第91話 思いがけないお客様のための街歩きガイド 5(エピローグ)

 ミランド公は割当ての客室でやれやれと首を回した。

 旧友セルカ伯との表沙汰に出来ない話を済ませ、次いでに馬鹿者ベルガミン卿の係累に、やんわりと彼の静養謹慎を勧めるごく個人的な手紙を婉曲に書き送るよう部下に指示を送ったところだった。


 このエステラゴ領は今水面下で多少面倒なことになっている。

 現領主が後継者を指名しないままに昏睡状態に陥り、じわじわと死に近づいているために二人の後継者候補、それを擁立する者たちが対立を深めている。


 彼の旧友であり、下役でもあったセルカ領内を治める伯である人物は、なんとか兄弟が共同統治……現領主が健在であった頃に望み、その方針で子らに継がせようとした方法でまとまってくれることを望んでいるようで、弟が取り巻きを連れて本拠を移した島にと居座り、元々教師役だった縁をいいことに、逆らうわけではなく適度に苦言を呈し金言を語り素行の悪い若い貴族たちを押さえつけ大きくあぐらをかいて、いつ跳ね返るかわからぬ弟の重石おもしになっている。


 ミランド公としては、血の繋がった兄弟とはいえそうそう関係が改善するとは思えなかったし、双方の後援も簡単には引くとは思えなかったが、決断を下さざるを得なくなるまでは好きにすればいいと思っていた。彼がそこに留まる事はもちろんただの酔狂ではなく、現状彼が得ている立ち位置の実利の多さもさることながら、万が一にも奇跡が起きないとも限らないのだから。勿論早く復帰して溜まった他の仕事を片付けてくれればなお良いのだが、それまでは領外や、たまにはこうして居住地に現れて茶飲み話ぐらいしてやろう、彼はそう思っている。


 ……自分のような立場のものが友人と振る舞うことでも彼には手出ししづらくなるだろう。どちらにとっても彼はなかなかに複雑な立場である。


 まあ、今度の訪問では噂だのの処理に多少苦慮するかもしれない。それは申し訳ないと思っているが、今回ばかりは得もあったのだから許して欲しいところだ。


 ぱたぱたと軽い足音がする。

 ドアの向こうから現れたのは彼の連れ、被保護者である少年とその従者だ。


「レオカディオ殿下。楽しんでこられましたかな」

「はい、とても!」


 少年は紅潮した頬で返答した。


 彼は現王の第三妃の息子。王の五人目の子。継承順は王位からは最も遠い王子だ。

 この数日、彼は王都から離れなければならなかった。第一王子の「啓示」があるからだ。

 王都の神殿で祈り、神の啓示を受ける。それが次期王として認められるための儀式だ。神々は滅多に啓示を下ろす相手を間違えはしない。大抵は正しい順の後継者に啓示が降りる。ただ稀にに啓示が降りることがあり、そうなると一悶着ある。

 対応策はある。その日に王都の神殿、神々が目印にされる場所に近づかなければいいのだ。

 第三妃は王に見初められる前には異国の神殿に勤める巫女だった。そのために少しこの少年はそのようなことに気を使わなくてはならない。


 適当な静養宮に移されて過ごすはずだった五番目の王子を諸島に伴うとしたのは、昔からセルカ伯に『考えなしの悪童』と悪口を言われつづけていたミランド公の破天荒な思いつきである。

 宮とはいえなんの娯楽もなく便所が穴を掘っただけのような場所に行かせるよりも、まだ魑魅魍魎魔術師どもの住処だとかいう島のほうが刺激的で楽しいに違いない、という思惑だった。


「セルカ伯のお嬢さん方とお友達の方に島の案内をしていただき、非常に得難い経験をして参りました。」


 まずは王子らしく礼儀作法の教師が喜びそうなふうに言った少年にミランド公はいたずらっぽく問いかけた。


「ほほう、どのような素晴らしいものを見ておいでですか、すこぶるつきの美女でもおられましたか。」

「あっ、あの。海、海を見ました!」


 目を輝かせ、順番もなしに話したいことが口から零れ落ちそうだ、というような顔をした少年は、弾んだ口調でそう言った。


「ははあ、よい海は見られましたか。」

「はい! 母上の部屋の絵のような海でした。母上にも見せて差し上げたくて……あっ、お土産も買ったんです。海の音がする、魔術師たちの道具を!」

「ほほう、それはようございましたな。」

「はい。それもみなあの方のおかげで……」


 頷いたミランド公にはしゃいで同意したレオカディオの声にこれまでとは違うはにかみが色濃く混ざる。


「ほう。あの方、とおっしゃいますと……」

「あっ、あの、いえ! 公の褒めておられたお嬢さんが、その、色々思いがけないところを案内してくれたので……」

「ははあ、あの。なかなか利発な娘だと思いましたが。」

「はい! そうなんです。難しいことを色々仰って、気品があって……ですが時折雛菊のように無邪気に振る舞われて。平民の方だと聞いたのに、媚びる様子もなくて……でも、すごくお優しくて、同年代の方だと確かに思うのに、年上の女官や母上のように感じる瞬間もありました。不思議なひとです。まるで物語の糸織りの姫君のようだ。」


 頬を染めて、つっかえながら饒舌に語り、まだ言葉を尽くしきれない、というような表情をする少年に、ははあだいぶれたなとミランド公はほほえましい気持ちになった。確かに容姿は美しく、良いものだが、王子である彼がそこまで入れ込むような立場の娘ではなさそうだったが。


「ははは、糸織りの姫君運命のひとのようだとは殿下もなかなか情熱的なことを。」

「え、あ、いえっ、そういうことではなくて、物語に語られるかたのようだと……! 本当にそれだけで……!」


 耳まで朱に染める王子に、はははわかっていますとも、と返す。


 糸織りの姫君とは古い御伽噺の一つの類型だ。

 ミソサザイの乙女やら小鳥の姫君ともいう。ヤァタ・キシュが勇士のもとに遣わした小さな遣わし鳥はあるじがみの言うことなど聞きもせずに運命の縦糸横糸をいたずらに抜きかえ模様を変えて勇士を導き、元気よく跳ね回っては大熊や巨人をきりきり舞いさせる。

 あるときは滑稽な笑い話を巻き起こし、あるときは美しい姫君との縁をつなぎ、最終的には予定されていた非業の運命をめでたしめでたしに織り替える。

 最後に小鳥の姫君が乙女に変わり勇士と結ばれる、というようなパターンも古い時代に人気が深く、そういうものから運命の女性を指す慣用句に使われることもあるが、糸織りの乙女、姫君といえば大抵は幸運の象徴、運命の転換点、導き手、というような意味だ。


 まあ、今の言葉の選びは意味もなく、どうやら元気の良さそうな少女の様子に昨夜歌われていた歌から連想したのだろう。


「それで、そのお嬢さんとどちらへ行っていらしたのですか。」

「はい、この夏のさなかに甘い雪のような氷の菓子を食べさせていただき、それから海へ行って遊んで……次に魔術師たちの不思議な品のある店へ案内していただきました。それから変わった花のある植物園に。その後食事をして、セルカ伯のお嬢さん方のご紹介で水を巡らせた見事な庭園と、珍奇なものを収集した部屋と、絵画の間にご一緒していただいたのです。」

「ははあ、午前中がそのお嬢さんの案内ですか。たしかに変わったものを取り揃えたことだ。植物園が少し普通かな。いや羨ましいですなあ。」


 ミランド公はやや真面目に羨望の声をあげた。後半は貴族の余暇の観光としては一般的と言えるコースだったが、前半は確かに変わっている。諸島特有の奇妙な文物には彼も興味があった。諸島はながらく貴族たちにとっては開かれているとは言い難い場所であり、島から出てきた仕えびとの話を聞くほどでしかその内情を知れなかったのだ。


 魔術師たちは表立って苦情こそ言わぬものの貴族たちが島に関わるのをあまりいい顔はせず、いつの頃からか彼らを同格とたてる諸王、それに従う貴族たちも形のない諒を続けてきた。

 見境もなく、法に障らぬとして諸島に入ったクリスティアンの行動も、その暗黙の了解を崩し貴族たちが諸島に出入りする理由を作ったという点では役立ったわけだ。


「いえっ、本当に不思議な庭園だったのです。それに……」


 口ごもり、服の上から内ポケットをぎゅっと握るレオカディオの様子にミランド公は大きな仕草でふむ、と頷いた。


「なるほど、そちらでなにか頂いたというわけですか。いやあこの爺もあやかりたいものでございます。」


 王子はぱっと首を上げてぶんぶんと振る。


「いえっ、頂いたわけではありません。あの、ただ、ちょっと棘を指に引っ掛けて。すぐに軟膏を塗ってもらったのですが、それで、ハンカチをお貸しいただいて……血がついたので、買ってお返しすることにしたんです、それだけです!」

「ははあ。それでハンカチがそこに入っておられると。」

「は、はい。」

「新しいものはもうお渡しに?」

「うっ……いえ、ええ、ラウルにお願いしました……」


 眉を下げ、唇を尖らせるようにしてもごもごと言った王子の風情に思わずミランド公は笑いを漏らす。きっとどうにも渡すことが出来ず、護衛官に頼んだということだろう。

 この末の王子の早熟さは、ずっと物分りの良さと勉学にばかり向いており、これまでこんな姿を見たことはなかったのだ。

 ――おいブラウリオ、イシドロのドラ息子クリスティアンの暴走はお前には頭痛の種だろうが、おれには悪いことばかりではなかったぞ。

 彼は胸の中でつぶやき、大げさにひげをひねってみせた。


「しかしハンカチですか。乙女にハンカチを頂くとは隅に置けませんな。」


 消沈していた様子の王子が僅かに頬を染めるのを見、それから問いかける。


「殿下、それをお使いになるおつもりはありますか」

「なっ」


 茹でた蛸のような顔色になり、数瞬の呆然を経て、レオカディオは噛み付くように叫び返した。


「あるはずがありません!!そんなこと思ってない! そういうのではありませんから!!」


 怒りすらない混ぜになった目つきを見て、ミランド公はふむと思案する。

 最近子供向けの絵物語にすら気軽に描かれる、先の約束の品、髪帯リボン、ハンカチ、靴下止めガーター。これには子供に聞かせるにはずいぶんと下世話な意味がある。髪帯と靴下止めは閨から出る際にもの、そしてハンカチは初夜床後に純潔の証明として使うものだ。


 つまり、まあ。使うか、と聞くのなら、召し上げるつもりはあるか、ということだ。

 勿論平民であれば臣籍が目されているとはいえ側妾そばめが精々のところだが。


「失礼いたしました、爺なもので、たまに勘違いをするのです。 では、王都へお呼びになるつもりはございませんか。……ああ、勿論、妃宮にお呼びになるということではなく、ご学友としてでございます。」

「それは……」


 少し迷った様子のレオカディオは、しばしして首をぶんぶんと大きく振った。


「殿下のご友人として王都に呼ばれるのならば大変な栄誉栄達ですよ。喜ばぬ平民はおりません。」

「いたしません。だってあの方はこの土地がとてもお好きなようでした。そんなことしたら絶対嫌われてしまう。」


 いっそ頑なともいえる表情で言う少年の頭をミランド公は大きく撫でた。


「殿下」

「はい?」

「あなたは良い為政者になられますよ」



 ミランド公は、将来子のない自分の猶子となり公位を継ぐだろう王子が優しく慈悲深い心根を持っていることを好ましく感じていた。





 その夏に、ヴァリウサの王都では第一王子が滞りなく啓示を受け、祝祭は盛大に、祝いのランタンが夜通し灯された。


 辺境のいち、エステラゴ領では一人の貴族が体調の不良で屋敷で静養をはじめ、縁談が一つ立ち消えになった。


 宴席の噂雀たちは良いものも悪いものも滑稽なものもおもしろおかしく噂をささやきあい、概ね満足していた。


 ただそれだけの、なにもない夏だった。

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