総攻撃前の波乱

「お帰りなさい長官。敵前逃亡ですか?」

「違うよ」


 皇海にも度立った鯉之助は出迎えてきた参謀長の沙織に突っ込んだ。


「もうすぐ旅順艦隊が出てくるだろう」

「来ますか?」

「総攻撃の準備を整えているんだ。おまけに空からの観測もある。艦隊を保全したくて脱出を図るはずだ」


 旅順は要塞に守られた軍港であり艦隊は安全に停泊できる。

 だが、その前提が崩れた。

 要塞攻撃が行われれば陥落の危険がある。


「要塞が占領される前に脱出し、未だ健在なウラジオストックへ逃げ込もうとロシア軍は考えるはずだ」

「冬には凍結しますよ」

「だが要塞と一緒に艦隊を失う、いや日本に鹵獲されるのを避けようとするだろう。それにウラジオストックの方がヨーロッパとの連絡が良い。行動するには良い場所だ。絶対に脱出する」


 史実でもロシア太平洋艦隊は旅順総攻撃の前にウラジオストックへ向かって脱出し黄海海戦が起こっている。

 同じ事が起きると鯉之助は確信していた。


「ここで殲滅する。目指すは完全勝利。旅順艦隊の戦艦を全て撃沈あるいは戦闘不能にして、こちらは無傷で終える」

「虫が良すぎるわね」

「だが、やり遂げたい。それに味方の損害無く敵に損害を与えるのは必要だろう」

「そうねバルチック艦隊が控えているのだから」


 ロシアからバルチック艦隊がやってくる。

 連合艦隊はその迎撃を行う必要がある。

 ここでロシア太平洋艦隊を殲滅できれば、この後は憂いなく準備を進めることができる。

 旅順を無理に攻撃する必要もなくなる。


「なんとしても殲滅してやる」


 鯉之助は決意を新たにした。


「ああ、それと給油艦はどこにいる?」

「三隻とも円島泊地に居りますが」

「対馬海峡周辺にはいるか?」

「第二義勇艦隊所属駆逐艦の為の給油艦が一隻」

「円島の一隻を鎮海湾、釜山南の海域に派遣して待機させるんだ」

「何をするんです?」

「キャンペーン、戦役を行う。今回の戦いは機動力の戦いだ。行動できるようにするんだ」

「はあ」


 沙織はおかしいと思った。

 旅順沖で作戦をしながら何故反対方向の対馬海峡に給油艦を派遣するのか分からなかった。

 だが、こういうときの鯉之助の作戦は大成功に繋がることが多い。命令に従って、給油艦を派遣した。




「明朝、太平洋艦隊はウラジオストックへ向けて出撃します」


 八月九日の夜、ウィトゲフト少将は旅順要塞司令官スミルノフ中将に伝えた。


「完全に包囲されているぞ。行っても沈められるだけだ」


 海の上は日本海軍の艦艇で海尽くされており出撃しても撃沈されるのは目に見えている。

 出撃は無謀と言えた。


「ですが極東総督の命令です」

「アレクセーエフ総督か」


 吐き捨てるようにスミルノフ中将は言った。

 日本の攻撃はないと言いながら奇襲を許し、旅順が危なくなると連絡不能を回避するという名目でさっさとウラジオストックへ逃げ込んだ無能だ。

 そもそも日本が攻撃を仕掛けてきた理由はアレクセーエフ総督が朝鮮半島の利権に目が眩み日本を挑発、いや日本の勢力圏を奪おうとしたからだ。

 現場の状況を見ずに命令を下す悪しき指揮官だった。


「まもなく旅順は総攻撃を受けます。その前に艦隊を脱出させてウラジオストックへ回航します」

「日本軍の攻撃が再び行われても撃退できる」

「ですが前回よりも兵力が増強されております。陥落は不可避でしょう。ならば陥落する前に艦隊は脱出しウラジオストックへ向かいます」

「だが日本海軍がいる。出撃しても撃沈される。バルチック艦隊がやってくるまで粘るべきだ」

「到着まで三ヶ月以上掛かります、それまで旅順が持つのですか」


 ウィトゲフト少将の言葉にスミルノフ中将は黙り込んだ。

 本来ならもう一個師団で防衛するところが南山の戦いで包囲殲滅された。

 野戦軍の先遣隊も得利寺で撃破されて味方は遙か北。

 救援の目処は立っていない。

 籠城戦の成功には味方の救援が必要であるにも関わらず、味方が来てくれそうにない。


「今は遠くにいるが、いずれヨーロッパからの増援をふくむ大部隊が救援してくれる」

「それは何時になるのですか。それに上空からの攻撃にも不安があります」


 飛行船からの爆撃はたいした被害はなかったが自分たちがどこにいても攻撃されるという旅順要塞に与えた。

 そのため旅順は安全ではないと判断した提督は回航を決断した。


「とにかく出撃するな」

「命令系統が違いますのでお断りします。では」

「ま、待ち給え!」


 ウィトゲフトは少将だが海軍の所属でありスミルノフの指揮下になかった。

 そのためスミルノフは止めることが出来なかった。

 こうしてロシア太平洋艦隊は出撃する事になった。




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