第324話 偽悪役令嬢、そっとテンパる。

 みわーっ。

 スサーナは心のなかで盛大に自分でもよくわからない鳴き声を上げていた。

 ――こ、これでそれっぽい噂と理解が発生しつつも程よく邪魔されない形になりました!?

 謎のテンションで、やってやったー、やってやったぞー、などとも叫ぶ。

 だいたいアレで良かったのか。悪役令嬢っぽかっただろうか。というか悪役令嬢っぽさって一体。悪役令嬢とは。やっぱりちょっとは高笑いをしたほうが良かったのだろうか。

 演じる上でイメージしたのは初期印象のツンツンしていたエレオノーラなので、なんか悪役というよりも匂い立つ正義と規律の人という感じになっていたらどうしたものか、という思いもないでもない。


 かつりかつりと薄暗い廊下を進む。後を追ってくる人はおらず、どうやらショシャナ嬢がサラを連れ去っては都合が悪い誰かにさっとご注進が行った、ということは幸運にもないらしい。サラの手は冷たく、……普段から手が冷えがちで握手したレミヒオくんがびゃっと飛び上がったことがあるスサーナよりも冷たくて、どれほど薄着のままで寒いところにいたのかと思う。サラの手は水仕事をした後でもなければほかほかと温かいほうだったはずなのだ。

 ――首も大きく空いているし、手首も覆わないし、裏地だって薄くて、体温を保つ作りのドレスじゃない……。確かにここは温かい土地なんでしょうけど、それにしても冬至なんですから、限度がありますよ……空調暖房があるわけでもないのに。

 足元ももつれがちなのも、先に進みたくないとかひどく混乱していると言うだけではなく、足が冷え切ってもつれているのもあるのだろう。……それと、靴のサイズも合っていないのだろうけれど、それもまた足の血行を悪くする原因だ。

 ――あの部屋、火が入れられるような感じではなかったですから、やっぱり上着を調達してよかった。温かい飲み物も取ってこられたら良かったんですけど、流石に手が埋まるのは駄目ですもんね。それに温かい飲み物を持ったままだと悪役令嬢感があんまり……いやどうなんでしょう。悪役令嬢はワインを持ってるイメージがありますし、ホットワインでもいける……?

 思考は盛大にとっちらかっているものの、見た目ばかりは極力すまして、悪辣な悪役令嬢は哀れな被害者の腕をとったまま先に進む。あまりだめになっているところをあらわにすると、今は雰囲気に飲まれて着いてきてくれているサラが手を振りほどくなり悲鳴を上げるなりすることに気づいてしまうかもしれず、そうなってしまったらこの作戦は瓦解してしまうのだとスサーナはよく判っている。


 道中に邪魔は入らず、首尾よく小部屋にサラを押し込み、後ろ手にドアを閉めて、さて、とスサーナは独り言ちた。

 ――ここまではなんとかなりましたけど。……さて、ここから、ですね。

 可哀想なぐらい怯えきっているサラを眺める。この怯えがどこからくるのかわかればいいのだが。……さっきまでの怯えの延長であるに違いなく、悪役令嬢演技が効きすぎたわけではないと良いと思う。


 今日これまで見ただけでも、万が一の可能性でアブラーン卿がサラを可愛がっているとか、サラがアブラーン卿に懐いているとかいうことはないだろう。さらに、あの教団の一員として違和感なくいるなら、ネルさんの言を参考にすれば、アブラーン卿にさきほどのように怯えるということもない、のではないか。

 ――大体元の通りのサラさんだと思うのだけれど……。ただ、ネルさんの言っていた「謎の地下から出てきたときにぼーっとしていた」というのは気をつけなければいけませんし、接触してきた相手のことを報告したほうが得だと考えるかもしれない可能性は潰していきたい……

 本当なら何か色々と調べ終わってからというのがいいのだろうけれど、どれほどチャンスがあるのかわからない以上、つまり適宜相手の反応を見ながらうまいことやっていかねばならぬ。

 ――何度も考えたことですけど、スシーへの信頼がある程度あってくれればいいんですけど。

 スサーナは、さり気なくドアへの直線を阻害する立ち位置を選びつつ、扇を適当なところに突っ込んでしまい、極力人懐っこそうな笑みを浮かべてみせた。


「座ってくださいね。ここでなら二人きりですから、人に話を聞かれることも無いですから。」


 前に立ったのはそのためだよ、という顔をして椅子をすすめる。


「あの、私……っ……どうかお許しください……!」


 出来るだけ優しそうな顔をしてみせたのにむしろ悪鬼でも見たような絶望的な表情をして、座ろうともせず棒立ちのままでとうとうふるふるしだしてしまったサラに、ああーちょっとうん悪役令嬢演技も効きすぎてしまっている、と反省しつつ、スサーナはきょとんとした顔をしてみせた。


「あら、なにをです? 私がサラさんに許さないことの心当たりはまだありませんけれど。……勿論、アブラーン卿のことを、となりますと色々と思うことがありますが。」

「は……」

「さて、サラさん。……とりあえず、まずはお約束を。サラさんがここでお話しになったことは、サラさんが望まなければ外には持ち出しませんし、サラさんに迷惑がかかるようにはしない、とお約束します。エラスとミロスに誓いを立てましょう。……その上で、長い話になるでしょうから、どうか座ってくださいね。サラさんにお聞かせ願いたいことがあるのです。」

「私に……聞きたいこと……ですか……?」


 スサーナはできるだけ信頼できそうな顔をして、つっかえないように内心注意しつつ言い切り、ダメ押しに、小脇に抱えていたものをふわっとサラの肩にかけた。


「体が冷えないように。」

「あ……これ……」


 サラが手元に落ちたドレーブを持ち上げ、まじまじと眺めたのは毛織と絹織りを混ぜたカジュアルながら上等のマントだ。クローク係に入り口で預けるようなものではなく、もし余興のダンスに誘われても着たまま踊れるようなデザインと防寒性を両立した男物で、わざわざの裏地に抽象的な続き模様として織りだされた常緑樹の枝模様の中に王家の紋章がさり気なく混ぜられているという心憎い品だ。

 ――さっきかっぱいでおいて本当に良かったですね!

 当然これは、サラに声をかけるという作戦を発動させる前にスサーナが第二王子からせしめたものであり、あちらは多分ちょっと寒いかもしれないが、大人なので頑張ってくれるはずだ。

 主に火の気のない部屋で話をするにあたり、もう寒くてたまらないという顔をしているサラを温めるには適度な布がそれしかなかった、という理由であるのだが、サラの目線を見ればこれが誰のものか気づいた様子で、狡猾で邪悪な悪役令嬢であるところの役回りのショシャナ嬢としてはそこも利用しきってしまおう。

 ――威を借れる虎がいるのなら借りられるだけ借りておいてなんぼですよね。

 あまりやりすぎると後の支払いが怖いかもしれないが、サラが勝手に勘違いするぐらいならまあ許容範囲だろう。


 裏地を見て目を丸くしたサラに、おっとりゆったりに見えるように微笑みかけて頷いて、それからスサーナは胸の中だけでええと、とつぶやいた。


「サラさん、聞きたいこと、というのは、……乙女探しへの立候補……いえ、アブラーン卿の養女になったことまで含めて、私は、貴女の本意ではないのではないか、と思っているのです。わけがおありなら、話して頂けませんか? きっと、悪いようにならないように出来ると思っているのですが……」

「それは……」


 表情に逡巡した色を浮かべたサラに、スサーナは重ねて、もしそうであってもサラがそうしたくないならアブラーン卿に対してこの場で働きかけるようなことはしないし、サラの意見を聞かずに乙女候補から下ろしたりしない、と言い切ってみせる。

 これはもしかしたら後で嘘になるかもしれないが、この際誠実さというものはちょっとあっちに行っておいてもらおう、とスサーナは思っている。なにしろ悪役令嬢であるわけなので。

 一応、極力違えないようにしよう、とは思っているのだが。


「私がしたいのは…… ――サラさん、貴女が悪い状況にならないようにしたいのです。アブラーン卿に従う理由があるなら、どうか教えて頂けませんか?」


 彼女の表情を覗き込み、廊下にもいくらかの注意をはらいながらスサーナはさてどう言えば響くだろう、と少しずつ言葉を選んでサラの前に吊り下げる。

 ――手紙のことを話題に出すのは多分もうすこし後のほうがいい、気がする。私がスシーだと明かすのは……向こうにバレれば多分お父様の失点にもなりますし。でも多分よほどサラさんの反応が不味くなければ使うでしょうけど……、もう少し様子をうかがってから。


「……それは……ショシャナ様が私をお気遣いくださっている、ということなのでしょうか……」

「ええ、……そう思っていただいても構わないと思います。」

「……寛大なお心、ありがとう存じます。」


 言葉の切れ端をこぼすだけだったサラだったが、その言葉にすこし長く言葉が戻ってくる。ほっとして微笑みかけたスサーナだったが、ふと奇妙な予感にひとつ瞬いた。なんとなく、ほんとうになんとはなしに、それが敬意でも安堵でもないという気がしたからだった。

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