第106話 赤鉄鉱の犬 6

 しかし。

 それからいくらもしないうちに、スサーナは予定というのは不測の事態によってかき回されるものだ、ということを実感する羽目になっていた。


 事態の発端は、窓越しになにやら揉める声を聞いたことだった。

 言い争う、と言うほど深刻ではなさそうな、しかし語調を荒げた会話が切れ切れに聞こえ、乱暴にドアを閉めたような振動があった。それからしばらくは部屋まで響いてくる音はなかったものの、数分後、重い足音が部屋に向けて歩いてくるようだった。

 そしてすこしもたついた鍵をガチャガチャやる音が響き、誰かがドアを軽く蹴り開けるのをスサーナは見た。


 誰か入ってくると当たりをつけ、手首の縄を切る試みの下準備をさっと中止したスサーナは、棚の下にナイフを差し込んで隠し、無力に縛られて転がったふりをしながら何食わぬ顔で入ってきた相手を見上げる。


 ――多分、ここではじめて見る相手ですよね。

 多分、とつけたのは相手が覆面で顔を隠しているからだ。そこそこ大柄で、先程見た人物たちよりも背が高いように思える。なんの装飾もない、異様にシンプルな格好。

 特徴を覚えたりされるのが嫌いそうな格好だ。あまり注視しないほうが良いだろう。スサーナはそう判断しつつ、足音が妙に重かった理由を察していた。


 覆面の男の背にはぐったりとなった、これまた見たことのない人物が背負われていたのだ。


 入口に入ったところにどさりとその誰かが投げ下ろされる。


「面倒は全部こっちにお任せってことか。いいご身分で」


 どうやら待機しつつそれを眺めていたらしい黒髪の青年が揶揄するように言ったのを覆面の人物は睨みつけ、それから背を向けてドアをくぐり、去っていった。


 黒髪の青年が何事か説明していってくれないかなあ、と思ったものの、流石になんだかスサーナに対しての態度が軟化していたとはいえそこまでの義理はないらしい。

 ばたんとドアが閉まり、閉まる鍵の音がする。


 気配が去っていくのをしばらく待ってから、スサーナは首を伸ばして新しく投げ込まれた人影のことを見た。


 オターグレイというのが適当だろうか、明るい柔らかそうな茶色のセミロングの髪を大きく2つに分け、広く額を出した髪型がまず目に入る。投げ出された時にずれたのだろう、頭に縛り付ける形の眼鏡――魔術師が関わっていない代物だろう、レンズが鉱石のやつだ――が大きくずれ落ちている。


 服は全身を覆う形で、少し風変わりに見えた。少なくとも島の娘の流行りの形ではない、直線裁ちに二枚はぎのワンピース。

 ところで、そんな体の線の出ない服装でも非常にしっかり自己主張する胸部のおかげで彼女が女性だということははっきりと判った。


 顔立ちは、ポメラニアンをどこか思わせる造作で、頬にすこし雀斑が散っており、全体的には学徒を思わせる印象に愛らしさを添えている。


 そして、とても重要なことに、彼女はぐったりと気絶しており、なんだかとても具合が悪そうに見えた。


 顔色は悪い癖に眉を寄せた額にうっすらと汗を刷き、乱れた前髪が張り付いている。

 重力に従って顎が落ちた、という感じに口を開け、早く深い呼吸をしているようだった。


 ――これは、ええと。

 スサーナはごろりと転がると、芋虫式に彼女に近づく。


 頬を首筋に近づけると、やはり非常に熱い。

 ――ああ、やっぱり。これちょっと正確に測れないですけど、すごい熱では?


 状況と合わせて考えてみると、ちょっとまずい容態のような気がする。

 ――これ、ほっとくと本当に命にかかわるやつなんじゃ。嫌ですよ他人の臨終に立ち会うの!

 スサーナはこの急な懸案事項に目を白黒させ、どうすればいいか少し考え、再度近づいてきた靴音にあわててその場に転がった。


 ドアが開いて再度姿を表したのは黒髪の青年だった。

 手には口を縛ったずだ袋がぶら下げられており、倒れた彼女の横にそれを放ったところを見ると、どうやら彼女の荷物か何かであるようだった。


 どうやら他の人間は一緒に居ないらしい。

 そのまま回れ右をして戻っていきそうになる青年に、スサーナは一か八かの気持ちで慌てて声を掛けた。


「あ、あのうっ」

「なんだ」


 面倒臭そうながらも振り向いた相手に、スサーナはびちびちと身を反らし、手首を示してみせる。


「すみません、えっとあの、これほどいてください!」

「……はぁ?」


 何を言ってるんだこいつは、という顔をした青年に、スサーナは間髪入れずに言葉を継ぐ。


「ええと、 あの、この人、すごく熱があって! このまんまだと死んじゃいます!」

「その程度で死ぬかよ」


 面倒くさそうに言い、興味を無くしたように踏み出しかけた青年に、スサーナは大きく頭を振った。


「死にますよ! 死にます! 意識がなくて高い熱があるんですよ! そういう人が外で寝てて、次の日には冷たくなってるのとか見たことあるんじゃないですか? この部屋、ほとんど外みたいな気温で、直に冷たい床の上に置いておかれてますし、簡単に死にますよ!」


 踏みとどまり、横目でぐったり倒れた女性を眺めてすこし思案する様子にスサーナは畳み掛ける。


「よくわからないですけど、このひと多分、人違いの私よりずっと重要な人……ですよね?死んじゃったら困る人じゃないです? ああ、もちろん別にほどいてくださらなくてもどなたかこの方について介抱をしてくださるならそれでいいんですけど!」


 まくしたてるスサーナに青年は舌打ちし、しかし死ぬという言葉に実感が籠もっているように聞こえたのだろう。少し考え、一理あると判断したか、スサーナの側までやってくる。


「おかしなことを考えるなよ」

「ええ、それはもう。でも、私一人なにかしたところで何かなるはずも無いのでは。」


 ――おかしなことはこの人が来なかったらさっさと実行されていたんですけどね!

 スサーナは形ばかり真摯な表情で頷くと、縛られた後ろ手が後ろにぐっと引かれ、開放される感覚を味わった。


 腕を自由にされ、スサーナは早速倒れた女性の額に触れた。

 今ここでそれ以外の行動をしても怪しまれるだけだと判っているので余計なことはしない。とりあえずまずは逃亡よりも看取らず済むことが目的だ。

 震えているので多分悪寒があって、顔色は悪くて、手足が冷たい。スサーナはぶつぶつ言いながら状態を確認する。


「ああ、やっぱりすごい熱……。」


 高熱と言えばたとえばマラリアとか。伝染病だったら嫌だなあ、と思うスサーナだったが、とりあえず今は出来ることをするしかない。感染る病気でないことを祈るばかりである。


「で、どうする気だ」

「えっと、とりあえず、なんでこの人がこんな熱を出しているのか知ってらっしゃいますか? 怪我してるとか、病気だったとか……」

「知らん。別んとこでしばらく閉じ込められてたやつだ。ろくな場所じゃなかったんだろうよ。わざわざ壊すような真似はされてねえだろうがな。」

「じゃあなんでかはわからないんですね……お水ください。あと頭を冷やす布……」


 青年は髪をぐしゃぐしゃと掻き回すと実に不本意そうに部屋を出ていき、しかしスサーナの注文通り桶に入った水とボロっちい手ぬぐいを携えて戻ってきた。


「ありがとうございます。ええとあの、解熱剤とかって無いですよね」

「げね……」

「熱を下げる薬です」

「こんなところにそんなもんがあるかよ」


 不機嫌そうに吐き捨てた青年にスサーナはそうですよね、とうなずいた。


「愚問でした。 ……そういえば、この人、そちらにとってどういう関係の方なんです? 本当は薬師様をお呼びしたほうがいいと思うんですけど……」

「知らん。俺がほとんど関わってないことがらでね。ご主人サマが用事があった相手だ。確かに死なれちゃ不味いが薬師は呼べねえ」


 スサーナは両足の輪をそのままにひょろひょろ立ち上がり、ぎくしゃくした動きで周囲の棚や箱を覗き込む。

 物品の配置を知っていたとばれぬための演技だ。棚の隙間に押し込んであるテーブルクロスは目立つため、まずそれを目指す。その後他にあると判断するのもそう不自然ではないだろう、とスサーナは判断した。

 ぴょんぴょんと跳ね移動し、数回べしゃりと転げつつもカーテンやテーブルクロスを引きずり出すスサーナを呆れたような顔で青年が眺めている。


 スサーナは、畳んだテーブルクロスの上に彼女を引っ張り上げ、自分のガウンを掛けた上からカーテンでくるむことにする。

 まあこれで最低限の体温保持は出来るだろう、と判断して一息。桶の水に手ぬぐいを浸し、絞って女性の額に乗せた。


 ううん、と小さくうめき声があったのでスサーナは少し安心した。

 冷感刺激にも完全に無反応だとだいぶまずいが、これなら昏睡状態ではなさそうだ。


「おいガキ、お前、さっきまでビクビク怯えていたくせに急にやたら図太くなりやがったな。この女見ず知らずだろう?」


 調子が狂った、というような声が青年からかかる。


「多分今のタイミングでこちらに来たのがブルーノさんという方でしたら我慢していたと思うんですけど、ええと、他人が死ぬのはちょっとあんまり好きではなくて……。」


 スサーナの返答を受けて、ああ、と青年の表情に理解の色がのぼる。多分ストリートチルドレン的な文脈で、仲間が死んだとかそういう状況を想起しているのだろう。

 スサーナにしてみれば、平和ボケの日本人の延長線上の感覚だと自分でも判断しつつ、誰であれそれは目の前で誰か死んだら嫌だと思うんですけど、というところなのだが。


「お前、人の心配をしていられる身分じゃねえことは忘れるなよ。手は今はそのままにしといてやるが、出るときには縛り直す。それと、万が一にもこっから出ようとは思うな。そいつがどんな状態になったとしてもだ。出ようとすりゃ絶対に通るところに誰かしら居る。そうなったらどんな言い訳も効かねえぜ。」


 脅しめいた言葉に、はい気をつけます、と素直にうなずいたスサーナに青年はやっぱりとても調子が狂った、というような顔をした。


 この青年、語調はきついしぶっきらぼうでちょっと怖いし、多分わるい人なのだろうが、とはいえ人の情を解さない、というタイプではないらしい。

 今言われたことだって、脅しめいた怖い言い方だがよく考えたら言っている事自体はアドバイスとか忠告とも取れないことはないのだ。


 案外気さくな人なのかも知れない。

 スサーナはなんとなくそう判断しはじめていた。

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