第40話 契約式が過ぎてから

 契約式が終わってからしばらく、スサーナは契約式で何が起こったのかを機会さえあれば大人に聞く女の子になっていた。


 あまり聞くと怪しまれるかな、とも思ったけれど、どうやら契約式を過ぎた10歳のこどもがすることとしては平均的な行動であるらしく、ほのぼのと『そうそう、契約式が終わるとみんなこうなるんだよねえ』のような反応をされるにとどまったのは予想外だったが幸運だった。


 それでわかったことは、どうもだいたいみんな無感情な……――前世の感覚からすれば、アナウンスの電子音声みたいな――何ともよくわからない声に指示されて儀式を進めた、ということ。

 それと、契約の際にはみな青い火めいた光だった、ということだ。


 ……別のことを言った人もいるにはいる、というのはスサーナの慰めになりそうではあったけれど、「なよやかな美女の声が」とか「真っ赤な炎がぼうぼうと」などと言った人たちはみな子供にする与太話を盛るタイプの人たちだったので望み薄だった。


 話を一個多く聞くたびに、スサーナは砂をほんの少し秤に足すみたいに一個不安が増えたけれど、2日経っても3日経っても、悪い知らせが神殿から来る、なんてことはなかったので、多分アレは神官が離席したせいと、母語レベルで親しんでいる言語が複数あるバイリンガル的な人はああなるのかもしれない、という理解をしておくことにした。


 魂の名前を教えてもらえなかった、ということではなかったのだ。だれも知らないはずの言葉、みんなとは違う声で話しかけられたのと、すこし契約紙の火の出方がおかしかっただけ。


 火は神官の離席で説明がつく。魂の名前は……きっと、教えられ方に多少の違いが出るのはきっと当然のことなのだ。きっと。だって自分は前世なんてものを覚えている。

 そして、多分、転生してきた、ということに大きな意味はないはず。あるなら、きっともっといろいろお告げみたいなのがあっても不思議じゃない。……神様に会った、とかそんな覚えもチートもないのだもの。

 それに、この世界にもちゃんと前世っていう概念はある。自分の前世を覚えていないのがふつうなだけだ。

 だからきっと、生まれたときから一国に住んでいる人と移民してきた人ぐらいの違いで、神様的には一番覚えている母語で話しかける、とかそういう何かがあって、それでああなったのかもしれない。きっとそうだ。


 スサーナはそう考えておくことにした。


 怖さの濁りは取れても水底に砂がたまるみたいに不安自体は沈殿して残ったけれど、わざわざ揺り動かさなければ気にはならない。そのぐらいには落ち着いた。そのはずだ。


 それはそれとして、たくさん話を聞いたので、まるで経験したみたいに「普通の儀式の話」は話せるようになった。

 スサーナは友達と儀式の話をするときはその話をすることにする。

 まあ、神官が途中で離席した、といえばそちらにばかり食いついて、全体の流れの話なんかをさせられることはほとんどなかったのだけれど。

 それは後ろめたくなくてとてもありがたかった。




 もちろん、不安と後ろめたいだけではなくて契約式にはいいこともあった。

 スサーナが着けた髪覆いはそれなりに評判になって、――いい印象を受けた人たちに叔父さんが営業スマイルで広めたせいもあって――すぐにいくつか注文が来た。


 ここで買った人たちが素敵な着こなしをしてくれれば評判になって、流行になることもあるかもしれない、とは叔父さんとおばあちゃんの見立てだ。

 スサーナと店のみんなで作った最初の一つの髪覆いは、すぐに丁寧に洗って、形をきれいに整えてから、お店の目立つところに飾られることになった。


 お店に行くたびに、お店の明かりの綺麗なところに飾られた上半身のマネキンの頭に優雅に被らされた髪覆いを見ることが出来る。

 スサーナが作ったものと、みんなで作ったカッティングレースの髪飾りはそれぞれ別のマネキンについていて、熟練の職人さんに頼んで色味をあわせてすこし簡単に作ったレプリカが三つ揃えで着けたものも一緒に並んでいる。


 スサーナはなんだかすごい仕事をしたような気がして、お店に行くたびに飾られた髪覆いを眺めるのが日課になった。

 レプリカを試着してみるお嬢さんたちや、カッティングレースのひらひらと真珠の輝きに興味を示すお嬢さんたちを見るたびにとても誇らしくて嬉しかった。




 そんなふうに日を過ごしながら、その月のうちにはスサーナはおばあちゃんの店に徒弟に入ることになった。

 とはいうものの、特になにか大きな違いが出たか、と言うとそんなことはない。

 これまでと同じように週3日講に通い、商売人の計算や礼儀について学び、おばあちゃんについて一日合計二時間ほど裁縫の練習をする。

 2日にいっぺんお店の作業場に詰める、というのが増えた日課だったけれど、これまでもそこそこ顔を出していた場所だし、他の従業員はみんな顔見知りなので気になることもない。

 むしろ徒弟だから、ときちんとした態度で振る舞いだしたスサーナに皆残念がったほどで、スサーナはやっぱり甘やかされている、とうめいたのだった。


 本店の作業場に顔をだすのではなくて、街中に数箇所あるという縫製所に行くのが徒弟としては正式なのでは?と思っていたスサーナだったが、どうやらスサーナが徒弟として覚えるのはただただおんなじものを縫うという仕事ではなく、お針子たちと同じく、お店でお客様の要望を聞きながら、それぞれの専門の人達の作った要素をとりまとめて希望通りの服を仕立てる、と言う仕事の方らしい。


 それに、縫製所に勤めてくれている職人は本物の熟練の職人で、なにやら部分部分、それぞれの特殊技術のスペシャリストばかりなのだという。急ぎ仕事ばかりだから徒弟を入れてたら回らないよと笑われたスサーナは、ずっと単純作業をするようなイメージで居たけれど、ぼんやりしたイメージと実態の違いがまだあったのだなあ、と恐れ入った。



 他に徒弟はいないのか、と思ったスサーナだったけれど、うちにお針子たちが来てるじゃないか、と言われてはっとした。スサーナの徒弟のイメージは、現代日本で培った丁稚さんのイメージだったので、あんなにお針子さんは修行だよと言われたのに一致していなかったのだ。スサーナも慣れてきたらお針子たちと同じスケジュールで動くのだ、と言われたので、それはそれで残念なような、慣れ親しんだ生活でありがたいような。


 ほかにちょうど10歳の同僚がいない、というのは少しだけ残念だった。


 さて、ではどんな仕事を任されるのかと身構えたスサーナだったが、仕事場で任される仕事は簡単なもので、安い服のボタンを付けたり、ストーブで温めたアイロンで布を伸ばしたりするようなことだった。

 これも甘やかされているんじゃないか、とスサーナは思ったが、おばあちゃんによると一年目の徒弟はなによりも年かさの職人のやりかたを見るのが仕事なのだという。


 最初は2日に一度お店の作業場に行き、一年はそうやって学んで、二年目三年目になって来たら週の半分はおうちで受けた衣服を作り、半分はお店の作業場に出るのだと言う。


 お店の作業場で学ぶのはどうやら対人がメインのことらしい。数日詰めてスサーナはなんとなく理解した。

 客のやってくる波の見方。一日続く客あしらいの仕方。お客の顔をどう覚えるか。どんなタイミングでお茶を出すか、なんていう接客の方法に始まって、手の抜き方、気張り方。ときにはどんなタイミングで休憩を入れるか。作る服に合わせた布の選び方。個人個人に合わせた寸法というのはどう採るものなのか。職人同士の連携の仕方。連絡の入れ方。失敗した時のリカバリの方法、他にも色々見ることがある。


 講もいいしうちで修練するのもいいけれど、その場その場で動くことは実地じゃないとなかなか慣れないからね。おばあちゃんはそう言って、はああ、そんなものなのかとスサーナは感心した。


 そうやってお店の作業場に詰めて、スサーナには一つ嬉しいことがあった。

 セーラー襟の大量注文があったのを目撃したのだ。


 懇意にしている船の船長さんがこれは確かに使えるらしいと認めて、ついでに揃いの衣装なんざなかなか洒落ている、と水夫たちにも評判がよく。

 港仕事で使っているのを見た他の船の船長さん達が注文を入れてくれたのだという。


 叔父さんとおばあちゃんに褒められて鼻高々のスサーナは、みんなに製法を説明して、それから叔父さんに「スサーナの発案だって印を入れたって言ってたね?」と言われたので、水難防止の縫い取りを全部の襟テープの裏に縫うことをそっと提案してみたら、通った。

 形だけを他の職人さんに教えて縫ってもらう手はずだったけれど、スサーナが迷った挙げ句に自分で入れたいと言い出した所、これも通った。

 これは流石にちょっと甘やかされている気がして、後々反省することにする。


 二百枚の注文だったけれど、襟に縫い付ける布テープは寸法やらデザインができてくる前に先に縫っておいて問題ないと慣れた職人さん達が判断してくれたし、納期までちょっと長めの時間があったので大丈夫そうだった。



 同業他社が本当に出てきかねなくて、だからスサーナじるし…おばあちゃんのお店オンラードの発案の商品だということがわかりさえすればいいらしかったのだけど、スサーナはやっぱりちゃんと水難防止と入れようと決めていた。

 なんたって、水難よけの文様を兼ねている、ちゃんと伝統的な風習に従った行為なのだから。

 ちょっと日本語だったりするけれど、神様が日本語で喋りかけてくるのだからつまりは通じるということ。普通にお守りとしては問題ないと強弁したっていいだろう。

 所詮は自分だけの気分の問題ではあるのだけれど、スサーナは自分の襟をつけてくれる人たちにせめても精一杯のありがとうと気をつけてねの気持ちを送りたい、そう思っていた。


 10歳の春は、そういう感じで過ぎていった。

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