上村彦之丞と第二艦隊

「敵艦隊はいるのでごわすか」


 対馬海峡を哨戒中の第二艦隊司令長官上村彦之丞中将は、焦りを隠せなかった。

 旅順沖では、東郷長官が太平洋艦隊と死闘を繰り広げている。

 圧倒的に優位ではあるが、戦艦の損失を可能な限り抑えながらの戦いとなる。

 本来なら上村率いる第二艦隊が助太刀に出て行くべきだが、無理だ。


「ウラジオストック艦隊が出航したという報告が入っております」


 先任参謀が落ち着いた声で伝えた。

 ウラジオストック周辺に偵察の艦艇や情報員を置いており、彼らからの情報は確かだった。

 第二艦隊は現在対馬海峡に展開していた。

 対馬を挟んで西側の西水路に第二戦隊、東側の東水路に第四戦隊が哨戒し待ち構えていた。


「恐らく旅順を出撃した太平洋艦隊と合流するためにここ対馬を目指しているはず。いま外れるわけにはいきません」


 旅順艦隊がウラジオストックへ脱出すると同時に、その航路を援護し案内するためウラジオストック艦隊にも出撃命令が出ている。

 その予想会合点は対馬海峡西水路付近と想定されウラジオストック艦隊がやってくることは容易に想像できる。

 第二艦隊はそれを待ち伏せるために対馬海峡に展開していた。


「じゃっどん、東郷さんは、少ない数で戦っておりもうす」


 上村は自分の第二艦隊がいない旅順での戦いが気になっていた。

 そこへ伝令が駆け込んできて先任参謀に電文を渡した。


「旅順の第一艦隊が敵艦隊を撃退することに成功したそうです」

「東郷長官はやりもうしたか」


 もしウラジオストック艦隊を撃退したら全速力で旅順に駆けつけるつもりだっただけに、先に旅順で戦いが行われた事が残念だった。


「なんとしても敵ウラジオストック艦隊を撃破せんと」


 上村の闘志は燃えがっていた。

 これまでの雪辱を果たすためだ。


「輸送船が再び撃沈されるのは、もう勘弁でごわす」


 緒戦で撃退されたウラジオストック艦隊だったが、修理を終えると再び活動を再開した。

 霧が発生しやすく荒れやすい日本海の特性を最大に生かし、霧に紛れて対馬海峡の航路に近づいて手当たり次第に商船を攻撃した。

 その中には陸軍輸送船の常陸丸がある。

 霧のために船団からはぐれてしまい、そこをウラジオストック艦隊に襲撃された不幸な事故だった。

 大型船舶の被害はそんぼ常陸丸一隻だけだったが、乗船していた後備近衛歩兵連隊二〇〇〇名が軍旗を奉燃した上、幹部は捕虜になることを潔しとせず自決。

 将兵は海に投げ出され多数の死傷者がでた。

 通報を受けて第二艦隊が駆けつけた時には既にウラジオストック艦隊は離脱しており、霧に隠れた彼らを見つける事は出来なかった。

 それまでの連戦連勝だったところへの初めての大きな被害に新聞各社は大きく報道、国民は怒りを海軍と海援隊に向け、ウラジオストック艦隊撃滅に向かっていた上村中将の自宅に押しかけ投石するまでした。

 第二艦隊の受難はこれだけではなかった。

 常陸丸撃沈後、第二艦隊の追撃を振り切り対馬から戻ったウラジオストック艦隊は再び出撃。

 大胆にも津軽海峡を突破し太平洋上での通商破壊を計画し実行した。

 津軽海峡防御にあたっていた艦隊は前日から行われたロシア水雷艇による沿岸航路襲撃と偽情報により津軽海峡を離れており、ウラジオストック艦隊は易々と太平洋への突破に成功。

 太平洋側の航路を通る商船を襲撃し、東京湾近くまで接近し商船を襲撃した。

 幸い、東京湾侵入はなかったが、ウラジオストック艦隊は駿河湾へ突入。

 海から視認できた東海道本線の線路に艦砲射撃を喰らわせた。

 幸い被害は線路などの鉄道設備軽微だったが、ただでさえ戦争によって増発して余裕のないダイヤが大幅に乱れることになり、日本の軍需輸送に大きな支障を来した。

 それどころか本土に艦砲射撃を受けたことが衝撃だった。

 軍令部は得た情報と推測から、更に南下して旅順あるいは上海方面へ行くと判断。第二艦隊は軍令部の命令により日本の南側から捜索を開始した。

 しかし連合艦隊、東郷の推測ではウラジオストックへ逃げ帰るため、津軽海峡を突破すると予測し津軽海峡へ向かうよう命令を受けた。

 二つの情報に挟まれた第二艦隊は、既に南に向かっていたこともあり、南からウラジオストック艦隊を追いかけた。

 しかし東郷の推測が正しく、ウラジオストック艦隊は津軽海峡を突破して帰って行った。

 第二艦隊は再びウラジオストック艦隊を取り逃がした。

 その雪辱を果たすためになんとしてもウラジオストック艦隊を捕捉撃滅したかった。


「旅順の艦隊が逃げ帰ったことを知って帰っておりもはんか」


 旅順艦隊の誘導のために出てきたのに肝心に旅順艦隊が引き返したと知ったら、反転して逃げ帰ることは十分に予想できており、上村はその点を心配していた。

 だが、杞憂だった。

 ロシア海軍は無線機の普及が遅れており、出航した艦隊への通信手段が無かった。

 旅順艦隊が反転して引き返したことを知ったのは、艦隊が出撃したわずか二時間後であり、急いで水雷艇が追いかけ中止を伝えようとしたが、追いつけず艦隊は対馬に向かっていた。


「早く、敵艦隊と戦いたいものでごわす」


 上村は待ち焦がれたが夜は更けていった。

 さすがに疲れを感じた上村は部下に任せて長官室へ下がった。

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