東郷平八郎長官

 幕末を駆け抜け、寺田屋、近江屋での襲撃を切り抜けた後、日本を飛び出し世界を股に掛けた坂本龍馬が作り上げた海援隊。

 半民半官の武装貿易集団。

 維新後は勝海舟を迎え、合法的な商売を行うため海舟と龍馬の名前を取り、海龍商会を創設、平和的な貿易事業など様々な産業をおこす総合企業を目指した。

 海援隊は海龍商会の一部門となり、海龍商会の警護、管轄地の警備を行っていたが、北海道・樺太開拓の際、ロシアとの紛争により規模を拡大。

 巨大な武力集団となった。

 樺太戦争の勝利後は傭兵集団としてアジアの様々な武力紛争に介入、アジアに名を轟かせていた。

 今回の日露戦争に海援隊は完成したばかりの戦艦皇海級二隻と一〇〇〇トン級大型駆逐艦綾波型八隻で編成した第一義勇艦隊を鯉之助に託して連合艦隊の指揮下に送り込んでいた。

 他にも陸上部隊や海援隊隊士を参陣させており、日本の将来を決する戦いに全力を以て参加する意思を示している。

 幕末の日本の危機に立ち上がった坂本龍馬達がロシアからの危機に立ち上がるのは当然と言えた。


「貴方にもです」


 だが、東郷は鯉之助をじっと見つめて言った。


「私もですか?」

「勿論です。先年、英国地中海艦隊司令長官フィッシャー提督を説き伏せ、新型戦艦ドレッドノートの建造を支援し大英帝国から皇海を購入して貰えたのは貴方のお力です。他にも南米などから多数の艦艇を購入し海援隊が提供して下されるのは感謝に堪えません」

「ははは、照れます」


 歴史上の大人物である東郷長官にそこまで言われて鯉之助は満更でも無い顔をした。

 だが直ぐに顔を引き締める。

 これから始まるのは日本の総力を上げても勝てるか勝てないか分からない戦い。

 海援隊と自分の知識チートを使っても尚、勝てるかどうか分からない。

 鯉之助は気合いを入れ直した。


「しかし、どうして機雷敷設艦を攻撃したのですか? 敵旗艦ペトロハプロフスクを撃沈すれば、ロシア太平洋艦隊は壊滅したも同然でしたでしょうに」


 連合艦隊参謀長の島村大佐が少し不満そうに言う。


「ロシア軍は機雷の名人ですから。クリミア戦争の時、バルト海防衛の為に機雷を敷設し英仏艦隊を撃退した上、スウェーデンに参戦を断念させました。南北戦争でも南軍が多用し戦果を上げています。何より薩英戦争の時、イギリス軍の艦船を一隻撃破しています」

「恐れすぎでは?」

「機雷があるかも知れない海域。それだけでその海域を航行を躊躇います。まして貴重な戦力である戦艦を損ねかねる行動は慎みたいのですが」

「確かにそうだが」

「そこまでにしときんしゃい、参謀長」


 東郷は島村を止めた。

 薩英戦争で沖小島に設置された機雷でイギリス軍の艦船を撃破し、その後英国艦隊が逃げ出したのを見たことのある東郷は機雷の威力をよく知っていて鯉之助の言葉を理解していた。

 だから鯉之助の判断に異議は唱えなかった。


「良くやってくれました。今後もお願い申す。日本の為に」

「はい」

「一つ、夕食を共にしませんか?」

「ご馳走になります」


 当時の連合艦隊は西洋化の流れで洋食が主流だったが夕食のみ和食だった。

 メニューは汁物、刺身、焼き魚、野菜、塩焼き、香の物。そして、毎食ワインが付く。

 太平洋戦争後は、アメリ海軍をまねして許可された時以外飲酒は禁止されてしまった。

 だが日本海軍は英国海軍を真似たため、帆船時代からの慣習を引き継いでおり、任務に支障の無い範囲での飲酒は許可されていた。


「さあ、どんと食べてくだされ」


 東郷長官は珍しく上機嫌で食べている。

 汁物が自分の好きな鶏肉の薩摩汁だからだろう。通常は豚なのだが東郷が鶏肉が好きなので入れている。他に油揚げ、牛蒡、焼き豆腐、人参、生姜、大根、葱、里芋の具が入っている。出汁は鰹節か昆布でとり、そこへ味噌を入れて煮込む、大量生産向きのメニューだ。

 野菜たっぷりでおいしいので鯉之助も好きだ。


「それで、このたびの戦いをどう見ますか?」


 食後の雑談で東郷は鯉之助に尋ねてきた。


「日本の将来を決める戦いです。全力を以て戦います」

「いや、この戦争の見通しです」

「……緒戦は制海権を我々が確保できました。半島の鉄道を手に入れる事が出来れば、満州まで軍を進めることが出来ますし、海から陸軍を運ぶことも出来ます」

「緒戦で大勝利できると」

「ええ、しかし、それはロシア軍の満州駐留兵力が二〇万と少なく、分散しているからです」


 日本陸軍野戦部隊とほぼ同じ戦力だが、日本は海を伝って大陸に兵隊を送り込むことしか出来ない。


「東清鉄道で輸送し兵力集中を行い、遅滞防御をしつつ、満州の奥地へ引き込み時間を稼ぎ、シベリア鉄道を伝って送り込まれてくる増援を待って反撃してくるでしょう」

「バルチック艦隊は?」

「確実に来航するでしょう。いかに引き延ばし、その前に我らが旅順の艦隊を撃滅できるか勝敗を決めます」

「この戦争に勝てると思いますか?」


 その場の空気が固まった。

 鯉之助は静かに言葉を選びながら答えた。


「……少なくとも、戦場での勝算はあります。一年程度は互角に戦えるでしょう。しかし、一年以上を過ぎれば、国力、戦費が持ちません。百勝して国が衰退し滅ぶ事になるでしょう。その前に止めなければ」

「戦が長引くと」

「ロシアは大国です。多くの戦力をアジアに投入できます。日本が全力で戦ってもロシアには余力があります。その余力を奪うような戦い方が必要です。そして、戦争が継続できない、勝ったとしても無意味とロシアに思わせ、講和に持ち込むのが肝要です」

「ふむ、なるほど。さすが坂本龍馬のご子息鯉之助殿だ。まるで未来を見通せるような着眼点だ」


 東郷は鯉之助の予測に感心した。


「どうもありがとうございます」

「ハワイ革命の時のお礼です。あのときは本当に助かりました」


 1893年に起きた親米派によるハワイ革命で日本はハワイ王国を支持。対等な条約を結ぶと共に、防護巡洋艦浪速を派遣。

 その時の艦長が東郷平八郎であった。

 ホノルルに入港した浪速はアメリカ艦の威圧に、怯まず停泊しハワイ王国の独立を支持し続けた。


「あのときはあなた方の奮闘があったからです。今回もよろしく頼みます」

「いえ、前々からこのときのために準備していました」


 鯉之助は敬礼すると長官公室を後にした。

 東郷に言われるまでも無く、鯉之助はこの時の為に、いや生まれる前から準備していたのだから。

 確かに鯉之助は龍馬の子供だったが、記憶は二一世紀の人間のものだ。

 歴史好き、特に明治維新に興味があるほかは普通のの高校生だった。

 日露戦争が好きで教科書以上の事が知りたくて、専門書を読みあさり独自の視点で研究するほどになった。

 しかし、ある日の下校途中に交通事故に遭い、短い生命を終えた。

 だが、なんの因果か記憶を持ったまま生まれ変わってしまった。

 それも、あの坂本龍馬の息子に生まれ変わってしまった。

 しかも生年は明治元年一〇月だ。


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