児玉など大した人間ではない

 浅草の凌雲閣は明治二三年に浅草公園に建てられた眺望用の建築物である。

 高さ52メートル、一二階建ての高層建築物で、当時日本で最も高い建物で浅草の顔となった。

 各階には絵が飾られ、東京の景色が眺められる名所だ。

 日露戦が終わった後、この凌雲閣では日露戦争展が開催された。

 辛くも大国ロシアに勝ち、丸の内で凱旋式、東京湾で凱旋観艦式が行われた後だけに人々の興奮は冷めやらず、多くの人で賑わっていた。

 陸軍と統帥本部が全面協力して、各地の部隊から戦争中の写真や戦利品が集められていたこともあり、人々は歓声を上げた。

 これは、軍や政府が戦勝をアピールしたい狙いがある。

 領土、カムチャッカとオホーツク沿岸に沿海州は獲得できたが、僻地で今後の発展のために多大な予算が必要だ。

 賠償金は採れなかったので国民の不満は大きい。

 少しでも戦争での勝利を印象づけようと積極的に広報を行っていた。


「うーむ凄い」

「これは凄いな」


 その中にはカーキ色の制服に帽子に星の徽章を付けた市ヶ谷にある陸軍中央幼年学校の生徒達もいた。

 軍の戦功を見るため、に連れてこられたが、これも軍中央部の企みだった。

 本来なら幼年学校へ戦利品を運び込んだり、戦闘詳報などの資料を渡してそれで終わりにすれば良い。

 わざわざ、人混みの中に市ヶ谷から浅草へ連れ立って行く必要はない。

 連れてきたのは、彼らを一般市民に見せるためだ。

 陸軍幼年学校の制服を見て、入学したいと思わせるためだ。

 戦勝したが、苦戦を強いられ多くの死傷者が出た陸軍を敬遠する動きがある。

 しかし優秀な人材はいつでも必要だ。

 なので、入学者を増やすために制服姿の彼らを見せて少年達が憧れるようにする、保護者も入学させようかと思わせる。

 そのために連れてこられた。


「皆、静かにな、整列」


 彼らを率いる生徒監付が注意する。

 新任少尉だが戦地から帰ってきたばかりで、戦場の話しをしてくれる上に優しいこの生徒監付に大半の生徒は従う。

 だが、ただ一人、作戦展開の説明を読み続けている生徒がいた。


「貴様! どうして整列しない」


「自分は将来陸軍大将になります。作戦の事を今のうちに学んでおかなければならないので説明を覚える事に全力を尽くしております。整列するより重要だと判断しました」


「むっ」


 毅然と嫌み無く返答してくる生徒に生徒監付は黙り込んだ。

 どうも、この生徒は苦手だ。

 運動、器械体操や銃剣術は苦手だが、学業は飛び抜けて優秀だ。

 ただ、価値観が独自だ。

 どうやって戦争に勝つか、軍をどう動かすか、どんな軍隊が良いか、上から考えている。

 一方で戦場の事を現実を重視していない。

 戦場の苦労話をしても一歩退いてい見ている。

 何というか、戦場での苦労は失敗であり、困難な状況に陥っている時点で間違っている、と言う考え方だ。

 自分ならそうならないようにする、と上から目線だ。

 確かにその通りだ。

 戦争のため士官学校を繰り上げ卒業し、近衛歩兵第三連隊に配属され戦場に赴いた。とはいえ、初陣は長春からの退却戦だ。その後の追撃戦は何とかなったが、安達会戦で引き分けとなった。

 満足に戦功を上げられなかった事を悔しく思っている。

 陸軍少将の父親を持っているが、緒戦で失敗して左遷、予備役に回されている。

 その事からも、軍人に不向きとみられている、と生徒監付は思っており、見透かされているようで強く言えないところがあった。

 だが、それは本人の被害妄想だ。

 動員解除と軍縮で将校が余っているとはいえ、今後陸軍の根幹たる士官育成の場に少尉を配置するのは、それだけ戦場を知っており生徒に教えられると判断しての事だ。

 ただ、自分に厳しい生徒監付の少尉は、自己肯定感が小さかった。


「では、貴様が素晴らしいと思うのは誰だ」


「やはり児玉閣下でしょう。閣下の軍事的才能は素晴らしい。かのナポレオンに匹敵するほどの方です」


「同感だな」


 生徒の意見に生徒監付

 総参謀長として日露戦を差配したことは陸軍軍人の誇りだ。

 生徒監付としては、軍人だけでなく台湾総督や文部大臣を務めた多彩な才能を持つ各巻の方を良く思っている。


「児玉など大した人間ではありませんぞ」


 だから、ひていてきな意見を横から言われて、二人は振り返って怒鳴った。


「「何を言うかっっ……!」」


 だが振り向いたところで二人とも固まり、同時に言った。


「「児玉閣下!」」


 二人に話しかけた笑顔の老人は、本物の児玉源太郎大将、その人であった。

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