水雷夜襲戦
海援隊に所属する二個駆逐隊八隻の駆逐艦は、帝国海軍の五個駆逐隊一九隻に続いて旅順へ向かう。
だが前方から激しい風が襲いかかってくる。
遼東半島沖は大陸からの寒風が吹き付ける酷い環境だ。
綾波型は羅針艦橋をガラスと鋼板で覆い、風を遮っているため居住性を大きく向上させているため、艦橋内に居ればある程度は快適に過ごせる。
底冷えのする寒さだが、防寒着一枚で寒風に吹かれ、時に波飛沫を浴びるよりはマシだ。
「彼らは大丈夫かな」
だが、攻撃前に前方の日本海軍所属の駆逐艦は凍え死なないだろうか、と鯉之助は心配になった。
鯉之助の座乗する綾波型駆逐艦綾波は太平洋の荒波を乗り越えるために海援隊がその技術を全てつぎ込み、排水量が一〇〇〇トンを超えるように設計されている最新鋭の艦艇だ。
帝国海軍に売り込みを図っているが、建造費が通常の駆逐艦の倍以上と非常に高いため日本海、正確には朝鮮半島と本土周辺での活動が出来れば十分と帝国海軍は考えている。
そのため雷型駆逐艦のような四〇〇トン未満の小型駆逐艦ですませ、数を拡大する方針だ。
確かに数を揃えることは間違いではない。
四隻しか揃えられないと一隻が事故あるいは日常的な点検でドック入りすると戦力は二五パーセント低下する。
だが一六隻なら一隻が抜けても戦力は九割以上保てる。
しかし四〇〇トンに満たない船では荒れた海だと、やっとのことで航行出来る、程度の航行能力しかない。
嵐でも戦闘行動はともかく航行の出来ない艦艇が戦の役に立つのだろうか。
まして露天艦橋でトイレさえ付いておらず乞食商売と蔑まされる艦が。
日清戦争の時、威海衛で同じくらいの大きさの水雷艇が戦果を上げているのは確かだが、日常の居住性を考えるとダメだ。
もっと酷い嵐の中、航行しなければならない海援隊が一〇〇〇トン級の綾波型駆逐艦を建造したのも、それが理由だ。
日本近海はもとより、オホーツク海、ハワイの沖合、アリューシャン、アラスカ沖と激しい海象で知られる北太平洋を縄張りとするため、ここを航行可能な各種艦艇の整備は不可欠で大型化を求められた。
居住性にも優れており、トイレは勿論、最新式の冷蔵庫も備えた艦だ。
トイレも無く吹きさらしの艦橋にいるため乞食商売と言われている帝国海軍の水雷艇や駆逐艦とは全く違う。
太平洋を縄張りとし、長期航海が多く乗員の疲労が激しく、軽減する必要があるため海援隊には不可欠な装備だった。
もっとも、建造費が高価で配備が進んでいない事も事実だ。
海軍に購入を提案したのも大量生産による量産効果を期待しての事だ。
だが、金のない明治政府が購入するのは戦争後半のことであり、今は海援隊にしか綾波型は配備されていない。
艦橋の見張員は、窓に張り付く海水に邪魔されつつも目をこらして前方を注視する。
「前方に光源多数。ロシア艦隊です!」
直ぐに双眼鏡を持って見張員が報告した方位に目を向ける。
確かにロシア艦隊がいた。
手前側に防護巡洋艦アスコリド、その前には戦艦ペレスヴェート、戦艦レトヴィザンと続く。その奥にも多数の艦艇が停泊している。
「さて、先陣の帝国海軍駆逐隊はどうかな」
作戦計画では帝国海軍の第一から第五までの駆逐隊が最初に襲撃し、その後海援隊の第一一駆逐隊と第一二駆逐隊が襲撃する手はずだ。
「前方の駆逐隊の一部が艦尾灯を消しました」
「敵の哨戒か」
油断しているとは言え、哨戒をおろそかにはしていないだろう。敵の懐に入るために先頭の第一駆逐隊が艦尾灯を消したと鯉之助は考えた。
「後続の駆逐隊は大丈夫でしょうか」
不安げに綾波艦長の佐々木麗が尋ねる。
「艦尾灯を消せば敵に見つからない。だが……」
鯉之助は黙り込んだ。
艦尾灯を消されたら後続の駆逐隊は、先を進む駆逐隊を見つける目印が無い。
さらに、敵に見つかるのを恐れ、消した後針路を変更していたら隊列はバラバラになる。
史実でも同じ事が起きており、同様に夜襲が失敗に終わるのを鯉之助は恐れているのだ。
「帝国海軍の駆逐隊を信じるしかない」
すでに攻撃開始時刻を過ぎた。
帝国海軍の駆逐隊が攻撃を成功させていると信じたい。
「前方に水柱! 砲火上がった!」
「攻撃に成功したようです!」
艦橋内の空気が湧き上がる。
声には出さないが攻撃に成功したことを艦橋要員は喜んでいる。
「攻撃は続いているか?」
「……いいえ、ありません」
鯉之助の質問に見張り員は答えた。
隊列が史実通りバラバラになったか、と鯉之助は推測した。それは事実だった。
敵駆逐艦が近づいてきたのを見つけた第一駆逐隊は艦尾灯を消灯して見つからないように転舵した。
お陰で発見されなかったが、後続の第二駆逐隊は目印を失って隊列はバラバラとなってしまった。そして二番艦朧が一番艦雷に衝突し艦首を損傷して戦闘不能となり脱落した。
三番艦電は、僚艦の衝突を避けようと舵を切ったが、一番艦雷を見失ってしまった。
四番艦曙は、七日の朝、朝鮮半島南部の珍島で水雷母艦日光丸と衝突してその日のうちに佐世保に帰還していた。
このため、第二駆逐隊は三隻で突入し今、一隻を衝突で戦闘不能となり、残り二隻もバラバラになって仕舞った。
第二駆逐隊がバラバラになったために、後続の第三、第四、第五の駆逐隊の隊列もバラバラになり、各駆逐艦は単独で攻撃する羽目になったのである。
「攻撃は不調なようだな」
まばらな水柱に砲火。
それが攻撃が上手くいっていない証拠であると鯉之助は見抜いた。
同時に駆逐隊がバラバラになっている事も。
ロシア艦隊も動揺しているようで反撃は少ないが、混乱は徐々に収まり猛烈に反撃してくるだろう。
最後に攻撃する海援隊の部隊はその真っ只中へ突入することになる。
下手をすれば、混乱している帝国海軍の駆逐艦から敵艦と間違えられて攻撃を受ける可能性もある。
「長官……いかがいたします」
綾波艦長が尋ねてきた。
以上の事を踏まえて尋ねているのだ。
「作戦通り。第一一駆逐隊及び第一二駆逐隊は、このまま旅順港へ突入。敵艦隊を撃破する」
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