第一回閉塞作戦開始

「ふむ、素晴らしい船だな。確かに閉塞船として使うには惜しい」


 軸流丸型二番船海流丸を指揮する広瀬少佐は戦況で呟いた。

 貨客船とはいえ最新鋭の高速船で機関は蒸気タービン式。

 総トン数一万トンながら二〇ノットの速力を出せる。

 一寸した巡洋艦と同じ大きさであり海軍軍人として何時かは大型船の指揮を行いたいと願っていた広瀬にとって予想外の成就だ。

 しかも最新鋭で乗り心地も良い。

 このまま沈めてしまうのは惜しい。


「しかし冷えますね少佐」


 操舵を担当していた杉野が声を掛けなければ、沈めるのを躊躇っただろう。

 部下に任務を説明し命じた以上、指揮官たる自分が率先して事項しなければ示しが付かない。

 広瀬は柔道で鍛えた厳つい顔に相応しい険しい表情で答えた。


「気象班の予報では大陸から寒気団が来ている。お陰で、霧が出てきていて助かるが」


 気温より海面水温が高いため霧が発生しており閉塞船団をロシア軍の目から隠していた。


「露助に見つからないのは良いのですが、これだけ霧が濃いと港口も味方も見えませんな」

「一番船のブイを辿れば大丈夫だ」


 鯉之助の提案で船団は各船から後方にロープで結びつけたブイを流している。これで安全距離を保ちつつ、ブイを目印に前の船の後に続くことが出来る。


「それに新装備もある。航海担当、針路及び現在位置はどうか?」

「電波発信艦甲の電波は艦尾より受信しています。針路からはズレていません。発信艦乙の方位を元に算出したところ旅順要塞の射程内、港口まで五海里です」

「使えるな」


 鯉之助が閉塞作戦の為に用意したもの、電波標識装置だ。

 複数の地点から電波を発信し、その方位を元に現在位置を特定する装置だ。

 元々は太平洋を横断する商船の為に開発していたものだ。電波通信機で常に発信しているだけの代物で開発は簡単だった。

 足りないのは出力と電波灯台を建設するための費用のみ。

 低出力でも局地用としてなら十分に実用可能だ。

 この作戦では予め昼間から旅順沖に二隻の船を出して位置を特定し誘導用の電波を出す手筈になっている。

 閉塞作戦が困難な理由の一つに閉塞船が自らの位置を特定出来ない、予定地点への港口が困難という問題があり、予定地点より大きく離れた場所に自沈することが多い。

 この時代では天文観測か陸標――陸上の目印となる山や岬を見ながら航行するが、夜間そして霧の中では使えない。

 かといって晴れていたら敵に見つかって猛烈な射撃を受けてしまう。

 自らの身を隠す霧の中で位置を特定出来る電波標識装置は非常に有効な装備だ。


「電波標識様々ですね露助も持っていない最新装備でしょう。流石日本帝国です」

「確かにな。だが杉野、露助とかいって侮るのは止めろ」

「は、済みませんでした」


 杉野は浮かれていた事を恥じて広瀬に謝った。

 戦争前、駐ロシア日本大使館付駐在武官として広瀬がロシアに駐在していた。そのため少佐にはロシアに知人が多いことも聞いている。

 戦争が始まってからもロシアに対して敬愛を抱いていることを杉野は理解していた。


「しかし、軍人とは因果ですね。戦争に備えて敵国に入り仲良くする。そして戦争になれば先頭に立って攻めて行かなければならない」

「まったくだな……」

「何ですか?」

「いや、なんでもない」


 アリアズーナと言いかけて広瀬は口を閉じた。

 ロシア滞在中にお世話になった海軍少将の娘アリアズーナ。柔道とロシア語しか趣味がなく独身を貫き通してきた広瀬にとって、恋愛と言えるのは彼女相手ぐらいだ。

 外国人との婚姻が憚られる海軍内、まして仮想敵国の海軍提督の娘と結ばれるなど夢物語に過ぎない。

 故に単身で帰国したのだが、思いは募る。


「少佐、霧が晴れてきました」

「なに」


 風向きが変わったのか霧が晴れ始めてきた。星明かりの下、旅順の陸地の様子が見え始める。正面に見える大きな山は白玉山だ。

 あの山に向かって行けば港口に入れる。


「流石だ! 鯉之助! 寸分の狂いもない」


 ピタリと目的地にたどり着けた広瀬は感嘆の声を上げた。

 その時、黄金山から光が広瀬達に向かって伸びてきた。

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