第350話 偽亜麻色の髪の乙女、会話する。
「なにか気がかりなことがおありですか?」
ゲームの合間に、ようやく横の席の順番が回ってきた第五王子にそう問いかけられ、サラは慌てて目を白黒とした。
「い、いえ!」
――いけない、第五王子殿下に選んでいただける栄誉があるかもしれない席にいるのに、気を散らしているところを見られてしまったら、不敬であると思われてしまうかもしれなかったのだわ……。
サラは急いで気もそぞろになっていたことを反省した。横の席に第五王子が座ってくれるというチャンスがやってきたというのに、サラが壁際の侍女たちの方をちらちらと気にばかりしていたのだから、そう問いかけられて当然である。
「侍女たちがどうかしましたか? お呼びしますか?」
「いえ、そうではな、ありませんの。先程、殿下に落とし物をお渡しになった侍女が、無作法で叱られていたようでしたから、あの……」
自分がこの場にいる趣旨を忘れたような行為を見咎められ、頭が真っ白になったサラはあわあわと思考の内容をそのまま舌に乗せる。
「おや、そうでしたか?」
ふっとサラと同じ方を見た第五王子の髪が揺れ、とても高価そうな香の香りがした。
サラはなにか気の利いたことを言わなければ、と思いながら、はくはくと口を開けしめする。
「は、はい。あまり叱られなければいいなと思いましたの。殿下の前に立てるなんて、あまりに恐れ多く、わたくしもきっと動けなくなってしまいますわ。ですから、仕方ないと女官が思ってくれたらと……思って……」
「兄上たちと違って僕はそう畏まるような身の上ではありませんよ。……でも、あの下級侍女が悪いことは何もありませんから、僕の方からも叱らないように言っておきましょう」
前半分の鷹揚な言葉まではなんとなく予想していたものの、彼の言葉で傍に控えていた側近がすぐに壁の方に向かうものだから、サラは思わずぽかんと口を開けてしまい、はしたなく見えるかもしれないと思いあたって急いで口元を覆った。そんな風に自分の言葉で権威あるものが動くだなんて、はじめての経験であるかもしれない。
「あっ、ありがとうございます……!」
「いいえ。これも僕の役目ですから。お優しいのですね」
あんまりに予想外の褒め言葉に、アブラーンを満足させるチャンスだ、などということは頭から追い出してサラはあわあわと首を振ってしまう。
その言葉で表される慈愛に満ちた貴族のご令嬢は自分とは全く違う像であるような気がした。
「そ、そんな、優しいなんてこと……あの、わたくし、も下級侍女だったので、それで、あの子は……お友達で、それだけで……」
「ああ、貴女は王宮のために力を貸してくださっていた方だったのですね」
「あ、その……」
自分の経歴を王子殿下に話してしまうだなんて、いくら焦っていたからと言ってもやってはいけない大きなミスだ。本当の亜麻色の髪の乙女というものが存在するのなら、当時の下級侍女は事件のあった現場では使われていなかったためにありえず、その後採用された者であるなら、王宮と縁近くなったのだから名誉な立場が自分を待っているとなれば申し出ているはずだ。そんなことは貴族たちもよくわかっているのだから。
後ろめたい目をしたサラに、第五王子殿下はいたずらっぽい目をして口を閉ざすゼスチュアをした。
「も、申し訳……」
「……お家の立場で、いろいろな方が参加してくださっていますね。大丈夫、告げ口したりしませんから」
「あ……」
ゲームはちょうど次のレオカディオ王子の横に座れる一番が決まるという局面で、僅差なゲーム展開と白熱したアナウンスに注目するあまり他のご令嬢たちは王子殿下御本人から気をそらしていて、今のやりとりを聞きとがめたものはいないようだった。王子様御本人よりも同じ立ち位置のご令嬢たちに聞かれたほうがまずいだなんて、おかしな話だ、とサラは頭の片隅で思う。
「仲がよろしいんですか」
「え……」
「さっきの……」
「っ、ええ。ええ、そう……思ってくださっていたらいいなと思うのです……わ。とてもいい子なんです。今日も……控室まで励ましに来てくれて……」
王子様と"優雅さを示す"定型のものではない会話をしている、という事態はあまりに予想の外で、とても落ち着かない。アブラーン卿の望む好機かもしれないと意識すればとても荷が重くて、サラは思わず友人を思い返す行為に思考を逃避させた。もうすっかり彼方のような日常の記憶から想起された感情は暖かい毛布のようで、一瞬にせよその手触りの良さに心が慰められた。
お掃除がうまくて、頼りになって、お洗濯を一緒にしたり、文官の手伝いに行ったり、それで、貰ったおやつを二人でこっそり食べたりした。もぞもぞと呟くと、喉の奥だけで笑う音がして、サラは少しびっくりする。サラの丸くした目に気づいたらしい王子様は少しバツが悪そうに眉を下げ、いえ、と言った。
「なんだか楽しそうだな、と、少し……」
「は、はい!」
そうだ、楽しかった。故郷では村娘たちと友達になるのは難しい立場で、かといって同じぐらいの立場の下級貴族の娘たちと交流するのならばそれは姉たちの役目であったので、あんな風に誰かと過ごすのは珍しかったから。
「楽しかったです、ええ、あの、はい……!」
「ふふ、それは良かった」
なんとなく焦ってしまったサラが上半身を全部使って頷くのを見てそう言ったレオカディオ王子はまた少し笑う。それはこのような催しにつきものの上品な微笑みというものではなく、整わせた様子もない、思わず漏れた、といった様子の笑いで、どんなにはしゃいでいる時でもどこか上品で礼儀正しく、わずかに憂いを帯びたような目が深い森に座る若鹿のようだと宮廷の女達に騒がれる第五王子の印象とは異なるものだった。
和やかなまま、日暮れ頃に粛々と催しは終わりを告げる。
集められた娘たちは誰もがある程度第五王子殿下と談笑し、多くのものがこれは自分こそがという期待を胸に席を辞した。
「どうだ、第五王子には気に入られたか」
「……さあ。どうでしょう」
宴が終わったその後、控室にどたどたとやってきたアブラーン卿にサラは目を伏せて微笑んだ。
「ふん、これだから愚図は困る。まあ、第三妃に親しい奴らにだいぶ鼻薬は嗅がせたからな。ぱっとしないあの並びなら選ばれて当然だが……」
彼は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、すぐにサラに興味をなくしてあとの算段を練りだし、連れてきたメイドたちにぞんざいにサラの帰宅までの処遇を任せてこの席で出会った貴族たちと会食に出ると言って去っていく。
サラは残された二人ばかりのメイドを眺めて考えた。
――この人たちも、あまり私の世話をしたい様子はなかったのだわ……
彼女らは、アブラーン卿の屋敷に入ったときにサラに付けられた世話役で、どうやら平民であるようだ、ということはわかっていた。サラの面倒を見るより二人で喋ったり使用人と仲良くするほうが好きなようで最低限度しか手をかけられた覚えはないが見張り役ではなく世話役には違いなく、しかしこのまま部屋にいられれば面倒なのは同じことだ。アブラーン卿に責任を問われるのは嫌なようだからこのまま帰してしまうことまでは出来ないだろうが、一時席を外させるぐらいならなんとでもなる。幸い王宮は平時でもなかなか誘惑が多く、冬至の祝いをどこかしらで行っているこの時期ならばなおのこと。
「帰りの支度が出来るまではもう暫く掛かるようです。そういえば、すぐそこの銅版画の回廊で冬至待ちの振る舞いをしているそうですわ。
王宮で供される酒類はどんなものでも市井で安価に商われるものよりずっと上等だ。メイドたちが見合わせた目に手応えを感じて、直ぐ側だとサラは繰り返す。
「さすが王宮の振る舞いですのね。通りすがりに見ましたけれど、身分を問わずに盛り上がっておられるようでしたわ。……ここで一緒に待っていただいてもいいですけれど、まだまだ時間はあるようですから、少し体を温めていらしたら……」
そういう場で貴族や王宮づとめの毛色のいい異性と知り合う、というのは、下級侍女だけではなく、それなりに広く庶民にも共有される「良い話」であるのだというのは下級侍女務めをしているときに聞いた話だ。それはアブラーン卿が用意した二人にも響いたらしい。それでは少し、といそいそと出ていくメイドたちを見送り、サラはほっとため息を吐いた。
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