ロシア皇室のご意見番 ニコライ大公

「直ちに戦争を止めるべきだ!」


 190センチを超える大男ニコライ・ミハイロヴィチ――ニコライ大公は皇帝ニコライ二世を前に大声を張り上げた。

 叔父であるが、偉大なるツァーの前で大声で諫言するなど、ロシアでは通常ない。

 しかし、気分屋の変わり者で、気難しい皮肉屋のニコライ大公は自分の思うところを言わなければ気が済まない。

 勿論これまで言おうと思っていた。

 しかし、自分が軍人ではなく、研究者、歴史の学問に興味があることから研究者になる事を決めており、皇族としての義務、軍務から離れていた。

 お陰で研究に打ち込み海外からの評価、歴代ロシア皇帝に関する研究で高い評価を受けた。

 勿論皇族として貴重な資料に触れる機会があったし、宮殿で所有している肖像画を自ら写真に収め、公表し世界に広めたことは大きく評価されるべきだ。

 このような研究が進められたのも、甥であるニコライ二世が帝室の古文書館と図書館を自由に使うことを許可してくれたからだ。

 そのため、今までは諫言を避けてきた。

 しかし、今回の事は我慢の限界だった。


「講和交渉中に戦闘を仕掛け、そのまま進撃するなどあってはないらない。ロシアの国際的信用が丸つぶれだ!」


 研究のため海外の歴史学者と文通する事が多くニコライは、今回の露日戦争でも彼らから非難を受けていた。

 最初は不甲斐ない戦いぶりを嘲笑するものだったが、やがてロシアの蛮行に対する非難、特にドッカーバンク事件以降は、酷く評判が悪い。

 そこへきて、講和交渉中の進撃だ。

 騙し討ちのように海外では取られていた。

 その非難に耐えられなくなったニコライ大公はゲオルギーに頼み込み皇帝に直訴することにした。

 ゲオルギーも同意し、今回の場を作ってくれた。


「交渉は正式に調印されていない、休戦も停戦も結ばれていなかった」


 ニコライ二世は面白くなさそうに答えた。

 確かに、休戦も停戦も正式に発効する前の攻撃であり、ロシアに外交的な非はない。


「戦争中に進撃して非難を受ける筋合いはない。第一我が軍は快進撃を続けている。これこそロシア軍であり、この忠勇を止める事は出来ない」

「だが、対外的な印象が最悪だ。世界が注目を集める中、戦争終結へ、平和へ向かっている中、攻撃を仕掛けるなど騙し討ちであり、ロシアが好戦的な国家とみられてしまう」


 海外との交流が多いニコライ大公は、彼らの意見を、それも学会の重鎮達、各国のエリート層との交流が多く、肌感覚で理解していた。


「直ちに進撃を止め、停戦と講和を命じるべきだ!」

「ロシアの権益と権威を回復しない限り、止めはしない」

「ロシアの国際的な信用が落ちても良いのか」

「ロシアは何処の介入も受けない。奇襲してきた日本を成敗しなければならない」


 何時もは皮肉を言っても家族から笑って許されるニコライ大公だが、この時はニコライ二世を苛立たせた。

 いつもはユーモアとウィットに富んだ口調で皮肉を言うので、感情的な対立が少なく、むしろ、健全な批判と警句を述べる、皇室のご意見番という位置にいた。

 しかし、事の重大さからニコライ大公にユーモアを言う余裕はなくなっていた。


「そのロシアの内部も混乱が、いや崩壊さえ始まっている。もともとロシアは古い体質を持っておりそこから腐っている。農奴解放を行ってからも人々は貧しいままだ。その不満から革命が起ころうとしている」


 皇室の一員だが、自由主義者で開明的なニコライ大公は身分で上に持ち上げられることを嫌い、指揮下の兵隊達も友人として、平等に敬意を払い、接している。

 兵士達もニコライ大公を非常に尊敬し彼を熱烈に支持している。

 その甲斐あって、ニコライ大公は政治的立場を超えて知識人達に歓迎され彼らと議論をしたり文通したりしていた。

 そのためロシアの事情に詳しく、後進性を理解していた。


「ロシアは諸外国より遅れている。いまだに身分制が残り、有能な人材が埋もれてしまっている。今こそ改革を行い人々に自由と地位を与え、力となって貰うべきだ」

「祖国ロシアをロマノフ王朝を侮辱するのか」

「自らの国さえ批判出来ないのであれば、そこは祖国ではなく牢獄だ」


 ニコライ大公の言葉は批判的だった。

 もとより悲観的な性格だったが、露日戦争の劣勢と、ロシアで広がる革命に更に悲観的になっていた。

 あまりに強烈なニコライ大公の言葉にニコライ二世も黙り込んでしまった。


「言葉が過ぎますよ」


 しかし、ニコライ二世の隣にいた皇后アレクサンドラが不愉快そうに言った。

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