些事雑談 今日も気苦労

 目まぐるしく行事が続く日々に一応形がついて、数日。

 公的にある行事はあとは小試験だけで、それが済めばしばらくしたら夏の休暇だ、という、一息ついた頃合い。


 予告通り、と言うべきか、本当に保護者魔術師がやってきた。


 一体どういう風に定期検診するのだろう、確か遺跡に用があると言っていたので、学院から学生への通達はないけれどまた特別棟に滞在するのだろうかとスサーナは思っていたのだが、どうやら今度は違ったらしい。


 早朝に外に出たタイミングに舞い降りてきた使役体は伝言を記した紙を携えていた。

 明日の夜時間を取れるか、とそれには書かれていて、一応大まかな予定は事前に聞いていたものの、さすが予定取りが律儀だなあ、と思いながらスサーナは大丈夫です、と書いて返す。


 その日と次の日、なるほど教師たちの動線が学院の奥の方へ近づかない形になっているのを見てああ、今いるのか、と察しながら生活し、夕刻。

 事前に届いた指示に従って街中に出る。

 ――学内じゃないんですね? なんだか意外なような……。でも学内だと説明も面倒ですし、そうなるのか。


 町中をしばらく歩き、記述に従って辿り着いたのは路地に面した道が坂になって上がっていくその途中にある建物だった。

 スサーナはそれをしげしげと見上げ、伝言と照合し、首を傾げる。

 ――どう見ても一般のご家庭の家屋に見えるんですけど……

 しばらく逡巡し、もし違ったら道を聞きたいということにしよう、と決心して、鎖で木槌がぶら下げられているタイプのドアノッカーを叩いてみることにする。

 かつかつ、とやって数秒。

 ドアが開き、内側に引っ張り込まれてスサーナはわっと声を上げる。

 おそるおそる見上げると、目の前に立っているのは長身の青年、に見えるよく知った人物だった。


 そこらへんの都市民、とギリギリなんとか言い張れそうな衣服に身を包み、腰をかがめてこちらを覗き込んでいる。

 普段は真珠か蛋白石オパールに似た、乳白色に偏光を散らした色彩をしている髪と万色の目は、今は薄い金と青に彩られているようだった。


「第三塔さん」

「ああ。早かったな」


 スサーナを引っ張り込むと、さっさと部屋の奥に歩いていく相手の後を急いでスサーナは追いかける。


「あの、その髪と目は……」

「見咎められでもしたら面倒なものでね。……こちらだ。おいで。」


 スサーナは周囲をぐるぐると見回す。

 狭い玄関室に、そこからそのまま上に上がる階段ホール。

 白い、とは言え魔術師の塔のような素材ではなく、普通の漆喰づくりの壁。

 こちらの基準ではだいぶ狭めだが、都市部ではそこまで珍しくはないごく普通の住宅に見える。

 普通の家ならば絵の一枚も飾っているだろうところに調度の一つもないのが違和感がある、というぐらいだろうか。



「ええと、ここは……? 普通のお宅に見えるんですが」

「買った」

「買った!?」


 魔術師のイメージから外れる単語にスサーナは思わずオウム返しに疑問符をつけた。

 なんとなくだが、これまで見聞きした魔術師のイメージからして街中に建物を買うというのは想像がつかなかったのだ。


「あそこでは注目されがちだからね、場を整えるのが面倒だ。」

「そ、そんなことで家一軒をぽんっと……?」

「それだけというわけでもない。島まで戻るのにそれなりに飛ぶ。少し休む場は欲しいのでね。少人数では遺跡の内部で休むという選択肢はない上、あの場所……学院に休息場所をと望むと大騒ぎになるのは目に見えているので避けたくはあった。通う期間と頻度を考えるとこれが合理的だと判断した。」

「ああ……なるほど。」


 スサーナはそう聞いて少し納得する。早い馬車と良い船を使って往復で9日、という必要時間を魔術師の空飛ぶ像は往復半日まで短縮するので非常に早い、という印象を持っていたのだが、よく考えれば数時間以上の運転は前世の自動車でも十分辛い案件だし、よくはわからないがだいたいまる一日以上かかるような仕事、更に言えばダンジョンアタック関係の後ではそれは辛そうだ。


 しかし家一軒買うとなると手続きも大変なのではなかろうか、とそれでも思ったスサーナだが、階段を上がりながら説明されたところによると、この街は中央に学院を抱えているという特色のおかげで、と言うべきか、10年やそこら街中に家を買い、そして売る、という者も多く、街中にそこそこの数の空き家、貸家と、それを迅速に取引する仕組みができあがっているのだという。


 階段を上がりきった先は殺風景な部屋だった。

 殺風景と言うか、家具がない。前の住人が残していったと思われる木の椅子が部屋の真ん中にぽつんと放置されているのが何らかの芸術作品を思わせる。


「もしかして……ご購入は、今日です?」

「いや。入ったのは今日で初めてだが。……次までに君が座りやすいソファ程度は入れておこう。」


 言いながら第三塔が自分の髪に触れると、白みの強い金が揺らぎ、乳白色に光を散らす遊色を燦めかせる蛋白石オパールの輝きへと変わる。

 なるほど、多分自分が来る前に鍵を受け取ったりするための偽装だったのだろう。スサーナは思う。普通の格好をして不動産手続きをしている第三塔さんは想像してみるとなんとなく面白かった。


 本来居室として使われるのだろう間仕切りのない広い部屋と、奥を見れば下に下る階段。ヴァリウサの都市部小型住宅としてはまま見る、水回りを持つ台所とトイレを玄関からの動線から見せず、地階に追いやった構造らしい。

 また、それとは別に上に上がる階段ホールも見えるので、寝室などはまた上の階にあるのだろう。

 スサーナが中をふらふらと見回っていると、後ろから呆れたような呼び声がする。

 見れば椅子の側で第三塔が手招いており、どうやら呼ばれた主目的、定期検診はそれで十分なんとかなる、ということであるようだった。


 大人しく椅子に座ると何か体調に変化は、とか、服薬時気になることは、などの問診の後首筋に手を当てられ、体調を診られる。


「多少はマシになってはいるが……。また睡眠を削っているだろう。」

「え、えへへ……その、忙しいもので……お薬はよく効いて、寝やすいので大丈夫です。」


 夜は自由時間という契約ではあるが、その場にいるのに何もしないというのは前世日本人的に肩身が狭い。よって、部屋にいるのならちょいちょい雑務をこなし、他の使用人たちと同じタイミングで使用人部屋で寝る、という生活パターンなわけだが、他の使用人たちが眠っている横で寝る、というのも慣れない、ということに最近気づき出したスサーナである。

 なにより森で魔獣と出くわした日以降、なんとなく眠りづらく、寝言でも言って他の使用人たちをうっかり起こしでもしたらいたたまれない。

 結果図書館通いとバザー出品用の針仕事が非常に捗った。

 丁度クロエと図書館で出遭う日も多く、非常に喜ばれたのをいいことに明け方まで作業をした日も何日かあったなあ、とスサーナは思い返す。


 それでも皆よく寝ていると確信した後で貰った薬を飲めば不安なく眠ることは出来たし、眠りも深く、不調の気配は感じないので、トータルの睡眠の質は上がっているようにスサーナとしては感じているのだが。


「君は。」


 魔術師は額に手を当てて嘆息する。

 それからしばらく、いかに睡眠というものが重要かというお説教を受けながらスサーナはちんまりとなって反省の姿勢を見せることになった。


 さらにしばらく。続けようと思えばいくらでも続けられそうなお説教だったが、流石に適当なところで切り上げよう、という理性的な判断が働いたらしい。

 今後はもう少し気をつけなさい、という――多分本人もあまり有効だとは思っていない――定型句を言った後に第三塔は手を差し出す。


「護符を貸しなさい。魔力を籠めておく」

「あ、はい」


 スサーナは腕からお守りを外し、彼に手渡した。

 魔術師が眉をひそめる。


「なんだ……これは。術式が焼き切れている?」


 あ。とスサーナは身をすくめた。


「これが働いたのはいつで、どういう状況だったか述べて欲しい。」

「ええとその、直近ですか。そのですね、ええと、……スズメバチの巣を落とそうと思って群れに襲われた時……でしょうか。」


 スサーナはふわふわと言う。自分が森で魔獣に出くわした、という話は伏せておきたいような気がしたのだ。


「君は何をしているんだ」


 反射的に突っ込んだと思しい呆れ声。

 ごまかせたかな、と一瞬思ったものの、真面目な表情と声が降ってきて、あ、これは駄目だ、とスサーナは観念する。


「蜂に襲われた程度ではこうはならない。なによりほぼ魔力自体は充ち切っているのも異常だ。……何かあったのだね。話しなさい。」

「うっ、そのう……。魔獣に出くわしまして……その、その時にお守りがすごく熱くなったので……多分何かあったんだとしたらその時にどうにかなったんだと思うんですけど……」


 言葉を聞いた第三塔が短く絶句する。


「君は……本当に行く先々で厄介事を引き当てるな。しかし、魔獣に出遭ったとは。街中には魔獣が近寄れないよう、島ほどではないが、結界を調査会の者達が張っていたはずだが……」

「え、そうだったんですか……! ……いえ、あの。森で……です。」


 結界、という安心100%の単語に一瞬顔を輝かせたスサーナだが、話を逸らすなと言う目線にぼそぼそと回答した。


「なぜ森に。立入禁止にせよと通知は回っていなかったのか」

「いえ……いたんですけど……ええと、あの、友達が森に入ってしまってですね、迎えに行ったら……魔獣がいて。自分から入ろうとしたわけじゃないんです、絶対!」


 呆れと戸惑いの混ざった声にけして自分で入ろうとしたわけではない、と心底スサーナは主張する。魔術師が入るなと言った場所にのこのこ入り込みたがるほど危機管理能力がないと思われてはたまらない。

 全力でそう主張していると、一応それは信じてもらえたらしい。なんとなく疲れの混ざった声音で、それで、と先を促される。


「それで、その魔獣とは? どのような姿と大きさだった?」

「ええと……正確な大きさはわかりません。ただ、見えている部分だけで……この部屋いっぱいぐらいあったような気がします。白っぽいような透けたような感じで……ちょっとナメクジに似ていたかもしれないです。ええと、それで、ナメクジの首があるところぐらいのところに下手な仮面みたいな人の顔みたいなものが付いていました。」

「なんと……まさかそれほどのものが出たか。護符が働いたという事は君は襲われたのか。」

「あ、はい……ええと。飲み込まれちゃったんですけど、ええと、レミヒオくん……鳥の民の人たちが魔獣を倒して……助けてくれたんです、けど……」

「飲み込まれ……」


 彼は再度渋い顔で言葉をとぎらせ、なにか頭痛をこらえるような仕草をした。


「君は、君は……いや、今言っても仕方が無いな……」

「え、ええと……それで焼ききれた説明……になるでしょうか……」


 スサーナは相手の表情をそっと伺いながら問いかける。


「ああ、納得はできた。魔獣に飲み込まれたとは……それだけの高負荷が掛かれば弱い部分から焼けて不思議はない。魔力がほぼ満ちているのは彼らの使った魔法の為か。」


 飲み込まれたというインパクトたっぷりの言葉に引っかかっていたおかげで第三塔はその態度のおかしさには気づかなかったらしい。首を振ってため息をつくと、床に置いてあった荷物の中から銀色のインクを取り出して術式の補修らしいことをしはじめた。

 スサーナはほーっとする。

 ――うん、ええと、矛盾とかは出なかったみたいで良かった。私の使った……命脈分け、ってやつは関係なかったみたいですね……

 なんとなくだが、魔法らしきものを使えるようになった、ということは感づかれたくないような気がしたのだ。


 魔術師と鳥の民はあまり仲がよくないようだったし、第三塔さんはおうちをお得意様として良くしてくれるのだから、――それで今更態度が変わったりすることは無い気はしたが――権能なんていう曖昧模糊としたものならまだしも、能動的に使う魔法、という、おうちの子というより鳥の民という異民族の子供、という認識になりそうなことは、なんだかあまり知られたくはなかった。


「しかし、君は運がいい」


 気を取り直したらしい第三塔がスサーナの手首を取ると、護符を着けさせながら今度はだいぶ軽口めいた口調で言う。


「はい? あ、はい、無傷で済みましたしね!」

「ああ、本当にそれもそうだが、焼けた術式に毒の浄化などのためのものも混ざっていたのでね。直す前に……そう、例えば護符を過信して蜂の巣に突っ込んだ挙げ句、障壁が働ききれずに雀蜂に全身刺されるだとか、そのようなこともなかったようで何よりだ」

「あ、あははは……障壁が働いてくれて本当に良かったです……」

「主の防護術式は最後まで働くように冗長性は組んであるが、駄目になることはあるのだから、あまり過信されては困る」

「心しておきます……」


 ホッとしたところをチクリとやられたスサーナは口調だけは殊勝に頭を垂れる。

 たぶんそれで行動を自重する、ということはないだろうなと察した表情で第三塔はもうひとつため息をついた。



「そういえば、あの。」

「どうした?」

「魔獣……の事なんですけど、これまであの森にはそんなものは居ないってみんな言っていたんです。魔術師さんたちが立入禁止にしたってことは、何かご存知なんでしょうか。例えば……一体は倒したんですけど、まだ実はいるかも、とか。」


 話が途切れたタイミングでスサーナに問いかけられ、どうやらそれなりに不安そうな表情をしている、と気づいたのちに彼は少し思案してから口を開いた。


「今、全土で魔獣が現れやすくなっていてね。……だが、各地主要な都市には魔術師我々の手で島のものと同種の結界が一時的に張られているし、現れたと判断された場所には順次討伐のための者が向かったため、さほど被害は出ないだろう、と判断されている。」


 何か思い出した、という表情で眉を小さくひそめ、言葉を継ぐ。


「本来この土地にはそこまでのモノは出ないだろうと推測されていた。それ故後回しになっていたのだが……。だが、ここは……いくらか気にすべきことがあったな。……不安がることはない。戻る前に精査して後顧の憂いは断っておく。」

「それは……探して、居たら、退治して頂ける……という?」

「ああ」


 その言葉にスサーナはぱっと表情を輝かせた。

 そう言ってもらえるのならもう、怖いことはおこるはずがない。


「よかったー! 魔獣が出たってみんな分かったのでもう入る人はいないと思っていましたし、多分退治だけならレミヒオくん達が出来るとは思っていたんですけど、卵とか生んでて増えてたらどうしようって思ってたんです!」

「卵」

「はい、ナメクジみたいだったので。ナメクジは一度に沢山卵を生むそうで……」

「話に聞いたような魔獣なら増えることはない。」


 そうでしたか、と弾んだ声を上げたスサーナを見ながら魔術師は考える。

 その種の魔獣は増えることもなく、あの程度の地脈の場所に自然発生するものでもない。高い確率でエールレレシアエーィジャがその場所で術式のテストを行ったものが残されており、それがあの大術式の起動でものだろうと判断できた。

 一度他の塔の責任者達も呼んでする必要があるかもしれない。彼はそう判断する。そうした場所では彼我の境界が薄くなることがあるからだ。

 そうそう大したことが起こることはないが、気にしておいて損はないだろう。

 古い伝説のように神々の座に繋がる、などということはよほど妙なことでも起こらない限り、そうそうありはしないだろうが。





 話が済んだその後。この後眠るという第三塔に帰るつもりでスサーナは頭を下げて、それからしばし考えた。


「寝る……っていっても、ベッドとかあるんでしょうか、ここ。寝室は上ですよね?」

「いや、無かったが……、眠れないわけではないからね。」


 床で転がって眠るつもりだと聞いたスサーナはええっと声を上げる。

 家具のない引っ越し初日みたいな部屋にキラッキラの魔術師が落ちている絵は妙な前衛芸術めいていて妙な面白さがあるが、あまり歓迎できる睡眠環境とは言い難いのではなかろうか。

 家具を入れるつもりはないのかと問いかけると、最低限度を超えて街中に出る予定はないと返答がある。確かに家具を買うには人の目が向かないという魔術では不十分で、常民と接触する必要があるけれど、別にそれで家も買ったんだろうし、髪と目の色を変えておけばいいんじゃないかなあ、とスサーナは思った。端的な口調や表情の感じ、つまり面倒なのだろうと判断する。どうせソファは買うつもりがありそうなのだから、もうひと手間ぐらい我慢すればいいのに。


「私にはまともに寝ろとあれだけ仰るくせに……ええと、あの、よろしかったら今から毛布かなにかお持ちしましょうか?」

「警戒が要らない場所があるなら体温保持は術式に担わせることは可能だ。気にする必要はない。」

「いえ、でも。背中とか痛くなりませんか……?」

「問題ない。どうせ単日だけの話だ。遺跡の中で眠ることを考えるなら圧倒的に良い環境と言える。君が心配せずとも構わない問題だ」


 取り付く島のない反応をされてスサーナはしぶしぶ引き下がる。


 第三塔に見送られて玄関室に降り、外に出る。


 ――寝るための部屋なのに寝具がないのって片手落ちでは? 次回来た時にまだベッドがなかったらいっそ和式の布団でも縫って持ち込んでしまいましょうか。


 なんとなく拗ねながら、いっそ見慣れないだろう和風の布団を持ち込んで困惑させてやろうかとイメージしたが、想像してみると魔術師が和風の布団で寝ているのはあまりにミスマッチでそれはそれでとても面白い。

 ――しかも絣のお布団とか、麻の葉模様とかのザ・和!ってデザインにしたらすごく面白そう。

 何か魔術的な使用用途がある部屋、というわけではなく、寝具を置かないのにも特に理由がないなら本当に持ち込んだとしてもそう邪魔にはなるまい。

 スサーナは本当にやらかすことに決め、帰りに綿を売っている場所を見繕うことにして、一転上機嫌になり、弾んだ足取りで帰路についたのだった。

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