軍神の誕生

 閉塞作戦が失敗した数日後、秋山は鯉之助の元を訪れた。


「報道をなんとかしてくれないか?」


 嫌そうな顔をして秋山は新聞を広げて言った。


「広瀬のヤツを道具に使うのは止めて欲しい」


 並んでいたのはどれも日本で発行された英字新聞だった。


 勇敢なる帝国海軍軍人広瀬武夫、決死の任務に就きロシアの砲火の中へ突入

 冷静に目的地に着くと船を停止させ爆破

 その時逃げ遅れた水兵を助けるため三度船内を捜索する

 やむをえず脱出するもモーターボートは故障

 だが勇敢にもオールを使い味方の元へ戻ろうとする

 しかし、敵弾を受け肉片を残し海に消え去る

 だが、彼の命令を受けた水兵達はオールをこぎ続け味方の元へ生還した

 これぞ日本海軍の勇敢さを表したものである


「事実だろう」


 記事を読んだ鯉之助はあっさりと言った。


「こんなのが世界中で流されているのか? 広瀬は道化じゃないぞ。ヤツはそっとしておいて欲しい」


 記事は写真付きだった。

 広瀬の肖像は勿論、戦死した時、水兵の帽子に付いた血痕、チャートに飛び散った血の跡も写真まであった。

 全て、現地で撮影されたものであり、収容した支援艦艇。海援隊の艦艇からでしか写せない。

 現像した写真を泊地の船舶で印刷して国内に運び込んだとしか考えられなかった。

 それが出来るのは海援隊であり、目の前にいる鯉之助のてによるものだ。

 犯人である事は確かなので秋山は追及した。


「お前がやったことだろう」

「そうだ」


 あっさりと鯉之助は認めた。


「戦争で士気を上げるため、国際世論を日本に引き寄せるために必要なんだ。広瀬には軍神になって貰う」

「友人の個人的なことがばらまかれてよいのか」

「必要ならな。海軍省でも同じように行っているだろう」


 鯉之助の指摘に秋山は黙り込んだ。

 確かに、海軍省の方でも国民の関心を得るために新聞に大々的に報道するよう広瀬の情報を流していた。


「死んだ身内の事を話しても良いのかよ」

「広瀬の事を話さざるを得ないだろうな。何しろ閉塞作戦は失敗したのだからな。成功したのは一隻のみ。しかも完全に塞ぐことは出来なかった」


 閉塞作戦は敵艦艇を通せなくすることだ。

 通行可能な水路が残ってしまっては、失敗と言える。

 これは史実でも同じだ。


「旅順艦隊は時間は掛かるが出撃可能だ。出撃に時間が掛かるようになり外港へ出るまでの間に連合艦隊主力が駆けつけることが容易になったが、旅順艦隊を警戒する必要があるのは事実だ」

「そうだが」


 秋山も閉塞作戦が失敗したのは認めているし、鯉之助が指摘したことは事実だ。

 もとより作戦に成功の見込みがないのは理解していた。

 報告書のサンチャゴ・デ・キューバでも失敗している。

 今回の作戦では鯉之助の協力もあり成功するように軸流丸や他の新装備まで投入していた。

 だが、失敗した。

 鯉之助の予想通り、旅順の砲火が凄まじく、目的の場所にたどり着くことがあ出来なかった。

 反対意見が大きい中、作戦を強行したために国内からの反発も予想される。


「批判を静めるには、広瀬を英雄として報道し失敗の印象を少しでも少なくした方が良い」


 海軍省が熱心に報道するのも致し方ないことであると鯉之助は見ていた。


「いずれにせよ広瀬のことは流れるよ。ならば、こちらからある程度、広瀬の話を聞くために周辺にも記者が来る。その前に此方から流せば変な方向へ行くこともない」


 だから記者達に広瀬の情報を鯉之助は流していた。


「だが俺と鯉之助しか知らないような事まで書いてあるぞ」

「ああ、俺が流したから」

「鯉之助おまえなあ!」

「広瀬の家族に記者が殺到しても良いのか? 連中は聞きに行くぞ。広瀬を知る人間を片っ端から聞きに行く。なら、予め知っていることを報道しても問題にならない程度に記者共に話した方が良い」


 報道スクラムが問題になったが、一般国民のリテラシーも良いとは言えない。

 無能と判断した指揮官の自宅に集団で押し寄せ投石をする事くらい、史実では当たり前だった。

 ある程度、英雄の話を流して国民の不満を和らげ溜飲を下げさせないと危険だった。


「広瀬が英雄になる方向でか?」

「そうだ」

「神様にでもする気か」

「報道の連中が軍神とか書き立てるだろうな」


 実際に勇敢に戦死した広瀬のことを海軍省は報道発表の時、軍神と呼ぶようになる。

 その後も鯉之助の考え通り、広瀬のことは広く伝わり、小学校で歌われる唱歌まで作られ広く普及することになる。


「それであれやこれやと書かれて良いのか。それが自分の息子でも良いのか」

「必要とあればやるよ」


 秋山の言葉に鯉之助は堂々と答えた。

 必要な事は誰がなんと言おうと絶対にやる。無理でも様々な手管を使い搦め手から手を伸ばしたり、外濠を埋めて、時に正面から突っ込んで達成する。

 それが鯉之助であり説得はほぼ不可能だ。

 秋山は諦めて次の話に移った。


「わかった。広瀬の方は止められないだろうから、もういい。だがもう一つ、話がある。第二回閉塞作戦を実行したい。そのための支援を海援隊に要請したい」

「拒否する」


 秋山の要請、第二回閉塞作戦を鯉之助は明確に拒否した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る