。


 ――宴席が無駄にならなければちょっとはマシなんですかねえ。

 エレオノーラが昨日不機嫌になっていたのはそこだ。多分魔術師嫌いの幾分かはそそういう要素由来だろう。さっきの言葉からすると軽んじられ感がダメな気配がする。

 とはいえ魔術師たちが一体何を思って宴席をスルーしているのかわからない以上どうしようもない。


 ――とりあえずエレオノーラお嬢様のご機嫌を保つようになにか……なにかあるんですかね……


 なにか彼女の喜ぶようなことを、と思ったがそれはそれで思いつかない。


「す、すみません! 高貴な人たちのご心労のこととか、私全然知らなくて……でも、国のことをこのお年でしてるのは本当に凄いなと思います! えっと……甘いものって言ったらスサーナがとってもすごいんですよ! 雲みたいなケーキを焼くの!」


 眼の前で令嬢が涙ぐみながらブチ切れたのを目撃してしまい、アワアワしたミアが慌てて振ってきたのにスサーナはぴゃっとなる。

 しかも出過ぎた事を言ったらしいことに気まずげなエレオノーラが乗ってきたのでたまらない。


「あら、そうなのですか。卑しい平民でもケーキを焼くことがあるのですね」


 ケーキは卵を使うしオーブンも大きな物が必要で、一般的には平民階級はほとんど口にできないお菓子である。小さな竈しかない民家で焼くのは珍しく、精々数年に一度単位の祝祭日に周到にパン屋に注文して買うものなのだ。それも全粒粉に干し果物や獣脂、サワーミルクなどいろいろ入れて蒸し焼きにした、プディングに近いものや重い粉のケーキが一般的。

 島では確かに頻度は少なかったもののたまに焼いたのでスサーナはそんなことをすっかり知らず、その事を知ったのは腕を筋肉痛にしたネルにぼやかれた際だった。


 ……寄宿舎内ではスサーナは製菓の腕を買われて貴族に雇われていったのじゃないか、ということになっている。

 故に、ミアがここでスサーナのケーキを推すのは仕方がない。

 しかし。


「あ、いいなー、ボクも食べたい。今から焼かない?」

「その、いいですね。レーナ、どうです?」

「碌なものが出来るとは思いませんが、そうですね。殿下達がよろしいなら。わたくしも甘いものは欲しいかもしれません。」


 空気を変えたかったのか、フェリスとレオカディオ王子がぱっと乗ってきたのでスサーナは目を白黒させた。


 ――しかも絶対ないだろうと思っていた御本人からの同意が入っちゃった!!!!

 確かにエレオノーラの機嫌をインスタントに治すには甘いものはいい考えだ。美味しいケーキならなおのこと。


 ところで、そんな文化で技術的制約もあり、そういう種類のケーキが一般的な状態で、空気を多く含ませたエアリーなケーキなど市場にあるはずがない。


 現代日本由来のケーキを、お偉い貴族に見せるべきか否か。

 受けないのも問題だが、受けが取れても相手が相手なのでなんとなく面倒の予感がする。

 ――これは、やるべき? 隠すべき?

 スサーナは頬を引きつらせてなんとかごまかし笑いを形作った。



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