第76話 奇禍と僥倖のあいだ 1

 「しかし」


 レミヒオはスサーナを諦めさせようと儚い努力を試みた。


「百歩譲ったとして、そういう集まりがあっても、雇ってもらえるかどうかはわからないでしょう?」

「ええ、そうですねえ。でも、そういう集まりで人を募集しているなら、まあ……かつらか何かで髪を隠してならですね、中確率ぐらいでなら雇ってもらえるんじゃないかとは思うんですよ。だってレミヒオくん、私、給仕の真似事出来ますよ」


 大掛かりな宴席を催す際に、既存の雇い人だけでことを済ませる主催者はまれだ。

 多くは裏方だが、短期の使用人を大量に雇い入れて働かせるのはそれなりに一般的なやり方だ。

 島の商人基準だが、貴族の家でもそうなのではないか、とスサーナは判断していた。


「と言ったって」

「……招待状も読めますし、儀礼文字での指示でも席順のご案内なんかも出来ますね。お客様を迎える際のマナーも、一応、しつけていただかなくてもすぐ……まあ求められる質によりますけど、それなりには出来ますし。講、行っておくものですねえ。」



 レミヒオはたじろいだ。

 島の子供は恵まれている。幼年講までの子どもたちは失礼にならない程度の礼儀を。そして商店主の子どもたちがおもである、初等講を済ませたものは、ホスト主人役側として接待できる儀礼をとおりいっぺん教え込まれる。

 伊達に「貴族の家に勤めたことのある教養の教師」なんてものがいるわけではないのだ。


 故に島出身の人間は本土で雇い人として重宝される。


 初等講まで済ませた島の子供が本土でごく普通のメイドや使用人になることはまれだ。少数そちらに進む者たちは豪商の側近、でなければ上級貴族の側仕えか、宮中へ雇われる。

 なにせ平民が平文の読み書きだけではなく、美文を使い、儀礼文字を書き、四則演算を行い、優雅なダンスを知り、楽器まで爪弾くのだ。

 学問性専門性は学院に劣ったが、平民の実務者の教育としては驚異と呼んでもいい。

 国内で一番、というより物のうわさでは全世界で一番、生まれた土地に閉じこもりやすい、と言われる島の人間のその希少性と相まって、是非にと望むものは多かった。


 ちなみに、島の中だけであっても初等講の最後まで進んだ経歴の使用人は少ない。これはただ単に初等講に通う層が跡継ぎと目されて教育される立場が大多数だというだけであるが、現在島在住の貴族でも得難い、という点では変わりない。


 つまるところ、アピールしていくなら結構なステータスになりうる経歴だった。


「万が一雇われることが出来たとしても、望むように動けるとは限らないでしょう」

「うーんまあ、それはそうですね。でもそこはほら、トライアンドエラー要素といいますか、……一回でキメる必要はないわけでしょう?」


 一度目で相手が何事もなく帰宅したなら二度目を試せばいいのだ。そうだよね? とスサーナは小首をかしげつつ問いかける。


 確かにできるだけ早いほうがいいが、期限が決まった話ではないのだ。


「それは……まあ、そうですが……。回数を重ねるごとに相手が気づきやすくもなりますよ。」

「あからさまに動かなければ大丈夫、ということにはなりませんかね」

「やはり不自然な部分は出てくるでしょうし……」


 長期的に潜伏するならまだしも、一度の席中でチャンスを作る行為を繰り返す前提で、それを複数回行うなら違和感は出る、という部分をレミヒオは取っ掛かりにしようとした。

 たしかにその通りではあるか、とスサーナが難しい顔をする。


 そこに


「ありますわ、スサーナさん、丁度良いものが!」


 考え込んでいたレティシアが声を上げた。


 おお、とスサーナが表情を輝かせる。

 ほっとしかけた顔をしていたレミヒオは眉をひそめた。


「ときどきお父様が開かれる集まりがありますの。よくわからないものを自慢するためのパーティーですわ。」

「よくわからないものを自慢するための」

「ええ。レミはお父様のお供で幾度も出ていますから知っていますわね。近々また開くと言ってお母様に嫌な顔をされていましたもの、島から戻ってからそう経たずに開くのは間違いないことですわ。」


 嫌な顔されるんだ。

 スサーナは他所のご家庭のお父さんの趣味の悲哀を感じてしまったような気がした。


 骨董趣味のパパの悲哀を感じ取ったりしつつレティシアに詳しい話を聞くと、そのパーティーというのは好事家のセルカ伯がコレクションのお披露目をしたりするために催す宴席である、という。

 晩餐会と言うほどの厳格さはなく、形式は立食パーティーに近い。テーマに従って調度や使用人の装いを統一する、という趣向で、スサーナの理解ではコンセプトパーティーとかワンテーマの仮装パーティーとかに近く、本土の好事家の皆様にも好評であった、という。

 例えば、東方グリスターンがテーマなら、会場の床は厚い絨毯で覆われ、座るためには布張りの低い寝椅子とクッションが用意される。出る料理はグリスターン風に、音楽にもグリスターン風のアレンジをきかせ、使用人たちは薄布を重ねた衣装を身に着け、レプリカの金色の装身具をつける、という具合。

 ――ディズニーのアトラクションか、でなかったらグリモ・ド・ラ・レニエールの晩餐会みたいな……

 スサーナは、あーたしかに世間の奥方に嫌われるやつ、と言う感想を覚えた。

 お家で開催するものではない。多分貴族でもあんまり。


「これなら使用人のすることも幅がありますし、おもてなしの流れも厳密に決まっておりませんから、自由に動けますわ。年若い使用人を揃えてもそういう趣向ということなら違和感はありませんし、なによりお父様のすることですもの、無理が効きましてよ。」

「ははあ、なるほど。その時にうまく雇っていただければ……」

「ふふ、それですけど、今言ったようなグリスターン風にするようにうまく持っていけば、お父様のことですもの、レミとスサーナさんを横に並べてお辞儀をさせる誘惑に耐えられるとは思いません、ぜったいマリアネラから借りたくなってよ。ねえマリ!」

 マリアネラも苦笑とも思い出し笑いともつかない表情で肯定した。


 ――あー、レミヒオくんのご出身……ってことになってる国でしたっけ。あーあー、黒髪が多い? っていう……。

 そういえば船の中でだいぶ遊ばれたなあ、と思い出すスサーナだった。

 レミヒオが渋い顔をする。


「問題は、お母様があの方ベルガミン卿のことをとても嫌いですし、お父様もあまり好きではないようですから……嫌いなのは当然ですけれど、ご招待するのに少し苦労するかもしれませんが、そこは……」

「そこは、わたくしが、これから親しくお付き合いするかもしれない方だから、内々の集まりで人となりを知りたい、とお願いしたら、奥様は折れてくださるのではないかと思いますわ」

「まあ、マリ」


 スサーナの視界の端でレミヒオの苦い顔が濃厚抹茶一気飲みぐらいの苦さに辿り着いた。


 文句のつけようがない。

 というより、子どもたちが知恵を巡らせずともお膳立ては整うだろう――協力を求めればセルカ伯自身否を言うまい。

 主目的と合致する上に、可愛い姪を使わず済むのなら、セルカ伯にも損のないだろう案件だ。囮役が自分から申し出てきたのだから、失敗したとしても後の禍根も少ない。子供の行いでごまかしもしやすい。


 レミヒオ自身としても手っ取り早い手段だと思う。詳しくはどうするつもりかはわからないが、さしずめ隙をみせて魔が差させよう、というところだろう。粗雑ではあるが評価はできる。


 だが、まあ。

 レミヒオは渋面でスサーナを見る。

 この娘に出来るとは思えない。

 良く言えば無邪気でお人好し、初心うぶで世間知らずで裏がないタイプのこどもだ。

 明らかに一番そぐわないタイプの配役ではないか。


 どうか、事前の調査で糾弾に十分な証拠が出てくれればいいのだが。

 レミヒオはため息を付いて、盛り上がりきってとどめてもちょっとやそっとでは止まりそうにない少女たち三人を見た。





 秘密の決起集会めいた様相を呈してきた集まりは、レティシアがくしゃみをしたことでお開きになった。

 スサーナとレミヒオはともあれ、貴族の少女二人は夜着姿で、スサーナの上着を着たマリアネラはまだしもレティシアは夜着一枚だったからだ。


 スサーナはちょっと上着を貸してあげればよかったのに、という目でレミヒオを見たが、彼の着ていた袖なしの上着はよく考えれば人に着せ掛けられる形はしていなかった。


「それではまた明日」


 小声で声をかわしあってそれぞれの寝室にそっと戻る。


 ――よし、こうなったら仕方ないですよね、やるかー。


 スサーナは一つ気合を入れて、それから寝台に潜り込んだ。




 次の日はなにごともなく順調に始まった。


 早朝に顔を合わせた際に、スサーナはレミヒオに「作戦のことはセルカ伯に上申しておく」というふうに伝えられた。

 なるほど子どもたちだけで計画するよりも頼もしい。なによりセルカ伯が余罪を調べるのに乗ってのわるだくみなのだから、話を通してもらえたら安心だと言うと、レミヒオは複雑そうな顔をしていた。


 セルカ伯は少し難しい顔をしている瞬間がたまにあったが、朝から朗らかに支度をし、奥方とともに食堂に降りてきて、よく食事をとった。


 レティシアとマリアネラも同じテーブルにつき、少し眠そうに、それでも用意された半熟の卵やら果物のジュースやらを口にする。


「スサーナさん、飲み物のおかわりをいただけて?」

「はい、すぐに。」


 違いといえば、レティシアが昨夜までは絶対にスサーナを召し使おうとはしなかったのが、そばに寄せてなんだかんだ使うようになった点である。


 ――あれー?むしろ仕事が増えて大変になってませんこれ? まあ、しょうがないか。


 レティシアがそうしてスサーナを使うと、セルカ伯と奥方も面白がってスサーナを使い出すので、スサーナはパンの籠やらジュースのピッチャーを持ってテーブルの横を駆け回る羽目になった。


「もう、スサーナは私の側仕えなのですのに」


 マリアネラも口では文句を言うがにこにことしており、スサーナをほのぼのさせた。


 ――いいええー。マリアネラ様がよければいいんですよー。仲良きことはなんとやらですからねー!


 スサーナの最大懸念、なんらかの恋の鞘当てで友情の大破壊が起こる、ひいてはその波及でなんらかの少女愛憎事態にスサーナが巻き込まれる事態は無くなったのだ。多少使われるぐらいは問題ないと言っても良かった。




 食事が終わる頃になって、使用人の一人がすっとセルカ伯のもとにやってきてベルガミン卿がやってきた、と伝える。


 一瞬、場の――というより、マリアネラ側の家人の空気がぴんと張った。


 すぐに案内を待たずベルガミン卿が現れ、セルカ伯に横柄な態度で挨拶をする。

 セルカ伯はゆったりとそれに答え、ベルガミン卿に飲み物を勧めつつ、何気ない様子でスサーナに声を掛けた。


「君、給仕はもういいから女性たちの着替えを手伝ってきてくれ」


 ささっと立ち上がったマリアネラとレティシアに挟まれ、ゆったりと立ち上がった奥方に微笑みかけられる。


「さ、参りましょう? ああ、私にも石鹸を用意していただけて?」


 すっすっと歩きだす奥方の後を急いで追いつつ、スサーナはおお……という感動に襲われていた。


 ――い、いい人~~~~~~!!!!!!


 正直、ちょっとでも貴族に使用人が気遣われるという予想をしていなかったスサーナだった。


 その背を遠い目のレミヒオが見送る。

 明らかに気遣われることに対し予想外で、感じ入ったというような顔を彼女がしていたのが少し離れていてもわかった。

 だが、どうせ後ではかばかしいベルガミン卿の失点がでてこなければ、いま気遣われたその当人に囮に使われるのだと言うのに。

 先が思いやられる、そう思った。



 しばらくして、村の代表がやってきて視察に出発する時間になった。

 当然のようにベルガミン卿も同行すると言い、セルカ伯も何事もないようにうなずく。


 視察する場所は畑と牧場、それとクチナシの実をとるための管理された林の部分が主たるもので、道中は簡単に馬上から見回る、という手はずだ。


 セルカ伯とベルガミン卿、彼らの使用人は馬、視察に同行する奥方とレティシア、マリアネラ、そして彼女らの伴う使用人は馬車である。スサーナはマリアネラの側仕えとして彼女に同行した。


 そう時間はかからず畑に到着する。

 丈の高い青草や麦の並びがあり、その合間に自分たちが食べるのだろう作物の植えられた、そう手の込んだわけでもない畑である。

 ただし昨夜スサーナが通ったところより大規模で、視界がよく、道がしっかり踏み固められている。

 スサーナは、ああ昨夜通ったあそこは結構荒れた、人手の入らぬ畑だったのだ、ということに今さら気づき、なるほど獣が出やすい位置だったか、と腑に落ちた。


 どうやらこの畑の数カ所にも罠を仕掛けることに決まったらしく、村の代表はその話をしながら先に立ち、その後に視察の面々が続く形になる。


 ――さて、やりますか。


 スサーナはそっと腹を据えた。


 大したことをするわけではない。ちょっとした布石を打つだけだ。


 村の代表者に適した作物の質問をしたりしながらセルカ伯が先に立ち、その後を気がなさそうにベルガミン卿が歩いている。


 そのベルガミン卿が振り向きそうなタイミングを狙って、そちらの方を見つめる。視線が合えばごく数秒合わせ続け、わずかに口角を上げる。ついで恥ずかしげにすっと足元に視線を落として、それからちょっとタメてもどし、視線を上げ気味に……上目遣いに視線をさまよわせる。

 そんなことをランダムに、それなりの時間をあけて。複数回。


 視察のあいだじゅうそれを続ける。


 スサーナは遠い記憶を思い返す。京都のおば……いや、家にとってどのような関係なのかはついぞ知らずに終わったひとが話してくれた「レセプションパーティーに招待された際の淑女の嗜み」。ぼんやりと覚えている。一体何故聞いたのかは思い出せないが、なんだったか。

 お手伝いさんにはひどく嫌な顔をされたし、紗綾自身も下品な類の話だと聞いていてなんとなくわかったものだったが、まさか。

 ――いやあ、まさか死んでから役に立つとは、世の中ってわからないものですよね。


 目があうたびににやにやとしだすようになったベルガミン卿を確認しながら、スサーナはうっそりと思った。


 レミヒオが水玉模様のショッキングピンクの河童でも目撃したような曰く言い難い顔をしていた。

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