作戦準備と矢頭式機械計算機

「バルチック艦隊がベトナムから出港した」


 鎮海湾に停泊する皇海の艦橋で、ロシア艦隊の偵察を行っていた巡洋艦からの報告を読んだ鯉之助は、皆に伝えた。

 連合艦隊司令長官東郷平八郎大将は、ロシア艦隊が対馬海峡を通過すると判断。

 朝鮮半島南にある釜山近辺、鎮海湾に連合艦隊及び海援隊の全艦艇に対して集結を命令。

 旅順攻囲戦で酷使された艦艇達は、旅順沖から各鎮守府に戻ると日本各地のドッグへ入渠し修理及び整備を受け、元通りの性能を回復した後、鎮海湾に集結。

 バルチック艦隊を迎撃するための猛訓練を行っていた。

 海援隊も所属する艦艇を鯉之助に託して、派遣しており連合艦隊と共に訓練を行なっていた。

 その合間に、鯉之助はバルチック艦隊の動向を情報収集していた。


「いよいよね」


 沙織が呟く。


「ようやく来たか」


 好戦的な明日香が、拳を握って歓びに震える。


「でもまたどっかで長期停泊とかないでしょうね」


 開戦直後からすぐに回航されるとされたバルチック艦隊は、半年も経ってからようやくロシア本国を出港した。

 それでも途中で各地に寄港して長期間停泊し到達予想は遅れに遅れ、明日香を苛立たせた。


 日本にとっては迎え撃つ貴重な時間を手に入れることができたが。


「いやもう途中で停泊できるような場所はない」


 ロシア艦隊は補給のために各地に停泊したが、停泊できたのは同盟国のフランスの勢力下のみだった。

 仏印を出港すればウラジオストックまでフランスの勢力圏はない。


「このままウラジオストックまでやってくるだろう」


 途中で反転して本国に戻る可能性も充分にあった。

 だが、鯉之助はようなことはないと考えていた。

 史実でも反転はしなかったし、今のロシアに日本に勝てる見込みがあるとすればバルチック艦隊をウラジオストックに回航。

 そこを拠点に通商破壊を行ない日本の海上輸送路を制圧するしか道はない。


「必ずロシア艦隊が来る」


 鯉之助は強く断言した。


「バルチック艦隊迎撃のため万全の体制を整えてくれ。訓練も一部中止だ」


 訓練の内容は主に艦隊陣形の演習と射撃訓練。

 特に、射撃訓練は統制射撃、遠距離砲戦の為に実弾や演習弾を使った遠距離砲撃が中心となった。

 当然、内部のライフリングが摩耗したが、すぐに内筒交換を行い摩耗を放置しなかった。

 だが、バルチック艦隊がベトナムを出港するとなれば話は別だ。

 交換する暇も無くなるので、遠距離射撃訓練は中止され、内筒に小銃を置いて射撃する、近距離を想定した内筒射撃を中心にする。

 他には、応急修理と救護、遠距離射撃の手順確認だ


「了解」


 麗が静かに答えた。


「でも大丈夫なの? あたしの筑波。大分短期間で修理されたみたいだけど」


 先の通商破壊艦撃滅の戦いで明日香の乗る巡洋戦艦筑波は損傷を受けてドック入りしていた。


「大丈夫だよ大神の造船所で完璧に修理されている」


「本当に? 短すぎる修理で手抜きされているか心配なんだけど。構造計算とか大丈夫? 計算手とか少ないんでしょ」


 コンピューターのない当時は計算はすべて人間の手で行われていた。

 何百人もの計算手と呼ばれる人々が、造船所や工場などで、ひたすら計算を行っていたのだ。

 海援隊でも造船所を中心に計算手を配備して計算を行わせていた。

 だが万年人手不足の上、戦争により大量の計算が必要となり計算手が不足していた。

 突発的な修理にまで計算手を回せる人は思えなかった。  


「大丈夫だ。矢頭式機械計算機で計算しているから」


 万年人手不足の海援隊は人手不足を解消するため矢頭良一の作った計算機を配備していた。

 矢頭良一は福岡県生まれで中学時代、鳥の飛翔に関心を持ち、研究するため退学して大阪に出向いて、数学、工学、語学の必要性を痛感し、英国人の私塾にも通って学習。

 二二歳の時、帰郷し鳥の研究に没頭すると共に機械式計算機を研究する。

 二三歳で飛行に関する論文「飛学原理」と機械式計算機の模型を当時小倉に赴任していた森鴎外の元に持ち込み、実機の製作を訴え、資金不足のため機械式計算機を売り、資金にしたいと申し出る。

 森鴎外は海援隊を紹介し、鯉之助と会わせる。

 機械式計算機を見た鯉之助はすぐさま購入と生産販売を確約。その手数料を支払うことは勿論、飛行機製作の援助と、現在進めている海援隊の飛行機製作への参加を要請。

 矢頭の協力もあって早々に、飛行機の製作に成功した。

 その後、計算機の販売拡大で手数料が入ってきたことと、矢頭が発明した「漢字早繰辞書」という漢字を手早く引ける辞書を考案し、販売して大ヒットしたことによる印税収入もあり、資金が潤沢になったため後継機の製作を始めた。

 だが、直後に日露戦争が勃発。

 航空機の実戦投入を行っていたが、後方の事務手続きや、工場での計算を迅速にするため計算機の製造と改良に力を入れて貰っている。

 機械式計算機の大量導入のお陰で計算能力に余裕が出来て、海援隊の造船所は突発的な修理にも対応出来るようになった。

 お陰で筑波の修理は短期間で成功した。

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