第四師団 吉田

「ほんまかいな」


 第四師団に所属する吉田二等兵は中隊長の訓示を聞いて反射的に言ってしまった。

 すぐに伍長に睨まれて黙ったが、心の中では動揺している。


「あの陣地を攻めるなんておっかないわ」


 吉田は去年徴兵されたばかりの新兵だ。

 二〇才年上の父親も徴兵令が出たとき、徴兵対象だったが徴兵されずに済んだ。

 自分も大丈夫だろうと思ったが、徴兵されてしまった。

 これまでは日本が貧乏なため軍事費が少なく、国民皆兵を謳っても全員を徴兵できるほどの余裕は無かった。

 給与は少なくて済むが、兵隊の衣食住に銃などの装備と設備を与えられるだけの予算も物資も無いからだ。

 そのため戦前の徴兵率は二〇パーセント、五人に一人が運悪く徴兵される程度だった。

 しかし、日清戦争後の陸軍拡張と軍制改革により徴兵が一年に短縮され平時の人員定数が倍に増えた。結果、徴兵できる人数が増え、徴兵率が倍の四〇パーセントに伸びた。

 清国からの賠償金と海援隊の投資により国力が増大した結果、軍事費が拡大したのも原因だった。

 かくして吉田は徴兵されてしまった。

 徴兵逃れが成就しやすいという神社に行って徴兵回避祈願をしたが無駄だった。

 色々と逃れる方法を模索したが、貧乏で頭もそれほど良くないので兵役免除のある学校へ行けず、聴覚異常を装ったが、熟練軍医のささやき攻撃、聴覚異常を申告したあと間を置き「兵役は無理だな」と軍医が小声で言った。

 その瞬間、嬉しさのあまり吉田が「ありがとうございます!」と叫んでしまい、仮病がばれて吉田の入隊が決定した。

 新たな兵役、第一補充兵役の新設も徴兵率アップに拍車をかけた。

 徴兵検査で甲乙丙丁の四等級に分けられ、甲種合格は兵役だが、前述したとおり設備や予算がないし編成定数に限りがあり全員の徴兵は無理だ。

 だが、ロシア戦を前に予備役を増やしたい陸軍に、鯉之助が第一補充役を進言した。

 現役は下士官候補を優先し、他は第一補充役へ三ヶ月間の訓練を行い兵隊としての基礎をたたき込み、終わったら即予備役編入して地方、娑婆に戻すという制度だ。

 第一補充役訓練専用の部隊を各連隊に創設。一ヶ月ごとに入営させ現役兵指揮の下、三ヶ月間、先輩兵から指導させる方式にした。

 これで短期間で予備役兵が増えるし現役兵は下士官としての素養が身につき、設備も少なくて済むというわけだ。

 そのため大量の若者が青春の三ヶ月を軍隊で棒に振ることになった。

 吉田もその被害者である。

 だが、ロシアとの戦いが迫っておりなりふり構わず進められたし吉田も仕方ないと受け入れた。

 同時に徴兵期間が短縮、三ヶ月だけ我慢すれば地方――娑婆に戻れると思って吉田は我慢した。二ヶ月あるいは一ヶ月早く入った古兵――先輩である一等兵のしごきに耐えながら兵役を耐えた。

 だが吉田は不運だった。

 最初の異変は先輩兵が予備役編入になるはずだった一月に除隊が取り消された事だった。

 それでいて新兵が入ってきたために吉田は新兵のしごきに回る事になる。

 だが、開戦により連隊は戦時編制となり、新兵を除く古参兵は野戦中隊へ転属させられた。

 新兵の訓練は二、三ヶ月もあれば一通りの事が出来るようになるし、そうなるように訓練は規格化されていた。それでも一月に入った新兵は二月の開戦ではまだ使い物にならないため戦場に連れて行っても死体になるだけだ。

 兵士として生きて帰れるように訓練する必要があるため留守部隊として残された。

 吉田達は配属された部隊で暫くは部隊錬成訓練を受けていたがやがて出征が決定し、出征前の特別休暇で家族と会った後、列車に乗り込み下関から船に乗船し遼東半島に上陸した。

 上陸は大型船に積まれていた妙な小型艇に乗せられて思ったよりも早く終わったが、その後は乾燥した大陸を歩くことになる。

 一日二十キロから三十キロ歩いて最初の攻撃目標となった金州城に着いた。

古の山水画に書かれたような垂直な城壁を持つ町で日本ではまずお目にかかれない。

 馬賊の襲撃に備えて何百年もかけて作られた城壁はとても陥落させる事などできそうも無い。

 その金州城はロシア軍が占領している。

 ロシア兵を排除して金州城を占領するのが第四師団に与えられた任務だった。


「攻撃準備」


 散開して攻撃に備える。

 後方の砲兵連隊が城壁を砲撃しはじめた。

 連隊指揮下の二個大隊、合計六個中隊に配備された三六門の野砲が砲火を開き金州城へ落ちていく。


「えらい沢山打つな。ぎょうさん大砲があるんやろうか」


 無数の砲弾が次々と打ち込まれていく姿は壮観で何百門もの大砲が放たれているようだった。

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