第334話 偽物侍女、遠い目をする。

 妃宮を辞し、すっかり変装したあとで、スサーナは乙女探しの会場に入るために一度下級侍女の控室に向かう。前回とは違い、今度はラウルの口利きがあるおかげで競争率の高い会場ばたらきの地位を勝ち取る必要は無くなったのだが、あからさまに不自然な経緯で仕事場に来てすら居ない人間がしれっと人気の職場に参加しているというのは少し避けたい気持ちがしたのだ。

 ――まあほら、後……騒ぎがどこで起こるかにもよりますけど、少なくとも一度は間違いなく、最大で三度は乙女探しはあるんですからね。その前に不穏になる要素は少ない方がいいに決まっていますし? 

 人間関係というやつはあまり悪化させると不確定要素となってあらぬタイミングで事態を悪化させたりするので仕方ない。というわけでこの小細工は楽しい息抜きとしての下級侍女という身分を保全しておきたいという欲ではないのである。

 内心言い訳をしつつ、控室に居た下級侍女に挨拶をし、お父様やラウルなどの公認となったがゆえに手に入れることができた事務官向けの乙女探しの流れの指示書を確認した。


 乙女探しの予選……スサーナの感覚だとどうしても予選という感じになるお茶会は本日を含め、どうやらあと二度。レオくんの指名があるかザハルーラ妃のお眼鏡にかなったお嬢さんたちを数名集め、年改め前の吉日に内廷で行われる祝日のパーティーに参加する権利を与える、というのがまずはその権利となる。

 ――これ、お父様達の思惑が関係しているせいでこういう感じなのかと思っていたんですけど、これを見ると何か縁起担ぎ的な手順でもあるのか。そういえば剣も魔法もある世界なんですよね、ここ……。

 三度の祝宴と選定というのは何らかの神々の故事に範を取った行いであるらしい。


 ともあれ、そうして選出されたお嬢さんたちの中に狙いの亜麻色の髪の乙女がいれば――絶対にいないわけだが――レオくんが彼女を選び出し、居ないのならばそのお嬢さんたちはそれでも眼鏡にかなったとしてザハルーラ妃の妃宮に迎え入れられる、とそういうシステムらしい。

 もしも亜麻色の髪の乙女その人が現れなかった、ということになれば、その後もじわじわと乙女探しは続き、これぞというお嬢さんを探すことは行われるようだが、大々的なお祭り事として行われるのはそこまでであるようだ。


 ――なるほど、盛り上がりは由来ある祝日に向けてのものである、と。確かに形式としてとても王子妃探しっぽく貴族の方々が思いそうですし、神々にあやかっていろいろな意味での良縁を求めようという発想ならザハルーラ妃の行儀見習いを探すというのにも良さそうにも思えますし、神託的なものと思えば人探しにこの形式でもおかしくないんですね。

 罠を張るにしてもどうしてそんな、と思っていた理由が王権神授由来であったことをスサーナはそこではからずも再認識し、少し遠い目になった。物事の理由が論理ではなく、呪術的なものだと知らされるとなんだか少し動揺してしまうのは元現代日本人としては仕方のないことだろう。

 まあ、スサーナには実感が無いもの、多分何かの効能は実際にあるかもしれず、また、そうして疑われない要素があるからこそお父様達は大手を振ってそうしたのだろうが。



 ――しかし、まともな指示書きと資料を得られるってやっぱりいいものですねえ。

 守られる立場のご令嬢よりも随分好きに嗅ぎ回れるし、下級の使用人というのは潜り込むにはいいのだが、断片的だったり局所的だったりする指示と噂話で物事が回っていくので物事の全体を見るのにはあまり向いていない。やはり、なんであれ予定の全体が見られるというのは精神衛生にいいものだ。

 スサーナはそう思いながら指示書きを折りたたみ、自分の割り当ての棚にそれを入れようとして、ふとした違和感に動きを止めた。

 ――あれ?

 開いた棚の中を見回すと、すぐに違和感の正体は知れた。割り当ての棚の中に置かれている文箱。下級侍女用の蓋のない簡素なそれに重ねられている書類の一番上に、見知らぬ紙が乗っていたのだ。

 ――む。鍵はたしかに無いですけど、なにか用件があるならここに直接入れます? それとも、どなたかからの手紙?

 なにかちょっとした伝言に、というにはそれはおかしかった。そういうときに使われる古布紙でも反故紙でもなく、比較的安価に手に入る処理端や穴あきの羊皮紙片でもない。四つ切にされた公文書用の羊皮紙なのだ。

 きちんと四角に切り分けた羊皮紙は、学問の街であったエルビラでは低品質と呼ばれるものであれ比較的手に入りやすかったが、この王都、いや、王宮では、侍女と呼ばれ、貴族の家柄から雇われるものの、下働きに近い扱いの下級侍女ではたやすく使えるというものではない。文官にねだればたまさか手に入らないこともないだろうが、けして気軽に日常用途として消費するものではないのだ。


 スサーナはそろそろとそれを取り上げ、もう一つ眉をしかめた。

 折りたたんだ紙の内側、彩色写本に使う朱色と緑の顔料で彩られた瀟洒な枠のなかに描かれていたのは紙の高級そうさとは不似合いな稚拙な地図だ。


 これと同じものを先日スサーナは見たことがある。

 ――これ、第三塔さんをご案内したときに案内用として渡された紙片の地図と同じ……?

 同じ、というよりも、あの地図を書写すればこのようになるだろう、というのが正確だろうか。あの地図はいかにもやりたくない仕事がたらい回しにされてきたものらしくぞんざいで、誰かの指示を聞いてとりあえずメモをした、という風にぼろぼろの紙片に走り書きされていた。いかにも現場の覚え書き、という風情で、そうして見るには違和感はなかったが、この上等の羊皮紙に書かれているものとしては違和感が勝つ。

 ――それに、この文面……?

 その紙に書かれているのは地図と、短い文言だ。

『誰にも見つからぬよう魔術師を案内し、秘された儀式を行わせよ』

 ――なんだろう、違和感がすごい……なんだろう?

 スサーナは唸る。元の紙にはこんな文面はなかったはずだ。

 ――あれと同じ……ように見えますけど。って、そうだ。あっちも取ってあるんですから並べて確認したらいいのでは?

 数秒、声に出さずに違和感に唸り、それからはっと思い至りスサーナは文箱の中の書類をめくり出した。あの時の指示書きは重要な機密めいたものであった気もするのだが、魔術師以外触れないものであったためか特に回収されずにスサーナの手元に残ったのだ。あのときはこんな事態になるだなどと思わなかったスサーナは、その紙片をいつもするようにこの文箱に入れて、そのままにしたはずだった。

 ――そう、ええと、あのときは……水桶の準備が一瞬で終わっていた件でサラさんが慌てていたから、お話しながら全部ここに突っ込んで、そのまま次の仕事に……


「無い……」


 スサーナは不穏さに口元をひん曲げると、部屋に残った下級侍女たちに声をかける。


「すみません、先輩方。あの、しばらく来ない間に私の割り当ての荷物置き場、掃除かなにかありました?」

「え? 別にそういうことないと思うけど。」


 首を傾げた一人に曖昧にお礼を言い、スサーナは思案した。

 ――とりあえず、いつからここを開けていませんでしたっけ。一昨日来たときは開ける余裕がなかったし、その前。五日は来ていませんでしたし……まず、着替えはここであまりしないですからね。荷物もそうありませんし……、そう、前の乙女探しからこちら、あの地図があったかどうかも、この紙がいつ入れられていたかも確認するタイミングはなかったですね……。



 割り当ての棚に向き直り、棚の中で紙を広げなおす。

 ――この紙。違和感しかないんですよね。

 紙は最高級品で。地図は紙片から写したような簡単なもの。

 ――それに、使われているインクも。

 羊皮紙に筆記する際のインク。基本的には没食子インクが使われ、墨に近いランプブラックやカーボンブラックなども使われる、というのはスサーナが記憶している前近代と変わらない。ランプブラックやカーボンブラックは手に入れやすいが羊皮紙に使うという点では没食子インクには耐久性や耐水性の点でどうしても劣る。だが、没食子インクと同じように使える染料インクがこちらには存在する。

 土虫インク、と呼ばれるものがそれだ。没食子インクが虫こぶインク、蜂インクと呼ばれることもあり、この都市部では差異を気にせず使うものも多いようだが、ドロクイと呼ばれる小型の魔獣の体液から作られたそれは、安価に大量に作成でき、ビリベルジンの色なのだろうか、インクの輪郭に緑の気配を残す。

 そして、それは、曲がりなりにも魔獣の組織を利用している、という点で、公文書や、高位貴族の使うインクとしては暗黙の了解で好まれないものなのだ。


 ――こんな高価な羊皮紙を用意しておいて、インクがこれ、っていうのは、変ですよね。

 公文書に好まれるシャープで流麗な線ではなく、どことなくぽってりとした線の周囲には、確かにじわりとした緑がにじむ。

 文言もなんだか変だ。

 中途半端に格式高くしたような言葉選びもおかしければ、内容もおかしい。

 魔術師を誰にも見つからないように案内せよ、と言うけれど、魔術師が見つからないことを望むならそんなもの魔術を使えばいいだろう。秘された儀式というよりあれは施設管理ぐらいのノリだった。

 ――まあ、それは、常民の認識と都合と魔術師のやり方は違うということなのかも知れませんけど……


 不穏だ。

 とても素直に考えても、あの案内の後に指示書きをちゃんとしたものに交換する、という要請があのときの命令系統の上役の文官にあった、とは思えない。

 それが一番平穏な事情なのだが、どれだけ希望的観測を高めに見積もったとしても無理があるだろう。

 次に思い当たる可能性は、王宮の守りを弱めた、というやつに関わる物事だ、ということ。

 ――普通、そういう事件があって? 前回に案内した下級侍女に話を聞こう、として……出仕していなければ。取り敢えず調べるのは荷物置き場、ですよねえ。

 出仕していたとしても、呼び出して話を聞くついでに荷物を改める、なんてことは簡単に想像がつく。

 スサーナは実は――偽物だけれど――公の令嬢で、偶然呼び出した相手が前の事件のときに恩を売った相手だったから、そこで容疑者から外れて、ここを調べようというものは誰も居なかった。

 だが、そんな裏事情もなく、普通の下級侍女なら。

 ――調べられて、これが見つかって? それはもう重要参考人だ。

 いつぞやのプロスペロの態度やらを考えるに、騎士団がそんなものを発見したとして、そこで関係ありませんなどと可哀想な下級侍女が言ったところで無実だと素直に信じてはもらえまい。

 そんなに物事は単純じゃないぞ、などと思ったところで証拠は証拠だ。

 ――私の素性を知っていて、そこからを政治問題とか、お父様の陰謀だってことにしようとした、というのも考えられますけど……それだったらもっと直截的に色々出来ますから、それはないのかな……


 ともあれ、不穏だ。

 スサーナは、高価そうな羊皮紙を見下ろしつつ、なんとなく。厄介事がまたひとつ積まれたような気配に、いっそ悟ったような凪いだ目を、した。

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