第一師団 吉良軍曹1

「点呼完了。欠員ありません」

「よし、寝床に行け」


 歩兵第一連隊の吉良軍曹は部下達に命じた。

 少々動きがぎこちない部下もいるが、仕方ない。

 彼らの多くは動員で呼び出され配属された予備役兵だ。

 かつては平時においては現役を最小限に抑え、徐々に予備役を増やし戦時に予備役兵を招集して戦時定数を満たす方針だった。

 だが、日清戦争後の軍備拡張の頃から変わりはじめた。

 下士官の数を増やし、平時の定数をかつての戦時並みに増やす。それでいて徴兵の期間を一年に短縮し、年二回の招集を行う。

 訓練の質が落ちないかと新兵教育を担当する吉良を始めとする下士官達は心配したが、半年ごとに半数が入れ替わり半数が残るし、半年先に入隊した兵隊は自動的に昇進して上官となり、新兵を教える形になった。

 勿論先輩兵に指導の仕方を教える必要はあるが、上手い方法だった。

 回数も多いため下士官の指導能力も上がっている。

 全体的に下士官の数が多くなったため、余裕も出来ている。

 新兵器の勉強は大変だったが商店での丁稚奉公がいやで陸軍に志願した吉良にとっては良い気晴らしになったし、上手くいけば新技術を身につけ、退役後何処かの会社からお呼びがかからないかと期待していた。

 だが、戦争になってそんな余裕は吹き飛んだ。

 第一師団は遅れて動員された為、兵士を集める余裕が生まれた。

 ただ、その補充は当然予備役兵だった。

 しかも、新設部隊を編成するために下士官の約半数が転属となり半数が予備役で補充された。

 部下の伍長の一人と新兵の半分が新設部隊へ。開いた穴に予備役兵が入ってきた。

 入ってきた伍長は中卒のため――第二次大戦後と違い日露戦争時には中学卒業は二一世紀の基準に合わせれば高校卒業以上の学力とステータスを持っていて徴兵でも優遇されており、昇進も早く上等兵として退役できる。そして志願すれば短期の教育で伍長に任命され退役できる制度もある。

 部下の伍長はその制度を利用して伍長に任命されたと同時に退役し元の会社へ戻った。

 しかし開戦で召集され幸せな中産階級から軍の伍長として今は船の上にいる。

 小卒の吉良に比べれば遙かに良い学歴だが、軍隊経験も少ないし若い。

 飲み込みは良い方だと思うが、突然の招集と戦地への派遣に動揺している。

 それでも慌ただしく需品を受け取り訓練を行い何とか戦える程度に訓練し出征。

 赤坂の兵舎を出立し新橋駅から列車に乗り込み、開通したばかりの海底トンネル――海の底が抜けないか不安そうに天井を見ながらくぐって門司へ。

 駅で降りるとすぐ隣の港に停泊していた貨客船に乗り込んで、今に至る。

 門司も決して安全とは言えず、つい最近もウラジオストック艦隊が対馬海峡までやってきて襲撃を行った。

 日本海軍の第二艦隊と第三艦隊、それに海援隊の第二義勇艦隊が守りを固めているそうだが、決して油断できず、吉良は甲板に出て外洋に目を向けていた。


「軍曹、我々は朝鮮半島に上陸するんでしょうか?」

「だと思うがな」


 部下の伍長に言うが吉良は確信が持てなかった。

 日露が開戦した今、大陸に上陸する事は確実だが、現状を見ると何処へ上陸か、と尋ねられると確証が持てない。

 門司港には数十隻の船舶が待機している。対岸の下関も含めれば、百隻は超えるだろう。

 だが、これだけの船舶が集まるのはおかしい。

 もし朝鮮半島へ投入するならすぐに釜山あたりに今すぐ送り込めば良い。

 敵の巡洋艦の襲撃を避けるため船団を組んで行くようになっているが、一つの船団はせいぜい十数隻。数十隻も集めると港の荷役能力の関係と泊地の収容能力の兼ね合いから、むしろ効率が落ちる。

 数十隻もの数を編成する必要な無い。

 しかも、港湾関係者の話だと名古屋第三師団、そして大阪第四師団が乗っている船が船団には含まれている。

 これだけ大きいと船の数が多すぎて積み込みに時間がかかるし、積み下ろしにも時間がかかる。

 朝鮮半島の安全が確保されているのだから逐次輸送し戦線の後方で集結させ、全軍集まった後、一挙に投入した方が時間的にも早くて結果的に敵を圧倒できて良い。

 つまり、そうした事を行わない作戦、船に乗せた兵力を一挙に陸上へ投入できる場所へ行く作戦を準備しているということだ。


「噂では第一軍とロシア軍を挟撃するため鴨緑江の河口へ上陸するとの事ですが」

「誰が話していたんだ」

「軍司令部に配属になった同期が言っておりました」


 優秀な士官ばかりが集まる軍司令部だが、士官だけで物事は動かない。

 各部署への連絡や事務、その他庶務――書類類の補充やお茶汲みのお茶の補充まで行う雑用係として下士官兵が大量に必要だ。

 そこにも今回徴兵された下士官兵が各部隊より派遣され配属されている。

 以前なら生粋の職業軍人で固められていたのだが大量動員に伴い事務の仕事量が飛躍的に上昇。徴兵者も軍司令部に送り込まれる事となった。


「あまり周りに言いふらすな」

「事実だからですか?」

「かもしれない。だが、不確かな情報で翻弄される方が問題だ。外れた場合、貴様の信頼が揺らぐ。めったに口にするな。それに軍の機密に当たるかもしれん。下手に喋ればお前も同期も処罰される。俺も今聞いたことは忘れる」

「ありがとうございます。失礼致しました軍曹」


 伍長は敬礼して感謝したが吉良は生返事を返して考えた。

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