第117話 艱難玉には迷惑千万。 5

「スシーさん、スシーさぁぁん……」


 スサーナはなにやら揺すられる感触と不安そうな声で目を覚ます。

 目を開けてみると、落ち着かなげな顔でこちらを覗き込んでいるクロエと目が合った。


「クロエさん……」

「あっ起きましたー? あのお、すみませんー、なんだか外がうるさいものでー……」

「うるさい……? ……海の上だから、とかじゃなくて……」

「ああ、やっぱり船なんですねここー。あ、いえ、じゃなくてー、これ、多分、戦闘行為が起こってると思うのでえー、念の為起きておいてもらったほうがいいかなーとー。海賊に出会っちゃったとかそういうことですと隠れられるかが命を分けるかもですしー。」


 クロエの言葉にスサーナは首を上げ、耳を澄ませる。


 床板を複数の足が踏み鳴らす乱暴な音。金属音。時ならぬ揺れと同時にくる重い音、叫び声、怒号。

 確かに荒れた物音は平穏な航海の途上には起こらなさそうなものに思えた。


「……本当だ……」

「でしょうー?」


 二人は目を見合わせ、お互いに手を貸してのろのろと身を起こした。




 戦いはまず近づいてきた小船からの勧告ではじまった。


 停船と武装解除を求めることを示す旗が王立騎士団を示す船首旗に続き上がる。

 もちろんそれに従う者はいない。もともと後ろ暗い船だ。弩につがえた矢が小船に乗った人間めがけ放たれ、帆や甲板に突き刺さった。


 意気地のない船ならばそれで密輸船には近づけず、うろうろと位置取りをし直そうとする。その間に加速して引き離すのがセオリーだ。

 しかし、奇妙な海流に足止めされた状態では加速はかなわない。


「おい火矢用意しろォ! 」


 船長の言葉で大洋燈の覆いが外され、松明に火が移される。


 船員たちは第一陣の矢を撃つ間に油を染ませた火矢を仕立て、小船を狙った。

 帆を焼き、相手が火消しにかかずらっている間に再度離脱を試みる、もしくはそれが適わなければ相手の船に乗り移り、追手の息の根を止め、問題をなかったことにする。それが相手を撒ききれない時ののやり方だった。


 しかし、小船の挙動は船員たちの予想からは外れていた。

 うろうろするわけでも距離を取るわけでもなく、密輸船の横腹をめがけて急速に加速すると、速度を一切落とさずにそのまま激突したのだ。


 衝角攻撃。帆船が主流となった今ではあまり使われない攻撃手段だった。

 また、小型船舶が行うことも少ない。単純に重さに劣り、構造材の強度の劣る小船では自殺行為になりかねないからだ。


 予想外の攻撃に甲板の多くのものがバランスを崩し、弩を射る手が止まったその隙に、小船からカギ付きのロープが投げられる。

 乗り移ってくるつもりだ。

 緊迫し、浮足立ちかけた船上だったが、なんとか体勢を取り直した船員たちは目を見交わした。


 手際よく乗り移ってきた騎士はわずか二人。長剣を帯びていない従騎士まで含めても三名に過ぎない。


 少人数で操船できるタイプの船とは言え、密輸船の船員は十指を超える。乗っている貴族にも戦闘に長けた護衛がついている。一人で多数を制する騎士、というのは物語ではよくあるが、実際は数人で囲んでしまえば多くは手も足も出せぬまま無力化されるものだ。そして当然密輸船の船員たちはその手の戦闘にこそ熟練している。


 甲板に降り立った騎士の一人が肚に力の入った声を上げた。声に続いて亀のように大盾を背負った従騎士が羊皮紙の巻き令状を広げ、大仰に示す。


「禁制品の密輸と誘拐の罪状が当方らに出ている。大人しく臨検を受けよ! 手向かいすれば罪状ありと見做し容赦なく切り捨てる!」


 虚勢か、それとも形勢不利と悟れぬ愚かな騎士様達なのか。船員たちの口元に笑みが浮かぶ。容易い相手だと判断したのだ。

 数人が斧や鉈剣カットラスを取り上げる。乗船していた貴族の護衛もそれぞれの得物を構えた。


「うりゃぁ!」


 野卑な声を上げ、船員の一人が手銛を騎士に投げつける。

 それが合図となったかのように、船員たちが騎士たちの方に雪崩れた。騎士たち二人も小盾を掲げ手銛を弾くと長剣を抜く。


 すぐに甲板に剣戟の音が満ちた。



 甲高い金属音と骨を砕く鈍い音が朝の海にひびいている。

 二人の騎士は背後を従騎士に守らせながら船員たちの包囲を破ろうと試みた。


 彼らはどちらも腕に覚えのある騎士であるようだった。蟻にたかられた甲虫めいて四方から攻撃を受けながらもたじろぐ様子はなく、防戦一方に追い込まれはしない。


 腰だめにした銛で鎧の隙間を狙った船員の一人が銛を払われ、大きく姿勢を崩した刹那に長剣を振り下ろされる。頭蓋が首のあたりまで割れ、血しぶきが散る。


「ヨハン、先に出る」

「フィリベルト! 俺の手柄も残しておけよ!」


 絶命した船員が倒れ、囲みが崩れたのに乗じて騎士の片方が人垣を抜いた。

 彼は正面から鉈剣をうちこんできた相手を半身で躱し、うけ流した。そのまま体勢が崩れた相手の頸に長剣をうちこみ返しながら、船の後部に位置する貴族を目指し甲板を駆ける。その背を狙った船員がもう一方の騎士に武器を跳ね飛ばされた。



 貴族を睨んだ視界の先に影が差したのを騎士は見る。


 間一髪飛び退いたその頬を真横から一閃した斧の刃先がかすった。

 吠え声に似た気合とともに斧を振りきったのは貴族の従者だ。


「おっ、これはこれは、心得があると見た」


 いっそ楽しげに言った長身の騎士に、平凡な容姿に似合わぬ堂の入った戦斧の構え方をした男が憎々しげに声を上げた。


「主様には近づかせぬ! 木っ端騎士めが、ここで死ね!」




 貴族リッカルドは船の後ろから甲板前の戦いを見ていた。

 旗色が悪い。俯瞰する位置から眺める彼はたった二人の騎士に船員たちが押されはじめているのを見て取っていた。

 捕縛されれば死罪は逃れられぬ立場ゆえに降伏こそするはずがないが、命果てるまで戦おうというような気概は期待できない者たちだ。数人が切り倒されただけで明らかに士気が落ちている。

 舌打ちをする。二人のうち、彼の見知った顔――セルカ伯のおまけだと認識し、侮っていた騎士だ――のほうはブルーノが進路に立ちふさがり攻め立てている。

 しかし、技量においては騎士のほうが上であると癪ながら彼は認めざるを得なかった。

 当たりさえすれば大怪我を負わせられる大型の戦斧だが、兜を割るどころか四肢をかすめることにすら苦労している。

 相手が疲労すればまた別だろうが、先に疲弊するのは彼の腹心であろうと思われた。

 重い斧は長時間全力で振り回し続けるのに向く武器ではない。


「チッ」


 あまりいい傾向ではない。

 彼は傍に控えた黒犬に合図し、早足で捕虜二人を詰め込んだ収納庫を目指した。





「この水樽とかで扉を塞いじゃうのは……」

「私達に動かせるかというと疑問がありますしー、扉が開かない部屋があるとか、海賊でしたら絶対開けたくなりませんー?」

「……たしかにそんな気がします。ええと、じゃあこの棚の下のほうに隠れる……」


「海賊に制圧されていたらどうするか」という議題で小声で会話していたスサーナとクロエは、乱暴に扉が開く音にビクリと肩を跳ねさせる。


 朝の光を背に立っていたのは片手鈎の海賊、というわけではなく、彼女らを捕らえた貴族の男と、脇に控える黒髪の青年だ。

 どちらにせよ良かった要素はまったくない。


 肩を寄せ合う二人にふんと貴族が鼻を鳴らした。

 歩み寄り、ぐいとクロエの腕をとる。


「な、何するつもりなんですかぁー!」


 悲鳴を上げ、スサーナの腕にぺっそりすがりつくクロエを横に立った青年がもぎ離す。


「学者どの。本来のお役目ではないが、まず役に立ってもらうぞ」


 クロエに言い、後は青年に任せた様子で貴族は踵を返した。

 青年はジタバタと暴れるクロエを軽々と抑える。


「は、離してー! ちょっと変なところ触らないで離せむぐーっ!むーっ!」

「く、クロエさんをどうする気ですか……!」


 抑えついでに騒ぐクロエの口を封じた青年は非難の籠もったスサーナの声に視線を動かし、不信と怯え、懇願に近い気配のにじむ表情に目をやった。


「騎士が来た。ご苦労なことだよな。価値ある人質らしく役立ってもらう」

「騎士……フィリベルトさん……?」

「ああ、そうか。それは面識があるわな。……余計な期待はするなよ。多勢に無勢だぜ、無駄死にだろ」


 一瞬、なにか考えたようだった青年は言い放つとクロエを連れて扉の方へ歩いていき、


「むーっ!」


 身をひねった彼女を羽交い締めで抱えあげるようにして抑え直す。

 そしてあとに残ったスサーナをちらりと一瞥し、扉から出ていった。


 鍵の閉まる音がする。


 スサーナは数秒そのままの姿勢で彼らを見送り、それからええと、と思考した。


 ――ええーと。出掛けの、明らかに不自然じゃなかったですかね。

 スサーナの目には青年が一拍分クロエを抑える力を緩めたように見えたのだ。

 ――え、ええーと。


 そして、これだ。


 クロエが暴れたのを抑えた際に落ちた、落ちたことに気づかなかった……と判断すべきだろう、小さな鍵。

 くるくる回りながら滑ったそれは、今、入り口脇の巾木に引っかかった形で転がっている。

 それはどうも青年が明け方に船窓の鍵を閉めた時に使ったものに見えた。

 ――クロエさんが暴れても、あの腰の鍵ってうまく跳ね飛ばされます……?

 今、青年の後腰にクロエの手とか足とか、ともかく鍵を跳ね飛ばすようなものが当たったりしたろうか。


 スサーナはごくりと唾を飲み込む。

 ――変な罠じゃない、ですよね? 鍵を落としておいて得すること……無い、ですよね、多分。私が船窓を開けて、なにか状況が変わることも無いと思うんですけど。


 せいぜい、スサーナが時期外れの海水浴をキメるかどうか、というぐらいだ。そしてそれはあの青年や貴族にとって得だとは全く思えない。

 スサーナは意味もなく周囲を見回し、それからそおっと鍵に手を伸ばした。



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