ハワイ併合阻止
「私は驚きましたが、なんとかしなければと思い英国に助けを求めました。でもダメでした」
カイラウニは肩を落として当時の出来事を話した。
この革命に対して当時89年より英国に留学中だったカイラウニはヴィクトリア女王に支援を求めたが、立憲君主制を建前にしていた英国の政体の関係上、拒絶されてしまった。
「でも鯉之助が、夫が助けてくれました。」
そこを救ったのが鯉之助だった。
英国でパートナーをして貰った恩義もあったが、これまでのアメリカ人農場主の蛮行を見聞きしていた鯉之助は、彼らに怒りを覚えていた。
憤りを感じているハワイ在住の日本人も多くカイラウニに協力した。
何より海援隊の重要な拠点をアメリカに奪われるのは阻止しなければならない。
まず、鯉之助は素早く渡米の準備――大西洋横断客船の手配と英国の知り合い――海軍を始め政財界にハワイ革命の不承認へ尽力して貰う事と、中立を維持するための軍艦の派遣を依頼。そして大英帝国博物館のゲロ吐き星人もとい、友人に協力を依頼して準備を整えカイラウニとともにアメリカのワシントンにニューヨーク経由で向かった。
道中、各所とやりとりをしつつ当時のアメリカ大統領クリーブランドとの会談に成功。
事件の徹底調査を約束させ、併合は行わないと約束を取り付けた。
大統領の言質をとると鯉之助はすぐに大陸横断鉄道に乗り込み、大陸を横断。
途中併合派の妨害を受けたため、カナダ経由に変更したが、無事に太平洋岸のバンクーバーに到着し、そこから海援隊の船でハワイへ向かい海援隊が支持し警護するハワイ王室と合流。
暫定政府を名乗り合衆国併合を求めハワイ政庁に星条旗を掲げたクーデター側と対峙した。
丁度このとき、東郷平八郎大佐率いる巡洋艦浪速が入港しており海兵隊を上陸させたアメリカ巡洋艦ボストンへ中立を保持するよう威嚇していた。
海援隊の艦艇も集結しはじめており、アメリカ海軍は劣勢に立たされた。
丁度、クリーブランド大統領が派遣した調査官ブラントもハワイ入りして、クーデター側の非を明らかにしてハワイ政庁から星条旗を下ろさせ、上陸していたアメリカ海兵隊を巡洋艦ボストンへ撤収させた。
「アメリカ軍が下がっていくのを見てほっとしました」
「それは良かったですね。ですがアメリカが引き下がるとは思えませんが」
「はい、アメリカ軍が撤退してもハワイのアメリカの農場主はアメリカへ併合を模索していました」
後ろ盾になるアメリカ軍が引き下がったことで孤立した公安委員会だったが、なおもアメリカへの併合を模索した。
「しかし夫が、予め様々な手を打ってくれていましたので大事には至りませんでした。アメリカ議会がハワイ併合反対を議決したのです」
アメリカ軍撤収後もアメリカの再進出を警戒して公安委員会を攻撃できず対峙していたハワイ王国と海援隊だったが、直後合衆国議会で併合反対決議が採択された。
これは鯉之助の裏工作によるものだった。
クリーブランド大統領と会うまでの間に、キューバに砂糖のプランテーションを持つアメリカ資本家と会談し、商談と海援隊による資金援助協定を締結し彼らのキューバや中南米での製糖事業への協力を約束した。
その際、ハワイが併合された場合、安いハワイ産の砂糖が入ってきて経営に打撃を与えるのではないかと懸念を伝え、ハワイ併合反対を議会で議決するようロビー活動を行わせていたのだ。
海外でも鯉之助の悪友もとい東大予備門の学友だった南方熊楠が鯉之助の頼みに答えて渡米の途中立ち寄ったハワイでの経験と、大英帝国博物館図書室のポリネシアの資料を基に「ハワイの博物学」という論文を書き上げ科学誌ネイチャー発表した。
この論文は注目されハワイへの注目が集まり、強引にクーデターを起こしたアメリカの立場を悪くしていた。
内外から圧力を強めることでハワイ併合への道筋が無くなり、公安委員会は力を失った。
海援隊の威嚇もありアメリカの巡洋艦ボストンも撤収した。
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