第二回総攻撃決定
「八月一九日、旅順への総攻撃を開始する」
八月九日、第三軍総司令部で行われた会議での乃木大将の発言に鯉之助は驚いた。
「まだ攻撃陣地は完成していません」
すぐさま中止するよう鯉之助は嘆願した。
要塞の近くまで塹壕掘りそこから突撃するのが攻城戦の基本だ。
防御を固めた敵の目の前を、攻撃を受けやすい四〇〇メートルを安全に通り過ぎ、要塞直下まで進む必要がある。
「敵の陣地の直前までできているだろう」
伊地知が言った。
苦労したが敵の陣地の間近まで兵士を安全に送り届けるための塹壕が敵陣地の手前二〇〇メートルまで完成ている。
僅かな時間でこれほどまでの繰りを掘り進めたのは、鯉之助が東京第一師団と大阪第四師団、金沢第九師団を呼び寄せたからだ。
彼らはいずれも大きな都市を中心に編成されており建築業が盛んで、大工が多い。
当時の徴兵は二十歳であり小学校卒業する一二歳頃から働き始めるため、ほぼ全員が何らかの職に就いている。その前歴は様々で、地域毎に違う。
大工が多ければ、徴兵された人員にも大工が多い。
土木関係の人間に穴を掘らせ、大工に土を抑えるための板や掩体壕の為の資材を作らせる事ができる。
お陰で、陣地の構築は迅速に進み、敵の要塞まで二〇〇メートルの位置まで掘り進むことができた。
だが敵陣地まで二〇〇メートルもある。
「突撃の間に砲撃と銃撃で兵士が戦死します。第一回総攻撃を繰り返したいのですか」
障害物のない平原を兵士に走らせることになり機関銃の餌食になりかねない。
「突撃に成功しても要塞の手前には地雷があるでしょう。それを突破しても鉄条網が遮ります。そして最後には堀があり、陣地へ突入するのは不可能です」
鯉之助は、前夜持ち込まれたロシア軍陣地の写真を見せて説いた。
永久堡塁の周辺は堀で囲まれ、その周辺には鉄条網が敷いてある。
その周辺には写っていないが地雷があることは確実だ。
しかも旅順要塞の構造は嫌らしい。
基本的に山の頂上に大砲を置いた砲台、外周部の中腹に歩兵の拠点となり攻撃を受け止める堡塁が備えられている。
堡塁は歩兵をおびき寄せる餌であり攻撃を集中させる。無視して頂上を目指せば横合いから銃撃できるし、堡塁の間は塹壕で防いで通れないように銃撃を加えられる。
そして攻撃が中腹の堡塁で停滞すると、山頂の砲台が攻撃部隊に向かって砲撃を浴びせるのだ。
これで攻撃側は大損害を受けて撤退するしかない。
しかも、山々が二重に連なっておりそれぞれに砲台と堡塁がある。
外側を攻略しても内側からの砲撃により奪回される危険が高い。
「安全に攻略できるように準備を進めるべきです」
「その通りだ。だが、時間が無いのだ。まもなく遼陽で決戦が行われます。大本営および満州軍総司令部はその前に旅順を陥落させて欲しいとのことです」
伊地知が状況を説明した。
「ロシア軍の増強は予想より早く、これ以上、遅らせれば勝ち目はない」
「それは私が報告したとおりでしょう」
日露戦争開戦の理由の一つにシベリア鉄道の開通があった。
ここが開通したら容易にヨーロッパから兵力が送られてきてしまう。
ただ幸いなことに単線のため、輸送力に限界があり、緒戦の兵力集中競争で複数の海路を使える日本軍が優勢を、特に前半は獲得できると日本側が予想していたからだ。
しかし、これに異議を唱えたのが鯉之助だった。
もし、片道運転、ヨーロッパから満州へ送り出すだけならば、より迅速に兵力を集中できるとレポートにまとめて大本営に提出していた。
だが、折り返しを考慮しない、片道だけの事実上使い捨てという使い方を行うはずがないと大本営は考えていた。
普仏戦争でフランスを破ったプロイセンを範とする日本陸軍は、陸上輸送の根幹をなす鉄道利用を重視ししており列車を使い捨てる、到着次第レールから落として壊す、という発想は思いつかなかった。
さすがに機関車は留置線へ置いているが、送り返す術が無いため現状は使い捨て状態だ。
しかし、日露戦争の事実を知っている鯉之助はロシアがいざとなればそんなことをすることを知っていた。
さすがに機関車は捨てていないが、ヨーロッパから片道切符で送り込み、機関車は留置線に置いて、貨車は場所を空けるために捨てるという荒技を行って兵力輸送を迅速化させていた。
そのため、大本営の予想以上の兵力が集まってきていた。
以上のことから日本軍は遼陽会戦の時期を早めた。
兵力を集めるために、第三軍に早期攻略を求め、旅順が開城した後、すぐに遼陽へ急行することを求めていた。
それに海軍の早期旅順攻略要請が拍車をかけた形だった。
「しかし、無謀な突撃は損害を大きくするだけです。損害甚大となれば遼陽会戦に参加することも出来ません」
だが、無理矢理攻撃して損害が大きくなって兵力半減、戦力消滅では話にならない。
「しかし、命令です。我々は攻撃しなければ」
黙っていた乃木が静かに答えた。
「分かりました」
文武両道の乃木には不思議な存在感があった。
静かな林のような落ち着きがあるが、一言一言に重みがあり、すっと心に入り押し切られてしまう芯の強さを感じる。
自然と言葉に従うような、人を引きつけるような人だった。
「では、こちらはこちらでやらせてもらいます。私の作戦通りにしてください」
「分かっております。すでに準備も手はずも整っております。総司令部にも伝えておりますのでご安心を」
「ありがとうございます。では私は一度、艦隊に戻らせてもらいます」
「何か、ご用が」
「ええ、ロシア側が座して見ているわけがありませんから」
鯉之助は皇海に戻っていった。
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