クロパトキンの遼陽撤退戦

「やはり迂回していたか」


 クロパトキンは部下の報告、第一軍が防衛線の目の前で渡河し、遼陽の後方へ抜けたという報告を受けて悔やんだ。

 第一軍が迂回するのは予測できていたが、クロパトキンも前線部隊も対応できなかった。

 これはクロパトキンにも非はあった。

 士気の低い各部隊の逃走を阻止するため、勝手な移動をクロパトキンが禁止ししていたのだ。

 急激な第一軍の迂回行動を前にしてロシア軍は移動できず、第一軍を迎撃出来なかったのだ。

 だが悔やんでも最早手遅れだ。すぐさま対応しなければならない。


「欧州から来た第十軍団と第十七軍団を黒木の第一軍に向かわせろ」

「第一軍の北方に新たな軍が現れました。一個軍団以上です」

「何だと!」


 それは険しい山岳地帯を突破した日本軍山岳師団と、迂回行動を取っていた梅沢少将率いる後備近衛歩兵第一旅団だった。

 予備役を終えた後備役で編成され体力的に劣っている部隊だが、梅沢少将は彼らを見事に指揮し、最北部から迂回し、参戦してきた。

 後備役で戦力として問題ありと日本軍でも判断されていた梅沢部隊だったが、ロシア軍の情報伝達過程で錯誤が生じ精鋭部隊とクロパトキンに報告された。


「不味い、日本の精鋭部隊に囲まれ、このままでは退路を断たれ完全に包囲されてしまう」


 クロパトキンは満州軍が完全に包囲される危機感を抱いた

 さらに第八師団も予想以上の移動速度にロシア軍は脅威を覚えた。

 しかも各地に兵力を派遣したので手持ちの予備はない。

 新たな日本軍に対応出来るだけの兵力はない。

 実際には過大報告なのだが、確かめる術のないクロパトキンは、この情報を元に決断を下すしかなかった。


「全軍、鉄嶺まで退却せよ!」


 奉天の更に北方にある待ちまでの退却を命じた。

 関外鉄道を使って移動してくるのであれば、奉天の西方から常に圧力を加えられ続ける事になる。

 鉄道が途切れて西方へ迂回出来ない鉄嶺まで下がるのが軍事的には正しい行動だった。


「南方の前線はまだ持ちこたえていますが」

「後方を遮断されればお終いだ」


 第二軍を相手にしている第二線陣地は維持できていたが、後方を寸断され補給を断たれれば、いずれ補給がなくなり戦闘不能となり降伏するしかない。

 その前に撤退させるのが先だった。

 しかし、退却も上手くいかなかった。


「極東総督より退却は許さないという電文が」

「この状況で勝てるわけがないだろう」


 既に後方へ日本軍が回っており包囲される寸前だ。

 これ以上、遼陽を保持する事など出来ない。


「宮廷からも遼陽を保持せよ。日本軍を撃滅せよとの命令です」

「出来るか! 状況を分かっているのか」


 面子を優先するアレクセーエフそして宮廷のとのやりとりで貴重な時間が消費された。


「ゲオルギー殿下からの指示です。必要な行動を取れとの命令です」

「分かった!」


 ゲオルギーが指示を出したおかげでクロパトキンは早急に撤退を命じた。

 しかし、それは法的効力の無い指示だった。

 だが、日本軍の優勢は明らかであり、既に撤退を開始したため、アレクセーエフも宮廷も追認するしかなかった。

 それでも鉄嶺までの退却は許さず、その手前の奉天まで退却、そこを保持するよう勅命で命じてきた。


「本当に本国の連中は分かっているのか。奉天の西方には鉄道があるのだぞ」


 満州平原西側を走る関外鉄道は奉天へ向かっている。今は建設中で途中の新民府までしか鉄道は通っていないが、奉天の西まで通じている。

 奉天へ退却したら常に日本軍による西側からの側面攻撃を警戒する必要が出てくる。

 これでは、兵力を余計に消耗するし戦いになった時、側面を突かれてしまう。


「しかし、これは勅命です」

「……分かった」


 さすがに勅命は、クロパトキンにもゲオルギーにもどうすることも出来ず、従うしかなかった。

 少なくとも日本軍に包囲されつつある、遼陽から脱出することを最優先で行わなければならない。 


「首山堡は?」


 退却を実行するためには主抵抗線である第二線を可能な限り保持し日本軍の追撃を抑えたかった。

 既に背後に回られているが、南から攻撃してくる日本第二軍の追撃を防ぐことが大事だ。


「前線はできる限り、敵の追撃を抑えるため抵抗を続けろ」


 だからクロパトキンは抵抗を指示した。

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