杉野は何処だ!

「まずい見つかった」


 先頭の軸流丸が黄金山にいるロシア軍のサーチライトに照らされて洋上に浮かび上がる。

 直ぐさま周辺の砲台から砲火が閃き、軸流丸の周辺に着弾していく。


「全速前進! このまま突っ込め! 港口はもうすぐだ」

「は、はい」


 広瀬は全速を命じた。

 機関音を聞かれるのを恐れて速力を抑えていたが、ここまで来たら最早配慮の必要なし。

 全速力で目的地へ向かう。

 最大圧で待機していた罐からタービンに向かって蒸気が送り込まれ、スクリューを回す。

 船は唸りを上げて加速を始めた。

 一分一秒でも早く目的地点に向かう。正確な陸上砲台からの射撃を逃れるにはその方法しか無い。

 あえて速力の早い最新鋭船にしたのも射程内での行動時間を短時間で済ませるためだ。

 丁度二一世紀のステルス機が電波を反射しにくい塗装や形状の他にスーパークルーズ――超音速巡航を備えて敵レーダー探知範囲を高速で横断し探知時間を短くするのと同じだ。


「目的地はまだか」

「方位ではあと少しです」


 二番船の周辺にも水柱が立つようなって流石に広瀬も焦り始めてきた。味方の放つ誘導電波の示す位置まで行くのがもどかしい。


「一番船は」

「砲火とサーチライトで見えません! ブイも破壊されたようです!」


 林立する水柱と出来た飛沫に探照灯の光が乱反射して一番船の姿を隠す。


「針路そのまま。迷うな!」


広瀬は命じて突撃を続行させる。一番船の位置はわからないが電波標識の指示に従えば港口に向かえるはず。

 その時床から大きな衝撃が走った。遂に被弾し始めた。


「大丈夫だ。この船は一万トンはある。易々とは沈まない」


 軍艦より脆い商船だが、一万トンの船はそう簡単には沈まない。少なくとも目的地点に到着するまで持てば良かった。

 その時、船橋後方から大きな衝撃が走ってきた。


「少佐! マスト基部に被弾! 電波標識装置のアンテナが破壊され受信不能! 現在位置を見失いました」

「目的地までもう少しだ。落ち着け」


 現在位置を特定出来なくなっても先ほどまで正確に航行出来ていたのだ。目もくれず航行すれば良い。

 だが、更に大きな衝撃が右の船底から突き上げてきた。


「速力低下。座礁したようです」

「面舵一杯! 錨を下ろし船尾を左に回せ!」


 思ったより針路がズレていたようで早く座礁してしまった。しかし、やり直しは出来ない。

 出来る限り船を航路を塞ぐように横に向けて沈没させるだけだ。


「総員退船! キングストン弁開放! 時限装置を作動させろ!」

「はい! 総員退船!」


 広瀬は内火艇の様子を見るためにデッキを下りる。鯉之助が開発したガソリン機関搭載の艦載艇でカッターのように人力で漕ぐ必要は無く高速で航行出来る。

 脱出にはもってこいの船だ。

 だが万が一被弾していればカッターで脱出するほかない。幸い点検すると無事に動くことがわかった。


「よし! 皆集まったか」

「爆破作業に向かった杉野兵曹がまだです」

「なに! 内火艇を下ろして待っていろ! 見てくる」


 直ぐに船内に入り声を張り上げる。


「杉野! 杉野は何処か! 返事をしろ!」


 船底から爆発音が響いた。予め仕掛けられた爆薬が爆発し船に浸水を起こさせている。


「杉野は戻ったか?」

「まだです」

「もう一度探してくる。待っていろ!」


 海面に下りた内火艇に命じて広瀬は再び船内に入った。


「杉野! 杉野は何処だ! 何処にいる!」


 船底に向かう階段を降りて叫ぶ。既に浸水し、海水が目の前に迫ってくる。それでも広瀬は広い船内を駆け回り探す。


「杉野は戻ったか!」


 浸水により海面が近づいて来ているデッキから再び尋ねた。


「まだです!」

「もう一度探す! 杉野何処だ!」


 広い船内を駆け回るが杉野の姿は発見出来ない。既に足下には海水が流れ始め、足下を洗う。


「杉野! 杉野! 生きて帰るぞ! 杉野!」


 それでも広瀬は杉野を探し続けた。しかし返事は無く、海水の塊が広瀬にぶつかり飲み込もうとする。


「……許せ杉野」


 流れこむ海水に抗い、広瀬は階段を上がって行く。既に浸水し波が洗うデッキの上を内火艇に向かって駆ける。


「出せ!」

「杉野兵曹は」

「……見つからなかった」


 戻って来てくれていることを願っていたが、航海担当の言葉を聞いて戻らなかったことを広瀬は知った。


「家族を頼むと言われたが、辛い物だな」


 作戦前の会話を思い出した広瀬だが完勝に浸っている暇は無かった。自分たちは尚ロシア軍の射程内にいて砲撃を受けている。


「機関室内に被弾、エンジン故障! 停止しました」


 快調に進んでいた内火艇だったが、ロシア軍の砲弾の至近弾を受けて停止してしまった。

 帰還出来ると考えていた水兵達の間に動揺が走る。


「オールを持って漕げ」

「ですが、カッターとは違います」

「何が違う! これも船だ。漕げば進める! 何としても生きて帰るぞ。エンジンが止まったくらいで留まるな。生きている限り進め! 漕いで進め! 死ぬまで生き続けろ!」


 広瀬が激しい口調で命じると、水兵達は備え付けのオールを持って漕ぎ始めた。

 多少ながら前に進み始める。広瀬も艇尾で水を掻きだし少しでも浸水を減らそうとする。

 その姿を見た水兵達が漕ぐ力も強くなる。

 その時、再び至近弾が内火艇の近くに着弾した。

 降り注ぐ雨に周囲の視界が消える。

 水煙が晴れたとき、広瀬の姿はなかった。




「広瀬は見つからなかったか」

「はい、カッターに残っていた血痕のみです」


 生還者から報告を受けた秋山は遺品、血のついたカッターの破片を受け取った。

 半分成功だった。

 水路へ侵入に成功したが、向きが悪く完全に閉塞することは出来なかった。

 しかし、大型船のため水路へ障害物のように突き出た形となり旅順艦隊の出港時、幾度か転舵を行う必要を迫った。

 これにより旅順艦隊の出撃は出航に著しく手間取り、沖合の哨戒艦が確認するとすぐさま無線で通報。はるか遠くの円島に停泊する連合艦隊主力が直ちに出撃し旅順艦隊が沖合に出る前にその鼻先に到達する状況となった。

 これはその後の旅順包囲のとき日本海軍に多大な有利をもたらしたが、旅順要塞と艦隊が健在であることは変わらず、日本軍は以後も旅順を警戒する必要が生まれ、兵力を引きつけられる。

 それが後の戦局に多大な影響を与える。




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