第128話 前途多難の学生生活 1
式が終わった後、新入生たちは上級生らしい若者たちの指示で校舎らしい場所に移動した。
スサーナ達が案内されたのは、石造りの高い天井の教室だ。柱ごとに張り出した梁にシンプルな円形の鉄のシャンデリアが下げられ、柱の間には上が丸くなったアーチ状のステンドグラス窓。漆喰で塗られた天井には星座を意味する象徴画が描かれている。
その中に背もたれ付きの重そうな長い木のベンチと長机が一体化したような座席が数列余裕を持って並べられ、教室の前には教卓らしい一段高くなった飾りのついた席と書見台が据えられていた。
なんとなく島の講の教室に似てはいたが、ずっと豪華で重厚で教室が広いことと、講では立った教師を狭く囲むように置かれていた座席が余裕を持って教卓の前に並べられているところが違うようだった。
どうやら記章の形状で身分ごとに分けられているらしく、寄宿舎生たちと市内通学の商家の生徒たちは同じ教室に入れられたようで、特に座れという指示もなかった現状、それぞれ一塊ずつになり、なんとなくどちらも相手の出方を伺っている、というような状況である。
市内通学組は24,5人で、5人ほどが男子で残りが女子である。
それに対し寄宿舎組は男子が10人、女子が2人だ。
ひとクラスの人数にはそこそこ丁度いいというところだろう。
別の群れのメダカを混ぜたような状況に、スサーナは共同生活をした寄宿舎生はともかく商人の子供たちは何故群れを間違えないんだろうという失礼な感想が湧き上がってきたが、なんとなく自分とジョアンに時折訝しげな視線が向くのを感じ取り、
――あ、服で判断してるんですね。
そう気づいた。
制服のアカデミックドレスは襟元をぐっと開いて折返し、飾り紐で止めるという細工をすると大きく前を開けて着られ、春先はどうやらそうやって着ることを目されているらしい。そしてそうやって着ると下の服がよく見えるのだ。
彼らの服は基本的に豪勢である。
服を用意した彼らの親族も気合を入れているのだろう、刺繍の多寡やデザイン差はあれど基本的には貴族の外出着に近いようなよそ行きを男女ともに身に着けている。
刺繍はちょっとまばらだったり量が少なかったりするが全面、基本的には金糸銀糸で、布地は彩度の高い鮮やかな染め。地域性の違いかスサーナの目にはややけばけばしく見えるぐらいだ。
対して寄宿舎生の服は人によって様々、とは言え基本的にはシンプルだ。男子に寄ってはクニャクニャによれた服だったり昨日と同じと思われる服だったりもする。まあ手持ちの服の枚数もあるし、用意してくれる人の居ない寄宿生活なので仕方ない部分だ。
その中でスサーナが島の今季の流行の形にし、モノトーンの幾何学模様が織りだされた裏地をつけたモスグリーンのジョアンの上着と、スサーナ自身が「寄宿舎の皆と出るなかであんまり目立ちすぎないものを」と身に着けた、シンプルながら共布の二重パイピングを襟袖全面に、さらにその上で飾りパイピングを要所に施し、パーツ分けした布の小さな部分には布と同色の唐草文様めいた刺繍をぎっちり施した――ぱっと見には地味だがすばらしく手が込んでいるという恐ろしい逸品だが、儀礼用衣装には地味そうに見えるものはこれしかなかった――表地はベージュから淡い薔薇色に推移し、抹茶色の裏地をわずかに覗くようつけるという作りのワンピースはまあ、きちんとしていて比較的目立つ。
スサーナは思案する。ちらちら見られるのも落ち着かないし、君もしかしてこっちなんじゃ、とか言われる可能性を考えると寄宿舎男子たちの反応が面倒臭そうだしそろそろ座りたいが、こうして二つの群れになっているといつまでも座れなさそうだ。というわけでなんとなく場を和ませたくはあるがしかしここで仕切るような言動をして
一学期の一日目の行動は尾を引くものなのだ。
スサーナがさてどうするか、ジョアンあたりをそそのかして自己紹介パートにでも持ち込むことを考えようか、などと計画していたところ、妙な沈黙と拮抗に満ちていた場の空気を破って口を開いたのは市内通学組の一人の少年だった。
慣れていないのか新入生に指示も出さずに教室の前の方で配布物らしい箱の中身を並べている、監督役らしい上級生に食って掛かったのだ。
「おい! なんでこんな貧乏人共と同じ部屋にいなきゃいけないんだよ!!」
「ええっ、いや、先生が来るまで新入生は教室待機で……」
「早く呼んでくるかあいつらを外に出すかしろよ、貧乏人の臭いが移るだろ」
ぱっと寄宿舎生の男子達が気色ばむ。
――く、く、クソ度胸~~~!!!
スサーナは出端をくじかれたのもあり、場違いにもむしろちょっと感心すらしてしまっていた。
今の空気でそれはものすごく度胸があるか超弩級に空気が読めないか、場の停滞に耐えかねて自分を生贄の羊にしようと悲壮な決意を決めたかぐらいしか想像ができない。
ジョアンなんかはひょろひょろだが、寄宿舎組の男子たちの中には肉体労働の経験があるようで、結構しっかり筋肉のついたものも数名居るのだ。
そして、気色ばんでいるのはそういう体格が良くて血の気の多そうな男子達が主だ。ひょろひょろのジョアンはつまらなさそうに壁にもたれて欠伸をしている。取り合う気がないのはいいことなのでぜひ止めるのを手伝って欲しい。
対してその少年は痩せぎすと言うほどではないがほっそりしていて軽そうで、喧嘩になったら勝ち目がなさそうに見える。
とはいえ本当に喧嘩をして何か問題になっても困るので、前に出かけた男の子たちの前に立ち、まあまあまあとスサーナは皆を押し戻した。
「ええと、落ち着いてくださいね。初日に喧嘩沙汰とか本当に良くないと思いますので……停学とか退学とか良くないですから!ね!」
「なんだよ、お情けで入学させてもらった貧乏人共が何か文句あるのか?」
嘲るような声に男子達の雰囲気が一層剣呑になる。
まあまあまあ、とスサーナは皆を押し戻し、それからあれ?となった。
――……この感じ、私が矢面に立つ形でないとおさまらないやつです?
襟首にでも掴みかかりに行きそうな男子達を抑え込もうとしているのは自分ひとりである。ミアはオロオロしているし助けになりそうにない。
とりあえず自分が何か言い返しでもしないと、相手の言い分を飲む形だと男の子たちは納得しないだろう。制止を振り切って飛びかかりかねない。
商家の女子達が止めてくれないかなあ、と願いを込めて見つめたりもしたが、彼女たちは周りの女の子たちとひそひそ囁き交わすばかりで止めてくれそうにない。
――そんな面倒背負いたくないですもんね初日から! わかってた!!
スサーナは諦め、とりあえず極力ヘラヘラした表情を浮かべて声を上げた。
「ええとー、数少ない同じ庶民の生徒なんですから、初日から変に空気を悪くせず仲良くしません? なんと言いますか、度量に期待していると言いましょうか……」
正直、どれだけイキったところで彼も同じ庶民だ。身分制度的には彼我の差はない。偉い貴族がやって来たら一緒になってぺったんと平伏する間柄なのである。
「同じ? 馬鹿言うなよ、俺の親父はシンキンで二番目に大きな貿易商だぞ」
――ええと、シンキンってどこでしたっけ。
スサーナは微妙に思い出そうと努力する。
「ええとシンキンって言いますと……」
「はっ、貧乏人の上に田舎者か? バカ女め。ウスノロで話にならないな。」
スサーナはぽんと手を打つ。
「あ、思い出しました。確か習いましたよ。ロハの衛星都市ですよね!」
中部の大都市の一つ、ロハに付随する街の一つだ、とスサーナは思い出した。前世の感覚で言えば地方県庁所在地に対する隣の市ぐらいのイメージの場所だ。正直知らなくても田舎者とそしられるほどのメジャーな場所ではないが、スサーナはかしこくかしこくそこは黙っておくことにしたのだ。しかし。
「ああ、習った習った。産業も特産もロハのおこぼれでしか動いてない地味ぃーな地方都市だったな。村に毛が生えたみたいな規模だっけ?」
横から聞こえたジョアンの声にスサーナはひきっと表情をを引きつらせた。
ジョアンがいつの間にか壁から離れ、前に出てきていた。インテリめいた見下し目で少年を眺める。
「ジョ、ジョアンさん? 余所の土地のことをそんなふうに言うものではナイデスヨ」
相手の少年は怒りのあまり卒倒しそうな表情だ。顔を真赤にして唇を震わせている。
後ろの寄宿舎生たちの間から野次やら煽り声やらが飛ぶ。上級生の監督生徒に止めてくれないかとスサーナは視線を送ったが、こういう事態に慣れていないのだろう、羊みたいな気弱そうな顔をした監督役の生徒はオロオロするばかりだ。
「本当のことだろ。そんな土地で二番目ね。ロハと纏められたら順位なんて数えられないぐらい下だからわざわざそんな風に限定しないとと自慢できないのか。貴族どもも大概だと思うけど、そこまでして自慢しなきゃいけないとか小金持ちってやつも大変だな、鶏のマウンティングみたいで。同情する――ああ、お前、雄鶏に似てるって言われたことないか?よく見たらそっくりだ」
上の方を立たせ、襟足は長めにした黄色みの強い茶色の髪は、言われてみれば島によくいる種類の茶色の雄鶏に似ていないこともない。そう思ってみると着ている派手な服もカラフルなタイプのチャボに似ているような気すらする。
更に悪いことにジョアンの挑発がツボに入ってしまったお嬢さん方がいたらしい。少年の後ろ、商家のお嬢さんたちの間からもくすくすと忍び笑いが漏れ聞こえる。
――ひ、ひとがせっかく穏便に済ませようとしているというのにーーー!!
スサーナは曰く言い難い気分でジョアンを睨みつける。
ジョアンがはっと嘲り笑いを見せる。相手の少年の堪忍袋はそれでぷっつり行ったらしい。不明瞭な叫び声とともにジョアンに向けて突進してくる。
体格はどちらも細身でウェイトは釣り合いが取れているかもしれない。ジョアンが不敵な笑みを浮かべて拳闘めいた姿勢をとった。
――ですから初日から喧嘩沙汰はまずいですってばーーー!!
スサーナはあわて、反射的に二人の間に飛び込んだ。
いかな細身の男子とは言え、キレた男子生徒のタックルに小柄で軽いスサーナが踏みとどまれるものではない。あっけなく跳ね飛ばされて長机と椅子にぶつかり、悪いことに脚のバランスが元々悪かったのだろう、派手な音を立てて机と椅子が倒れた。
――あ、やらかした。
その思考が終わり切る前に倒れた椅子に巻き込まれた形で転がる。
商家の女の子たちがきゃあっと悲鳴を上げた。
「やだ! スサーナ! 嫌あっ!」
ミアが泣き出し、駆け寄ってくる。
少年も一瞬遅れて何が起こったか理解したらしい。貧乏人と認識している相手でも流石に女子を大怪我させたかもしれないという状況で平然としているという格の高い悪役性はなかったようだ。頭に登った血が下りたらしく、真っ赤だった頬の血の気を引かせて動きを止めた。
一瞬あっけにとられて棒立ちになっていたジョアンも急いで倒れた椅子に飛びつく。
引き上げた椅子は重厚さにふさわしくとても重い。彼はその重みに蒼白になった。
「くっ……そ、なんで椅子の癖に重いんだよ! おかしいだろ!」
長椅子の反対側の端寄りに立っていた商家の子供の数人がはっとなって椅子の端を持ち上げるのに加わる。
椅子の背が押し上げられ、重たい音を立てて立て直される。
「おい、大丈夫か!」
覗き込まれ、下敷きになっていた椅子を取り除かれた少女は、
「あいたたた……痛、くないですね……。ええと、大丈夫です。なんともありません。ありがとうございます。」
目をパチクリしながら平然としていた。
スサーナは自分の周りをうっすらと取り巻いている光を見る。袖の中にしまった手首にほんのりとした暖かさを感じる。護符だ。
前回のハンカチの際よりもずっと隠匿性が高そうな、目を凝らさなければ見えない程度の光だったが、強度が低いということはなさそうで椅子の重量はなんということもなく防ぎきったようだった。
――ああー……こんな事でお守りの無駄打ちしちゃった……
初日ですよ初日。スサーナは遠い目でしょんぼりする。
――もし一月ぐらいで使い切っちゃったら第三塔さんになんて言い訳したらいいんでしょうね……
それはもうどれほど胡乱げな目で見られることだろう。
鮮明に呆れ顔を想像しつつ、スサーナはよいしょと立ち上がる。埃をはらおうかと思ったが、障壁は衣服までしっかりカバーしたようで床にべったりついたはずの服は綺麗なものだ。
薄い光が消える。
「いやあ打ちどころが良かったと言うか、ほとんど重量は掛かってなかったので。運が良かったです。ね? 打ち身一つありませんですし。大丈夫ですよー。」
とりあえずスサーナは長椅子を持ち上げてくれた人たちにお礼の言葉とともに一礼し、それからべそべそするミアをなんともないですから大丈夫ですからと宥めに掛かった。ミアの背中を擦るスサーナを見てジョアンが硬い表情のままで微妙に震える息を吐く。
「きゅ、救護室に」
わたわたと駆け寄ってくる監督生徒にスサーナはああいえなんともないですので、とペコペコした。
「っなんだよ! 驚かせやがって! 大袈裟なんだよ!」
相手の少年が叫ぶが、声がめちゃくちゃ震えていたのでスサーナは逆にほっこりし、ああーすみません、お騒がせしましたと頭を下げる。
その光景を見て収まらなかったらしいのが数人の寄宿舎生の男子たちだ。
「てめぇ……!」
少年を取り囲むと一人が彼の襟首を引っ掴む。
スサーナはぴゃーっ事態が振り出しに戻っただけ!と慌ててそれを止めようとした。
そこに、
「なにをしているのです!」
凛とした声が響いた。
教室の入口。開いたドアの向こうに立っていたのは下級貴族の少女が二人だ。
少年たちは下級とは言え貴族の登場に飲まれて手を下ろす。
すいーっと首を伸ばしたスサーナは、心底登場に感謝しながら、男の子たちをぐるっと避けてとっとっとと戸口に駆け寄った。
「お嬢様方。どうされたんです?」
やってきたのはつまりレティシアとマリアネラだ。多分貴族のご子息・ご令嬢達のオリエンテーションは離れた部屋で行われるので、ここに居るということはわざわざこちらに用があった、ということだろう。
「ああスサーナ、喧嘩なのですか? 野蛮なクラスですこと」
「お母様の一番のお気に入りの侍女をこんなところに置いていていいのかしら。お父様に申し上げなくちゃいけませんわね」
後ろの雰囲気が固まったのが背中で判る。ひっとあの少年の声が聞こえた気がし、うわあ初日から踏んだり蹴ったりの気分でしょうねとスサーナは微妙に可哀想になる。
多分なにかがあったと見てのわざとなのだろう。いつもより三割増ぐらいな高慢そうな態度で胸をそらした少女たちにスサーナはまたまあまあと曖昧な笑みで頭を下げた。
「いえ、特に大したことでは。それよりもなにかありましたか?」
「いいえ、入学式の時のことを話しに来たのですわ。ただ、こちらはまだオリエンテーションが終わっていないのね。」
レティシアが答え、マリアネラがええ、新入生代表の方のお話です、と小さな声で言う。
スサーナはなんの話なのかそれで合点した。お嬢様たちもあの日案内した男の子がまさか王子様だなんて事は予想していなかったのだろう。
「わたくし達、教室で待っていますわ。西棟の二階の六番教室です。オリエンテーションが済んだらいらしてね。」
マリアネラが言い、それからお嬢様二人は扉の横に小さく会釈した。
こほん、と咳払いをしたのはまだ若い、栗色の髪を野暮ったく長めに切り、優しげな顔立ちが相まってなんだか頼りなさそうな印象の男性教師である。
「じゃあ、もう入って大丈夫かな」
そう言われてスサーナは慌てて戸口からどく。
――ん、もう?
この人、喧嘩中に中に入れないで教室の外に居たのか、とスサーナは察し、早く入ってきてくれればよかったのに、と遠い目になった。
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