第158話 食材事情右往左往 2

 馬車に戻ってから卵をまじまじと日に透かす。

 スサーナの予想通り、布の下に隠してあった分は比較的だったらしい。

 ちゃんと日に透けるし、殻もざらざらしている。

 傷んでいないのは当然として、新しいものでもあるらしい。

 卵は日持ちのする食材という認識が強く、めんどりが産んですぐ奪えるとも限らないので真新しいものが手に入るかは比較的運の要素が高い。

 今日のスサーナは、と言うべきか、あそこの仕入先は、と言うべきか、なかなか運が良かったとみえる。


 みなS玉サイズで持った感じ殻が薄め、さらにいわゆる斑点が出ていたりデコボコがあったりするものばかりだが、鮮度が悪いものやヒビがあるものは混ざっていない。

 若い雌鶏の卵だろう。


 こちらでは、迷信上、というべきか、卵を完全性の象徴とする信仰があるので形の悪い卵は好まれない。そういう理由で安かったものだろうと思われた。

 ――さすが料理人。選別の目利きはちゃんとしてるんですね……。……卵はコレでいいとして……


 問題は粉だ。

 明らかに湿気た場所に長期間放置された上、ねずみあたりの被害を受けていたあの粉――あんまりの色の悪さにもともと麦角などのクリティカルにダメなものも混ざっていたんじゃないか、ぐらいの疑いもスサーナ的にはある――よりもあとに出てきた粉はマシなものだったとはいえ、正直いい品であるとは言いがたかった。


 最初の粗挽きでふるいにかけてあってふすまを除いた形跡のある、全粒粉ではない手間のかかった粉なのだが、それが逆に悪い方に作用している、と言うべきか。

 一番粉を取った後の二番粉、もしくは三番粉なのだ。

 全粒粉は全部挽いてしまうだけで一番うまい部分は含まれているのだ、という負け惜しみがあるらしいが、スサーナはなんとなくそれを思い出した。

 ――それでも四カップぐらい貰ってはきましたけど、悩ましいところですよねえ……。

 元の麦もあまり上等の麦という感じはしない感じの粉の触感なので、練った時にどうなるか、味のクセはどうか、と考えると上級貴族達(しかも王族含む)の口に入れるのには憚られる。


 スサーナはしばし悩み、荷馬車の手綱を取った担当者さんにお伺いを立て、快諾されたのをいいことに市場に向かってもらうことにした。

 自分の用件なら流石にやらないが、間接とは言え雇い主のおやつに関係することなので許してもらいたい。



 夕方の市場はほとんど品物は残っていない店がいくつもある。店じまいしている場所も多い。

 生鮮品をそこそこ遠い場所から運んでくるという店が多いためだ。

 とはいえ乾物はそれなりにある。

 さらに、スサーナが狙っているのは夕方に集まってくる農家のおかみさん達の出す無許可市だ。

 市場の前の広場に近隣の農家のおかみさんたちが仕事が一段落した後に敷物一枚やら荷車やらに収穫物のあまりだのジャムだの、小銭になりそうなものを置いて売っているのだ。

 市場は許可証を買って出店する場であるので本当は良くないことなのだろうが、規模は精々多くて荷車一つ、いわゆる井戸端会議の場という側面も強く、街の方も黙認している。


 実のところ最近出不精でほとんど市場に詳しいわけでもないスサーナだが、先輩たちによってその手のお得情報はそこそこ聞いてあるのだ。

 前回牛乳を手に入れたのもこの無許可市まわりである。



 流石に卵はなく、白い小麦粉もなかったが、スサーナは「だいぶマシ」な全粒粉をいくらかと、バター、そして煮詰めた生クリームと牛乳を手に入れた。


 まあこれでなんとかしよう、と考えたスサーナだが、道端に丸太を椅子代わりに座り込んだ農家のお母ちゃんらしき人に声を掛けられて考えを変えた。


「お嬢ちゃん、どうだい、さっき鳥の上前刎ねてはたいてきたとこだよ。」


 気の良さそうな小母さんが前に据えた大籠には葉っぱが雑に混ざった赤黒い小粒のさくらんぼが山盛りにされている。


 一つ味見をさせてもらった所キューッと酸っぱく、生食には向かないサワーチェリーだと思われたがエグくはなかったので良しとした。


「ひとザルぶんお願いします!」


 即断してザルに一杯分買い込む。

 ――ええと、これならええと。

 予想外の収穫にスサーナはレシピを刷新することにした。


 乾物屋に寄ってもらい、荷馬車に揺られて学院に戻る。

 それからスサーナは荷物を抱えてまず貴族寮に向かう。

 すると、マレサが寮の厨房のオーブンの一つを使ってもいいという許可を取ってくれていたので喜び勇んだスサーナは、寄宿舎に製菓道具と材料を取りに向かった。

 個室に付いている台所は小さく、ちゃんと個室で石造りであるものの流石に十分な大きさのオーブンは付いていない。

 正直スサーナは寄宿舎の設備を借りようかと思っていたが、何か平民嫌いのエレオノーラお嬢様に不興を呈されたら困るなあ、と思っていたのだ。その心配がこれでなくなった。


 スサーナは厨房の方にお礼を申し上げると、端の調理台を借りて材料を広げ、お菓子を作りにかかった。



 水筒の水をそっと洗い桶にあけ、さくらんぼを洗う。

 柄や葉を取り、種を抜いたら深皿に入れて砂糖をまぶし、蒸留酒チェリーブランデーを振る。

 手が空いている料理人が何か手伝おうかと声を掛けてくれたので素直に大喜びしてアーモンドを丹念にすり鉢でおろしてもらった。

 陶器の焼き物器にバターを塗り込め、こちらにも砂糖を振る。


 ――味の方は砂糖で攻めていくことにします!


 雑味のない甘さには貴族であれ本土の人間は慣れていない。

 島で売られる最高の白糖は多分ほぼ純粋なショ糖結晶だと前世の知識は教えてくれるが、島でもふつうは砂糖と言えばモラセスを抜ききらない赤砂糖だ。これは本土でも同じことだろうとスサーナは思うし、実際本土に来てから見る甘味料はほとんどが蜂蜜と糖蜜で、赤砂糖なんて寄宿舎では見かけない高級品ですらある。


 スサーナは蜂蜜やヤシ糖、黒糖のくせのある甘みも嫌いではないし、精製度が高いから美味しいとは単純に思っていない。どころか北の諸国で取れるというカエデ糖メープルシュガーにはむしろ高級感を感じるのだが、今回は白糖の癖のない甘みを前面に出して攻めるつもりだ。

 甘味料はたいがい使いすぎるとひどいことになるが、魔術師の気まぐれの白糖はグラニュー糖に似てすっとした甘みで、濃淡を持って舌に触れさせる分にはやや多くても悪くない。


 卵を割り、傷んでいないのを確認のちにこれも白糖を入れてほぐす。

 ちょっと味見をして風味がヤバくなく、蒸留酒での風味付けで誤魔化せる範疇であることも確認する。

 ……貰ってきた場所が場所ということもあって舐めて平気じゃない可能性もあるので、抗生物質があるという安心のなせる手段である。


 精製小麦粉を少しと、おろしたアーモンドをいくらか。これに牛乳を少しずつ足してなめらかになるまで混ぜ、溶き卵を混ぜる。それから残りの牛乳を卵液に入れて更に混ぜ、ダマを取るために漉し、更にそこに溶かしバターと生クリーム、それから風味付けの酒を入れて混ぜた。


 ――いい小麦粉が少ないなら小麦粉を殆ど使わないレシピにしたらいいんです!!

 それがスサーナのたどり着いた結論だった。

 ついでに言えば、これはメレンゲを泡立てる必要もないのでネルの腕を酷使する必要もない。混ぜるのだって泡立て器は必要ないし、いいことずくめだ。


 彼女が作ろうとしているのは前世で言うクラフティーだ。

 似たようなものはこちらにもあるだろうが、よく考えてみると求められているのは「美味しいケーキ」であって、新規性のある菓子を作れ、と言われたわけではないので何の問題もない。


 ――ただ甘いだけだと飽きますけど、さくらんぼが十分酸っぱいですし、組み合わせ的には問題ないはず!


 器にさくらんぼを並べ、生地を流し入れてオーブンに入れる。

 なんだかちょこちょこ手伝ってくれた料理人さん達がなにやらワクワクした顔をしていたので、少し余裕があったのをいいことに小さい器でもう一つ分足して、二枚。


 大体半時間待って出来上がりだ。

 その間に見に来たマレサに声を掛け、皆がどこで待っているかを教えてもらいつつお茶などの菓子に添えるものを向こうで用意してもらった。


 オーブンを開ける。黄金色に淡く焦げたクラフティの表面が見える。加熱された果物の甘酸っぱい香り。スサーナはこちらにバニラがなくていつもながら少し残念だと思う。

 軽く串を刺して焼け具合を確認。焦げ過ぎということもなく、生すぎるということもなさそうだ。おおむね成功といってよかろう、とスサーナは判断した。

 あつあつを取り出して、少し冷ます。


「ええと……場所を貸していただいてありがとうございました。後、手伝っていただいてとてもありがたかったです。素人の作ったものなので美味しくないかもしれませんけど、よろしかったら、お礼代わりに……あの、頂いて頂けたらと」


 小さい方の器を示してスサーナが一礼すると、ちょくちょく気にしてくれた料理人さん達のうち、地位の高そうなおじさんが破顔した。


「喜んで食べさせてもらうよ、いやその若さで感心だ。手際もいい。料理人にしたいぐらいだね。」


 言って器を覗き込む。


「しかし卵のパイかい。果物入りとは珍しいね」


 ――おやあ?

 スサーナはあれ……?っとなる。どこの地方にもありそうな物だと思ったのに、なんだか珍しそうな反応をされた気がする。


「ええと……お菓子なんですけど、このあたりでは珍しい……です?」

「ガラント公様のお嬢様のところの使用人メイドなのだっけ? 外国の出かい? 卵をこれだけ使うものはあまり見ないねえ」

「いえ、国内なんですけど……そ、そうでしたか」


 貴族たちは卵をよく食べるし、料理にもバリエーションがあるし、卵液に具を足したオムレツもいろいろ見かけたことがあったため、このぐらい普通だろうと思っていたのだが、どうもちょっとお菓子としてはめずらしいのだろうか。

 たしか前世ではこれは中世起源の料理だったはずなのだが、そういえば似たような風土でも切っ掛けが一切無ければ似たような料理ができあがるという道理は無いのだ、ということにスサーナはいまさらはたと気づいた。

 お嬢様に受けるかどうか、いきなり不安になって料理人を見上げる。

 一番いいのは程よくふーんぐらいに受けることなのだが。


「……甘いものを作るようにと命じられて作ったものなんですが、地方の料理ですもので、もしかしたら貴い方のお口には合わないかもしれないですね。ちょっとあの、食べてご感想をお願いできますか?」


 このうえなにか小細工は出来ないかと悩み、砂糖を振ってブリュレみたいにカラメルにするのはどうだろうと思いついたスサーナだったが、流石に試作なしでそういう事をするのは血迷い過ぎだろうとやめた。どうせ底に敷いた砂糖は熱で溶けてカラメル状になっているはずなのだ。


 料理人さん達のために作ったほうから一切れ切り出し、試食を頼む。

 快諾してくれた料理人のおじさんはフォークでざっくりと生地を切り取り、口に入れた。


「ふうーむ、ふむむむ……」


 咀嚼して唸り、飲み込んでもう一塊口に入れて口をモゴモゴさせ、しばらく咀嚼する。そして何やら一つ大きく頷いた。


「うまい! これは旨いよ! どこの国の料理だねこれは!」


 固唾をのんで見守るスサーナに目を輝かせた料理人のおじさんが叫び、おおっと周囲の料理人達がどよめく。


「え、ええと! アウルミア……でしょうか!」


 ぴゃっとなったスサーナはとっさに誤魔化した。

 多分文化風土気候を考えるとこのあたりというよりアウルミアのあたりが近いのではないか、という場所の菓子だから非常に広義では嘘はついていない、いないと言いたい、言えないこともないかもしれない。


 誤魔化したあとであっ、チートうはうは!と思い出したもののまあいいかと諦める。きっと探せばそのあたりの何処か狭い範囲で作られていそうな気はスサーナとしてはまだしている。

 こちらまで伝播していないだけかもしれないし、もしそうだったら大きな顔をして自作レシピですなんて言ったらあとあと恥をかくかもしれないのだ。

 というか、実は近隣に類似レシピが有りました、ぐらいの結果が出るぐらいが丁度いい。程よく受け、そして程よく月並な菓子だと判断されるのが最良ではなかろうか。


「なるほど、なるほどなあ」


 料理人のおじさんは唸りながら菓子を口に運び、また唸った。


「卵というとボソつきがちだがクリームを足して滑らかにしているわけだな。生臭くて菓子には向かんと思っていたが香りの強い酒と果物、ふうーむ。」

「冷やすともっと卵の匂いは目立たなくなりますよ。暖かくても気にならない程度だとは思いますけど」


 こちらで卵が生臭いと思われているのは、貴族用の鶏は滋養を高めるために魚の煎り粉で養われている、という噂が正しい、つまり動物成分を餌にしている度合いが高いか、でなかったら真新しい卵を使うという考えが薄いからではないかとスサーナは思うが、説明が面倒くさいのでわざわざ言わない。卵の生臭さの度合いは使う前にちょっと舐めてみたりすれば判ることだし、それは料理人なら解っているのじゃないかと思うのだ。

 多分貴族の食卓用の卵はそれなりに気を使われて採られているはずなので舐めても大丈夫だと思う。


「この甘味の軽やかなのは何を使って?」

「磨きの強い砂糖です。ただこれは好き好きだと思いますけど。糖蜜酒を使うなら赤砂糖の方が調和するかもしれませんし。」

「ふうむふむ、確かに糖蜜酒で香り付けをするのも合いそうだ。待てよ、卵をハーブに埋めて香りを移して……果物も芳香の強い……マルメロあたりのシロップ煮……レモンの皮……」


 なにか創作意欲を刺激されたらしい料理人のおじさんにスサーナは幾度か相槌を打って、それから取っ手のついた平籠に少し熱の取れた器を入れ、保温蓋を被せる。

 ――プロの方がこの反応なら、まあ、貴族のご令嬢ご令息に出しても無礼と言われず済む……かなあ。

 そういえばこのあたりでプリンも見たことがないのでこの分だと試すと喜ばれるかもな、ともスサーナは思う。返す返すもバニラが欲しい。

 それはともかく何か聞かれたらアウルミアの郷土料理だと言い張ろう、とスサーナは心に決める。きっとそのものでなくても二三歩飛躍すれば類似性が見受けられるレシピぐらいはあるはずだ。きっとある。こんなに簡単なレシピなのだからして普遍性がないはずがない。


 そして慎重に籠を持ち、残りの料理人さん達が我先にスプーンを器に突っ込むのを後に残して、皆の待つ本館へそろそろと向かった。

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