高橋是清

「ですが先生、いや副総裁」


 つい昔の言い方で話してしまった鯉之助は訂正した。

 是清は若い頃海外に出て勉強――欺されて奴隷労働している中で英語を覚えていた。

 そして現地の邦人に救出され帰国後、英語教師として活躍していた。

 鯉之助が東大予備門に入った頃の英語教師であり、何度か授業を受けたことがあり親しい仲だ。


「材料がなくても、はったりをかますのが普通では?」

「材料はあった方がやりやすい」


 海援隊式、いや龍馬のやり口がつい出てしまう鯉之助だが是清は受け流す。

 欺しがあるのも世の中の事実だ。

 是清は若い頃、欺されて奴隷労働していたし、教員をやったあとも南米で鉱山経営に行こうとしたが、廃鉱山である事を知らされず欺され、失意の内に帰国している。

 その時の経験から銀行員になった時、注意深く融資先を探る様にしていた。

 そして相手の心理を見抜くことに長けるようになっていた。

 今世界がどのように日本を見ているか、正確に洞察していた。


「確かに」


 是清の言葉に鯉之助は同意した。

 日本が勝てるかどうか世界は懐疑的だ。

 上辺だけの言葉では誰も信じてくれないのは古今東西、何処も一緒だ。

 口先だけの人間を信じる人間などいない。

 ならば揺るぎない実績、あるいは小さくても勝利が必要だ。

 あとは誇張でいくらでも盛れる。


「だが、今の日本軍は勝利を重ねているようで安心しました」


 しかし、幸いにも日本軍は緒戦で旅順と仁川で勝利を収めた。

 ロシア太平洋艦隊は損害を受けて引っ込んでいる。

 仁川ではワリヤーグが撃破されたことは停泊していた英仏の軍艦も知っているし、座礁したワリヤーグを引き上げ日本に回航することで、日本が勝利しつつある事を証明できる。


「これで安心してロンドンへ行けます」


 そう言って是清は更に酒を一杯飲み込んだ。

 旅順で撃破されるロシア艦隊の写真――鯉之助が部下に命じて撮影させた物を受け取って是清は満足していた。

 証拠となる写真があれば販売の宣伝になり国債が売れる一助になる。


「ですが日英同盟で英国政府が国債を保証をしてくれるのでは?」


 ロシアの南下政策により、大陸沿岸部――海洋国家である大英帝国の貿易相手に影響を受けつつあった事もあり、英国は日英同盟を締結した。

 ロシアの南下を防ぐ相手である日本への支援があってもおかしくない。


「同盟したからと言って英国が手を貸してくれる訳ではありませんよ」

「ですね」


 鯉之助は同意した。

 永遠の同盟も、永遠の敵対もない。

 あるのは永遠の国益のみだ。

 同盟したからといって英国は日本に深入りはしないだろう。

 近代化を果たし日清戦争に勝利したとは言え、日本はまだ非列強。

 信用など殆ど無い。

 役に立たない同盟相手など厄介ごとでしかなく、害があるとなればさっさと手を切る。

 英国としてはそのような考えで日本と同盟を結んでいる。

 勿論ないよりマシな援助はしてくれるが、限度はある。

 国債の保証など英国が設定した限度のラインを超えているとみるべきだ。


「英国政府に要請してみますが、通らないと思ってください」


 是清はそれを承知して交渉に臨むつもりだった。


「お願いします。英国が何処まで援助してくれるか知る必要もありますし」


 もしもラインが低くて調達に成功するかもしれない。

 失敗しても英国政府の考えを知ることが出来る。それに財政が重要である事を日本が認識していることを英国に伝えられる好機である。

 要請して損はないと鯉之助は考えていた。


「しかし英国は中立国ですが公債調達は出来ますか?」


 日英同盟では、どちらかの国が二カ国以上と戦う時、参戦することを取り決めている。

 英国の参戦はほぼなく、中立国としての立場に止まるため、国際法に定められた参戦国への中立義務に従い、一部の援助、特に武器輸出などを停止してくる。

 国債の売買もその範疇に入らないか、鯉之助は心配していた。


「それは大丈夫です」


 是清は安心するように鯉之助に伝えた。


「米国の南北戦争の時、中立国が公債を引き受けた事例があります。問題ありません」

「で、戦費調達に公債はいくら必要とお考えですか?」

「現在の日本の正貨準備額が現在三億円ほどで、日清戦争の時は三割が流出しましたから、同じ比率で一億円――一千万ポンドが必要と考えております」

「全然足りません。戦費の想定が甘いのでは?」

「このたびの戦争の戦費は四億五千万としていますが」



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