大した人間

「整列! 閣下に敬礼!」


 話しかけてきた人物が児玉本人と分かると生徒監付が命じると、生徒は一斉に整列し、敬礼した。


「見学か。皆、良い顔つきをしている」


 答礼した児玉は、親しげに言う。


「私のした事は大した事ではない。そう、過大評価はしないで貰いたい」


「いや、謙遜を」


 児玉は陸軍創設期から軍中央で活躍し様々な制度を作り上げたり改革してきた。

 帝国陸軍を作り上げたと言っても過言ではない人物だった。

 その児玉が大した事が無いと言ったら陸軍に大した人物がいないことになって仕舞う。


「儂ももう年だ。昇進も限界に近い。近々退くことになるだろう」


「何を弱気なことを」


「本当の事だ。だが、いやだからこそ若い諸君らが陸軍を支え、いや、引っ張って行かなければならない。今、陸軍はロシアと戦って勝利した。ロシアとの講和がなり、緊張状態はなくなった。幕末からの懸念が一つ無くなった。だが、同時に目的を見失いつつある。軍縮で職に対する不安もある」


 児玉の言葉に生徒達の顔色は暗かった。

 軍の動員が解除され、予備役編入のものが多くなった。

 その中には幼年学校を卒業した先輩も含まれており、将来、陸軍のポストがあるかどうか不安に思っている生徒もいたのだ。

 その不安を振り払うかのように児玉は言う。


「だがその不安から迷走しないためにも、帝国を守る軍となって全うするためにも今の軍では不都合な部分もある。それを改めるのは、儂が作った陸軍を変えるのは君らだ。この児玉の作った陸軍を改めるには諸君らが向き合わなければならない。そして今以上の陸軍にして貰いたい。儂が作ったものが大した物ではなかった、儂が作った以上のものを作ってくれ。儂など大した人間ではない、と後世の人間が言うように、立派な陸軍士官となってくれ」


 あっけらかんと自分の功績を無にするような、事を行えと言う児玉に生徒達は生徒監付と一緒に呆然と見ていた。


「良いか、頼むぞ」


「は、はいっ」


 返事をするのがやっとだったが、去りゆく後ろ姿を見て生徒達は応援されたと思い、徐々に心が熱くなっていった。


「やはり閣下は素晴らしい」


「あれほどの事を成し遂げながら、我々に自分を超えよと言うとは」


「そうだな。では時間だ。帰るぞ石原生徒」


「まだ、説明文を読み終わっていません東條生徒監付殿」


「できる限り、戦争の推移を示した資料は集めてやるし、集め方を教えてやる。時間厳守と命令は守れ」


 東條少尉に言われた石原莞爾生徒は渋々従った。




「閣下、あそこまで言うことはないのでは」


 会場をあとにした児玉は副官に話しかけられた。


「事実じゃ。儂は大した人間ではない」


 陸軍を作り上げたが、その基本案を出してくれたのは、多くの部下達、川上や田村、そして海援隊の才谷鯉之助がいた。

 彼らが必死になって制度を考え提案し、任せたからこそ、大きな成果を上げ、日露戦争を勝利に導いた。


「大した人間に任せる事しか出来ない人間じゃ」


 自嘲する児玉だが、実際は、それが出来る人間はあまりいない。

 特異な才能を見つけ出し、彼らが出すアイディアの良否を判断し、実行するかどうかを決断するだけでも素晴らしい才能の持ち主だ。

 そして児玉は自分の能力と限界を知っていた。

 話している内に児玉は会場の外に出てきた。

 そして車止めにあるフォード・モデルBに児玉は乗り込んだ。

 海援隊が輸入した車で、日本でもまだ希少だ。

 高額であるのとガソリンが手に入りにくいのが理由だ。

 だが海援隊は将来性を感じているため、フォードと提携して日本に工場を作り、アジアへ売り込む事を計画しているそうだ。

 その一環として軍への売り込みを行っていた。

 未だ故障が多く玩具扱いだが、馬のように体調に左右されず、使わなければ秣を必要としない自動車に将来性を感じていた。


「出してくれ」


「どちらに向かわれますか?」


「大した人間に会いにいくんじゃ」

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