些事雑談 小話とも呼べない小ネタ詰め合わせ いくつか(小話より移動)

(時系列『王都へ』前のものを小話から移動しました。内容に変更はありません)


『バニラエッセンスがほしい』




「バニラエッセンスがあればなあ」


 スサーナはクッキーを焼きながらため息を付いた。

 甘いお菓子、といえばバニラの香り。前世でそう条件付けられているスサーナだが、こちらにはバニラエッセンスというものは存在しない。


 ここでは基本的にクッキーにはローズマリーやシナモンなどのハーブを入れるか、酒やミルクで香りを出したアーモンドの仁、つまり杏仁で香り付けをするのが一般的なのだ。


 普段は焼けた小麦粉の香りとハーブの香りでおいしく焼き菓子をいただくスサーナだが、時折無性にバニラの香りが恋しくなることがある。


 たぶん世界のどこかにバニラ様の植物は存在するだろうし、加工すればバニラのような香りになるのだろうと思うのだが、いかんせん、発見されず流通していないものはどうしようもない。


 どうやらこちらではコロンブス的な人がアメリカ大陸を蹂躙している、というようなことは無いようなのだった。



 と、いうわけで往診の日、スサーナは第三塔さんに遠回しにバニラについて聞いてみることにした。



「甘い香りのする蘭の花?」

「ええとですね、はい。温かい……熱いところに育つ蘭で。つるで育つ種類で……。あ、ええと、甘い香りがすると言っても花がじゃないんです。長い……インゲンマメみたいな鞘をもった種をつけて、それが熟成すると甘い香りがするっていう……そういう蘭ってあったりとかって、します?」

「芳香性のある蔓性の蘭は種類があるが……」


 古い文献で見た話、などという形でそういう蘭があったかも知れない、という風に話を振る。葉っぱの形や花の色なんかは載っていなかったということで誤魔化した。

 心当たりはどうやらないようで、第三塔さんが首をひねる。


「それだけ言われても困る。類似した香りの蘭の種類、蘭でなくても何か似た香りのものは挙げられるだろうか。」


まあそうだろうなあ、とスサーナは思う。この国だけでも結構な種類の蘭が自生しているようで、更に言うと元の世界には無さそうな蘭の種類もある――強壮蘭サテュリオンなんてものまで――ようなのだ。それだけの特徴で思い当たれたら奇跡と言えるだろう。


「ええと……クローブからピリッとした感じを抜いたような……と申しますか……ワインのトップでふっと香る甘い芳香……にも近いものがあるような……アーモンドの仁にも少し似ていて……あとは……ええとですね……」


 スサーナは少し口ごもり、ちょっと目を逸らして、それからどうにもはっきり記憶に残っていたその単語をそっと口から滑り出させた。


「水で薄めた牛糞を高温で加熱すると似た匂いがするらしいです」

「水で薄めた牛糞」


 久々の宇宙猫になった第三塔さんにいえなんでもありません、と誤魔化したスサーナはそのうちに調べて心当たりがあったら伝える、という返事を貰いはしたが、なんだかそう答えてくれた第三塔さんが凄く胡乱なものを見る目をしていた気がしたのでこれはむしろ正解から遠ざかったかなあ、と望み薄だと考えることにした。



  ◆  ◆  ◆




『月の民と鳥の民』




 レミヒオによる鳥の民についての講義の一回目。簡単なことから、と言った彼の言葉どおりにこれまでなんとなく知っていたことや、外側からなら見ていた鳥の民の生活についてなどをいくらか話してもらった後。

 術式付与品のように「単純で再現性のある効果をインスタントに」あらわすには鳥の民のわざは不向きだ、という話からふとスサーナはかねてからの疑問を聞いてみる気になった。


「そういえばレミヒオくん、術式付与品のことを話す時に、大体『月の民のわざに頼るのは癪ですが』とか仰いますけど……。」

「ええ、そうですね。あまりいい気持ちはしません。」

「ええと、それは鳥の民の方々みなさんそうなんでしょうか? 月の民とは、仲が悪い?」


 そうですね、と言ったレミヒオはすいっと半眼になり、なにか考えたようだった。


「はっきり仲がいいとか悪いとか申し上げられるほど交流がある、というわけではありませんが。僕らとしては親しく接したいとは思いませんし、あちらも下手に接触してきたいとは思っていないでしょうね」

「それは……どうしてです? やっぱり魔法を使う関係でしょうか?」


 問いかけたスサーナにレミヒオヨティスはもう一思案する。

 この常民に育てられたお姫様がなぜだかやたら月の民の評価が高いのはなんとなく思い知っている。

 あんな月の民の巣に住んでいたらそうなるのは当然かも知れないが、彼にとっても後々彼女に接するだろう他の氏族の者にとってもそれは厄介な事象であるといえた。

 つまり、氏族の相手に喋るように月の民へ悪感情を見せようものなら面白いように評価が下がるのだ。なんなら常民を侮蔑するより月の民への隔意を表すほうが下がる。いまもなんだかもう薄っすらと膨れているような気がしなくもない。おそろしい。

 とりあえず、後々接するだろう誰かはともかく、レミヒオヨティス自身としてはそんな理由で嫌われてはたまらない。

 レミヒオヨティスは用心しいしい、対月の民感情が悪くても仕方がないのだと出来るだけ納得してもらえるように弁解しておくことにした。


「ええ、そうですね。この世で月の民たちと僕ら鳥の民だけが神々に近い力を振るう、それも原因の一端ではあるのですが。原因、と言うか、発端、と言うか。ともかく、事は神話の時代に遡るそうです。」


 遠い昔に、鳥の民が呪司王によってその力を与えられたとき。地上は今よりもずっと神々の庭に近かったのだという。

 神々のある場所、彼らの腕の中からは離れはじめてはいたものの、地上はその力に今よりももっと満ちていた。

 しかし、その力を振るうことを許されたものは地上にはただ一種のみだった、と伝えられる。

 地上に降りた神々の仔、今魔術師と呼ばれる月の民達の祖はその時もう地上にあったという。

 力の振るい方だけで言えば、術式と理論で補強しなければならない月の民の魔術より、鳥の民のそれのほうがずっと神々の有り様に近い。

 勢力を広げだした鳥の民達を彼らの秩序を乱す存在だと見做した者達もいたのだ、そう伝説は言う。


「つまり、その前までは彼らに逆らえる者がいなかったんですね。それで……まあ、当然、争う者も存在したと。そういうわけです。それで、仲間が争っている相手となるとやっぱり仲良くはしないものでしょう? あと、当然ですが、鳥の民としても見下みくだされて嬉しいはずもないですし。」

「ああー……それで、その時の悪感情みたいなのが残っていると……?」

「まあ、そうですね。一回敵対したことがある、という経緯がある以上なにもないよりは悪感情を抱きやすい、というような。僕ら鳥の民としても彼らより下だとは思われたくないし、向こうもそれで僕らを好きではない……多分……という……」

「……凄く昔の話なんですよね?」

「ええ。ですから、なんとなく気分が悪いな、ぐらいではあるんですが。」


 そうだったんですね、と言ったスサーナにレミヒオヨティスはホッとする。彼女はそういう「如何ともし難い理由がある」ことについては寛容だ。


 とはいえ、気に入らない、というのははっきり顔に書いてある。感情が顔に出づらい娘としては破格の明確な筆致であろう。


 これは、戦が一番ひどかった頃と言い伝えられるあまり穏やかでない類の伝説の数々は絶対に彼女に知らせないようにしよう。

 一方的に迫害されていた、というような言い方はしたがその実鳥の民の方もそれなりに愉快ではないことをしていたと伝えられているし。


 少なくとも、自分の口からは。絶対。

 レミヒオヨティスはそう決め、話を穏当に反らしていくことにした。



 ◆  ◆  ◆


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