第375話 スサーナ、プランBを決める。

 ざあっと青草が揺れた。

 早足で進んでいく黒猫の後を追いながら、スサーナは周囲を見回す。

 先程まで歩いていた曖昧模糊としたどこかとは違い、今歩いているこの場所は少なくともはっきりと実体がある何処かであるようだった。


 頭上に広がるのは青い空。周囲はちょっとした規模の畑、である、かのようだ。

 ――と、素直に言えればよかったんですけど。

 スサーナは踏み出した足の下の感触を吟味しつつ内心独りごちた。

 牧歌的な田舎の風景、とだけ呼ぶにはそこはどうにも違和感があった。

 今踏んだ場所……畑の合間を通る小道に見える場所の感覚は、弾性のあるマット敷きの床に似ている。数歩前に歩いていたところは、ぎゅむぎゅむとしたスポンジに例えればいいだろうか。

 見た目も素材感と一致して、小道は黒いゴム舗装。その周りに広がる畑は四角く焼いたベイクドチーズケーキを思わせる具合の地面に整然と野菜らしきものが植わり、その間を高低差を活かして水が流されている。

 どうやらそのために作られていると思われる段差の構造は、遠景で見れば目立たないけれど、斜面などではなくチーズケーキのブロックをそのまま積み重ねたような思い切りの良い直角っぷりだ。


 ――屋外でこういう状態を保てるような手間をかけている、というのは想像しづらいですし、それに……

 今の時間が絶対にまだ夜明け前だとは言い切れないので、頭の上が青空であるのはおかしくはないかもしれない。しかし、それを前提にしたところで、多分100mほど行った先から、まるで透明な遮光カーテンで覆ったプラネタリウムのように――前世からそんな物は存在したわけではなかったけれど、言い表すならそうなる――くっきりと夜になっているのは明らかに、おかしな光景だ。

 ――だから、どこかに転移してしまった、とかそういうことではなく、ここはまだ多分王城の地下で…… レオくんが言っていた、春の園……だと思う……

 見渡せば、夜の下にも畑らしきものはあるようなので、むしろここだけが昼であるというべきなのだろうか。

 ――野菜の電照栽培みたいな……いや、むしろそのものなんでしょうか。

 してみれば、ここの設計者に言わせればピンク照明などではなかっただけ人の心に優しいということなのかもしれない。

 それはまあ心の平衡を崩しちゃう人は出るよ、とスサーナは半眼めな感想を懐きつつ、一瞬そらした思考を猫を追うことに戻した。


 黒猫はいきなり昼夜の境界線がある、だとか、足元がどう考えても人工物だ、だとかにひるまず歩みを進めている。

 ――多分、ここに……謀反人達、謀反を起こした前の王子の側近……も、いる、はず。


 そして、あの白昼夢に従うなら、レオくんも。

 猫が歩んでいく先は、人工的な植物栽培場という雰囲気から、より美観を意識した常春の庭園と言った風情の光景にある地点から切り替えられている。

 そしてそれは、白昼夢の中で見たものに――光景の夜昼の違いはあれども――よく似通っているように見えた。


 昼の光の下から夜の元に踏み込みながらスサーナは思う。


 さて。

 さて……この後どうしよう?


 言葉にするとあまりに情けなさすぎるが、正直な話、大分そういう気持ちである。

 ――この後、多分辿り着く先は謀反人のいる所、な気はする……、認めたくはないですけど、そんな気がする……。

 あまりにノープランと言わざるを得ないが、本来、スサーナは謀反人がウロウロしている場所に関わるつもりなんて一切無かったのだ。

 まず発端からして一人で出ていってしまったレオくんの後を追って、追いついて護衛する、万が一そこに謀反人が迫っていたら騒いで護衛を呼ぶ、それがまず第一の目的だったわけで。

 まさかよくわからないところに落ちて、経緯はわからないながらなんとなくレオくんも捕まっている気がして、結果謀反人とエンカウントせざるを得ない感じ、というようなことになるとは完全なる予定外であるのだから、全くのノープランでも仕方がない。仕方がない気がする。多分。


 ――普通なら……、場所を確認して護衛……騎士……軍?ともあれ、対抗できる国家権力の方々を案内する、とかそういう行動が正道な気はするんですけど……

 まず、この空間に今その手のものが存在するのか、という問題がある。

 謎の空間を経てしまったので、時間経過がどうか、宴席でなにかあったりしたのかどうか、ということがわかる周囲の動きがまったくない。

 よく機序の分からない直感で夢のあの光景に近いことが起きているような気がしているが、それ以外のすべてがあやふやであるため、最悪、軍が動いていない可能性も、動いていてもここにはやってきていない可能性もあるのだ。


 ――とりあえずできること、と……これだけは抑えておかなきゃ、なこと……

 猫の後を追いつつ、周囲を見回しつつ、思考の片隅をからからと巡らせる。足元は見事に平坦で、思考の容量を食われて多少注意が散漫になったところで転んだりする気遣いがなさそうであるし、畑、らしいなにかの間を通る小道……らしい場所は一段低いので、猫と小柄な少女一人が移動している程度なら目立たなそうなのは不幸中の幸いだ。


 とりあえず猫の後を追って、謀反人達を観察できる位置に行けたとする。


 レオくんが捕らえられていなければ適宜、臨機応変でよかろう。捕らえられていても適宜には違いないが、とりあえず恐ろしいことは、捕虜が酷く害されるようなことが起こることだ。相手は夢に従うなら武装しているはずだし、魔獣が関わっているということもあり得るはずで、さらに言えばこんな場所にわざわざ乙女とレオくんを連れてくるというのが交渉用の人質というだけで丁重に扱われる、というのはすこし考えづらい。

 ――もしそういうことが起こりそうなら……多分、邪魔に回れる……はず。

 良き市民としての最善を思うならば、やはり治安機構の動きを阻害せず、場所を通報したりするのが一番であるのだろうけれど、正直正規ルートでないところから出入りした気がするため、正しい出入りルートが分からないし、普通の出入りが可能なのかも以前のレオくんとの会話からすると疑問であるため、時間稼ぎ、もしくはレオくんを引き離す行為までを自分で行うことを考えたほうが良さそう。

 スサーナはそこまで思考して、うむ、と一つうなずいた。


 謀反人の行動の邪魔を、となると何を言っているんだという気持ちになるが、多分、妨害だけならスサーナだけで十分果たせるはずなのだ。


 鳥の民的に落第な体術であれ、目を目掛けて水やら地面の欠片でも投げ続けてやれればそれなりに面倒くさいものだろう。護符があれば相手の攻撃でダメージを受けずひたすら反撃ができる目論見がある。

 護符をくれた相手には無効化されてしまいそうなのは問題だが、もしそうであっても権能くんに頑張ってもらえればそこそこ暴れられるのではないだろうか。

 レオくん、もしくは……――乙女たちの安全は二の次になるな、と判断ができてしまうけれど――捕虜を傷つけられそうになったとしても、多分一刀両断されないかぎりなんとかなる。なんとかなると思いたい。

 命脈分けが自分にも使えることがここで判明すれば最高なのだが、とりあえず現状だけでもそこそこ相手取って面倒度合いの高いタンクヒーラーとして立ち回ることは可能なはずで、念のため用意してある刺繍でうまいことやることだって出来なくはないはずだ。

 ――時間稼ぎをしている間に走ってもらうぐらいなら……多分なんとか……?


 問題は誰かにそれを見られたらスサーナが糸の魔法を使えるとバレてしまいそうだというところだが、味方陣営……バレると行動制限や責任問題が発生しそうなこの国の支配層であるところの大人達にさえ見られなければいいとする。最悪、確か宴席の警護か何かに協力すると言っていたレミヒオくんあたりを言い訳に利用して鳥の上層部の人に偽証を頑張ってもらう方針でいようと思う。

 ――そういえば、レミヒオくんは当日協力すると言っていましたよね。どうしているんでしょう、何か起きてるとして、じゃあ最悪レミヒオくんだけは追いついて来られそうな気はする……?

 ネルさんも協力する形のようだが、彼は特務騎士たちと外に出ている可能性があるので、中にいるかどうかはわからないので、こちらは期待しすぎるわけにはいかなかろう。

 とはいえスサーナが暴れるような羽目に陥ったところで、物音なり超自然的な何らかの気配なりを感づいて合流してくれるアテはある気がする、と結論づけ、とりあえずの方針はまとまったということにする。


 ――と思う、と はずだ、だけで、輝かんばかりのプランBですけど、それこそ今に始まったことじゃありませんしね……!


 思えば最近、いや、いつのころからか状況に流されてばかりいる気がするが、もう今回は開き直って大の字で川の真ん中を流れていってやろう、とスサーナは思う。

 そうすればそのあたりで溺れかけている身内があっぷあっぷしていたら、ひっかけて筏ぐらいにはなるに違いないのだ。

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