第295話 スサーナ、困惑する。
そうして数日が経つ。
その間にあれは何をしているんだと聞きに来たフェリスちゃんに迂遠に話を通し、お父様に「妃宮で親しくしてくださるビセンタ婦人という方にお出かけに誘われた」と説明した――肩をすくめつつ片眉を上げて笑うというどう解釈したものか難しい反応を頂き、そうか程々にね、となんと解釈したものか難しい言葉とともに許可が降りた――スサーナは、程よく無難な装いでお誘いをお受けすることに相成った。
当日。迎えの馬車にはビセンタ婦人と、彼女と親しいらしい……ありていに言えば取り巻きめいた雰囲気の貴婦人が一人。スサーナが乗り込むと彼女たちはにこやかにスサーナを迎える。
「お誘いありがとうございます。ビセンタ婦人。年改めのパーティーは初めてなので、楽しみです」
「ふふ、ショシャナさん、どうぞ気楽になさってね」
これからビセンタ婦人に伴われて向かう先はサルガード家という貴族の家だ。昔いろいろあって今はあまりぱっとしないというもののそれなりの家柄。今はイベラと呼ばれる土地を治める候を任ぜられている。
島では冬至の祝いは静かなものだったが、王都では冬至から新年まで盛大に祝うものらしい。これから出向くパーティは、前世でいうクリスマスウィークのようなもの、その発端である冬至の祭りのパーティーなのだそうだ。
お披露目前の娘たち、少年たちは貴族であってもほぼ夜のパーティーというものには招かれないものだが、冬至から新年に至る時期に各家庭で催されるパーティーは例外の一つだ。なにやら建前上はカジュアルな
馬車は夜の始まった貴族街を走り、門扉を大きく開いた一軒の屋敷の車止めで止まった。
たっぷり明かりを使い、華やかな空気の流れる玄関ホール。それなりの人数が談笑する中、招待主らしい初老の貴族夫婦がにこやかに挨拶をしているのが見える。
ビセンタ婦人は迷わずそちらに向かい、前に挨拶の口上を述べていた客を半ば追い払うように
「イベラ候、お招きいただきありがとうございます」
「ビセンタ婦人。ようこそいらっしゃいました。」
「歓迎いたしますわ。今日は楽しまれてくださいませ。」
「ええ。とても賑わっておられますわね。ああ、そうだわ。こちら、ショシャナさん……ああいえ、申し訳ありません。ショシャナ嬢でらっしゃいますわ。ミランド公のご令嬢の……」
紹介を受けたスサーナは一礼する。
「ご紹介に与りました、ショシャナと申します」
おお、とまあ、という感嘆の声が響き、歓迎の口上を受けつつスサーナがちらりと見上げるとビセンタ婦人は実に得意げな表情をしていた。
その後、うすうすならず予想していたことだが、招待主との会話を耳に挟んだ他の招待客がビセンタ婦人とスサーナを取り囲み、スサーナはしばらく挨拶に忙殺される。ビセンタ婦人は随伴主としてスサーナを彼らに紹介し、非常に鼻が高い様子であった。
それはパーティーの会場に入ってからも当然続く。
歌うたいと演奏家、道化師なども揃え、テーブルゲームのたぐいも見える、いかにも子供も喜びそうなパーティーであるものの、そんなものに気を取られる余裕はありはしない。スサーナは会場中ビセンタ婦人に引っ張り回され、彼女が興味津々の貴族たちと行う会話の横に控えて適宜相槌を打ち、行儀よく微笑んではビセンタ婦人に連れてきてもらえて嬉しいというような事を当たり障りなく言い続ける。
――多分、今晩ずっとこんな感じなんでしょうね。まあ、こうしていい気分になって頂くのも仕事の一環ですから。
スサーナはそっと諦めを唱え、表面上はビセンタ婦人に懐いたように一歩下がった位置でにこやかに挨拶を返しつづけた。
どれほど世間話を聞いただろうか。世間話というのも馬鹿には出来ず、ビセンタ婦人周りの細々したことを数多く知れたし、気になることも色々あるが、流石に頭が重い。
流石のビセンタ婦人も喋り疲れたようで、飲み物が用意されたテーブルに寄って果物とスパイスをたっぷり足したホットワインを口にしはじめた。スサーナはようやく休み時間がやって来た、というような心持ちでわずかに脱力し、意識を曇らせず口にできるものを探そうと、こちらはノンアルコールのものが揃えられたテーブルを目指す。
入り口にほど近いテーブルでオレンジジュースを受け取って数口くちにしたその時。スサーナはふと動きを止める。
――今、亜麻色の髪の乙女、って言ってましたね?
まあ、ビセンタ婦人が来ているからといって、このパーティーに来ている人々が皆ザハルーラ第三妃とは距離を取る関係だ、というはずもない。乙女探しに興味がある貴族もいるだろうし、今ホットな話題なのだから話のネタにしてもおかしくはない。
だが、一応渦中にいる身としては気になるものだ。スサーナは耳に引っかかった単語に飲み物を飲むのを中断し、会話の聞こえてくる方に首を向けた。
会話をしているのは今まで玄関ホールにいたのだろう一群だ。なるほど、新しいお客がやって来たらしいな、と把握しつつスサーナは深く眉をしかめる。
聞こえてきた新たな客の声が、非常に神経に障るものだったからだ。
――この声、もしかして――
彼らの後から入ってきたのは、スサーナの予想通り心当たりのある風貌の人物だった。まるで名士のように貴族たちが彼の周りに集まり、愛想笑いを浮かべて挨拶をしているのすら気に触る。
――やっぱり。あの暴力貴族! ……あの人がアブラーン卿ですね。
「はは、ええ、その通り。親戚の子を引き取りましてな。今日はそれを皆様にご紹介しようと。ええ、ええ。これがあの祝賀の席にいたというものですからこれはもしやと思っておりましてな――」
「ほう、それは素晴らしいめぐり合わせですな。もしも第五王子に見初められればご一族の勢いもさぞ……」
ネルの報告からすれば、その引き取った子というのは教団に用意させた偽物(とはいえ、基本的に皆偽物なのだが)だ。
――ものすごく嫌な相手を見ましたけど、むしろこれは好機ってやつですね。連れてきているのは好都合。気をつければいい相手の顔を確認できる。
要注意人物、教団の用意した偽物が今連れてきている相手だけとは限らないが、少なくとも一人正確に把握できるのは悪いことではない。
スサーナは内心目を鋭くしながら、パーティールームに入ってくるアブラーン卿と、その後ろをついてくる「偽亜麻色の髪の乙女」の顔を確認しようと視線を注いだ。
――――えっ?
「おい、こちらに来なさい。紹介させて頂きましょう。」
スサーナは取り落しかけたオレンジジュースの陶器カップをすんでのところで支える。
「先日引き取ったサラです。」
「どうぞ、お見知りおきくださいませ」
進み出てきたスサーナとそう変わらぬと見える年の頃の少女は髪色こそ記憶にないくすんだ亜麻色であったが、確かにスサーナには心当たりのある風貌であったからだった。
――さ、サラさん!? ええーっ、サラさん!?
スサーナは混乱しそうになるのをなんとか抑えつつ、そっとその姿を上から下まで確認する。
こちらの、潤沢に灯りを使っていてもそこまで明るいとは言い難い照明の具合かと希望を託しもしたが、声といい、薄化粧の面立ちといい、下級侍女の同僚であるサラに一致しているように見える。
スサーナの記憶にあるサラの髪はあかるいアプリコットベージュだったが、緊張した表情で歩いていく彼女の髪は蝋燭の光をうつしても艶のない亜麻色をしているというのだけが違いだ。
――髪の色、抜いたんだ。
ヴァリウサでは髪の脱色は一般的ではない。その理由はいくつかあったが、髪を脱色できるという触れ込みの薬剤は髪も頭皮もひどく痛めるのだ。そのリスクを侵すほどに金髪は流行りではない。そして、流行りではないので技術的に洗練されておらず、施術する髪結いもほとんど居ない。
つまり、現代日本のブリーチに比べると明らかに無理な脱色で、もしかしたら地肌は赤剥けになっているのかもしれない、とハラハラしつつ、スサーナは声をかけるかどうかをしばらく悩み、流石にバレかねないとなんとか自制した。
――うわー、うわー、ええー、ちょっと、これ、どうしましょう。
スサーナはイメージの中だけで盛大に頭を抱え、心底困惑するのだった。
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