ジャーナリズム操縦法
「議員先生、お久しぶりです」
鯉之助は、いろは丸を訪れた待ち人を英語で迎え入れた。
「お久しぶりです鯉之助さん。キューバ以来ですね」
その知人とは米西戦争で鯉之助はキューバへ観戦にいっておりそこで知り合った。
「しかし議員先生というのはよしてください。今では新聞社の社長にすぎません」
「そんなご謙遜を」
年間四万ドルの赤字を出していたワールド紙を三五万ドルで買収、購読者一万五〇〇〇人に過ぎなかった同紙を購読者数六〇万人のアメリカ最大の新聞社に発展させた立志伝中の人物だ。
「わざわざ太平洋を渡ってきていただきありがとうございますジョーゼフ・ピューリッツァさん」
「資金提供と広告を出していただいてますからね」
ピューリッツァがワールド紙を買収する時、資金提供を行ったのは鯉之助だった。
直後に起こった第二次樺太戦争で特派員をワールド紙は送り、戦場を扇情的に書いたことで部数を拡張した。
その後も鯉之助が投資した会社の広告も依頼され規模を拡大していた。
「スクープを得るためでしたら太平洋を渡るくらい訳ありません」
「日露開戦の報道を控えていただきありがとうございます」
「私は報道記者ですからね約束は守ります」
開戦前から国際世論を味方に付ける必要があると鯉之助は考えており、主要な新聞社に報道員を呼び寄せる必要があると考えていた。
そこでピューリッツァは勿論ロイターに開戦の情報を流すと共に報道管制を敷いていた。
開戦を秘匿する代わりに先制奇襲作戦を詳しくを伝え、スクープできるように、そして開戦後、戦場に特派員を送り込む便宜を図ることを約束していた。
勿論、守秘義務は確約させていた。
万が一漏らした場合には、ライバルであるハースト率いるアメリカン紙を優遇すると伝えていた。
両紙はライバルで、互いに部数を伸ばそうと競争していた。
特に有名なのがイエロー・キッドという主人公の漫画を巡るエピソードだ。
史上初めてとなるカラーで大量印刷されたコミック『ボーガンズ・アレイ』の主人公イエロー・キッド。この漫画は他の雑誌に不定期で掲載されていたがワールド紙に転籍して連載されニューヨークで人気を博すようになり、カラー化して更に人気になった。
だが翌年、漫画は作者と共にライバルのアメリカン紙に引き抜かれ『イエロー・キッド』と改題され連載されてしまった。
ピューリッツァは、別の画家を雇い『イエロー・キッド』シリーズをワールド紙に連載を開始した。
しかも、両紙共にセンセーショナルな記事を主体とする大衆紙であり、両者にイエロー・キッドが掲載されたため、センセーショナルな記事を書く新聞の事をイエロー・ペーパー、イエロー新聞と呼ばれる事になった。
さらにこの言葉は広がり、真贋不確かなセンセーショナルな煽り記事を書き立てる三流報道をイエロージャーナリズムと呼ぶようになる。
特に凄まじかったのが98年前後で、キューバでスパイン警察がアメリカ夫人を裸にしたという捏造記事が流れアメリカの対スペイン感情が悪化。
そこへキューバに停泊していたアメリカ海軍の戦艦メイン号が爆発事故で爆沈すると、スペインの工作によるものと扇動され、合衆国政府はスペインへ宣戦布告。
米西戦争が勃発した。
その様子を観戦武官として見ていた鯉之助はその手腕に感心し、威力に恐怖を感じたものだ。
万が一、アメリカで下手に報道されたり、捏造記事を書かれたりしたら、日本の立場は不利になる。
ジャーナリストを操る必要があった。
「その信義に応えて我が海援隊は戦場での便宜を図ります」
「ありがとうございます。ですが戦場で良い報道が行えますかな? 取材できなければ、ニュースが得られなければ記事には出来ません」
「ご心配なく、ピューリッツァーさん。素晴らしい記事が出来るように協力します。何でしたら、各部隊に記者を派遣できるようにいたしましょう」
「それは素晴らしい」
鯉之助の提案にピューリッツァは感動した。
最前線ならばネタの宝庫だからだ。
だが、これは鯉之助のジャーナリズム操縦法で派遣する部隊を指定し、共に生活させることで、記者の動きを操ろうというのだ。
湾岸戦争やイラク戦争の初期に米軍が使った手で、比較的軍規が守られている模範的な部隊に記者を送りともに生活させる。
すると、記者と兵士達の間に一体感が生まれる。
そして、仲間と認識した部隊のメンバーを記者は悪いようには書かなくなる。
そうやって好意的な記事を量産させ、戦争支持に回そうというのだ。
勿論、上手くいくとは限らない。
だから別の手と併用する。
「ああ、貴方が計画している大学や賞の創設も我々海龍商会が強力に後押しします。協力できる事がありましたら何でも言ってください」
「ありがとうございます!」
鯉之助の返答にピューリッツァは破顔して喜んだ。
ジャーナリズムの一員としての名誉を求めているピューリッツァはその名を留めるべく、ジャーナリズム専門の大学と優秀な記者を顕彰する賞の設立を望んでいた。
その助力を海援隊が行ってくれることを表明され、深く感謝した。
「我々は近日中に作戦行動を開始します。ぜひ報道をお願いします」
「直接取材ができますかな」
「非常に危険な作戦のため、それは無理でしょう。ですが、それだけに作戦は非常に冒険的です。良い記事になるでしょう」
「それは楽しみです」
「記事はアメリカ国民に伝わりますかな?」
「ご心配なく。我がワールド紙はわかりやすい記事をモットーとしていますから」
ワールド紙はそれまで活字のみだった新聞にカラーの挿絵を世界で初めて採用した。
読みやすくなったワールド紙は購読者が増え、規模拡大の大きな原動力となっていた。
「しかし、一つご忠告させていただく」
ピューリッツァは真剣な顔になって鯉之助に言った。
「何でしょう」
「ご援助いただいたとはいえ、私はジャーナリストの一員です。事実に反するような記事を書くことは出来ません。それが例え恩人であろうとも」
「大丈夫です。真実を報道して貰うことが望みですから」
これは鯉之助の本心だった。
嘘偽りを述べてもいつかはバレる。
問題なのは相手の、ロシア側の嘘が真実として報道され事実とされることだ。
先の日清戦争では旅順陥落時、虐殺が行われたと嘘の報道が行われ日本が糾弾される事態となった。
何とか誤解は解いたが、未だにその報道を事実と信じている人間がいて困っている。
ピューリッツァを初めとする記者が入ることで、真実を報道し、伝えて貰うことが重要だと鯉之助は考え、海援隊に派遣し支援して貰っているのだ。
真実を明らかにするジャーナリズムとは真逆かもしれないが、必要な処置だった。
描き方一つで世論は変転する。
例えば
「真実以上に価値のある物はありません。華やかな記事が書けることは約束できますよ」
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