黄海海戦 後編

 皇海が回頭前に行わせた最後の砲撃でツェザーレヴィチへ砲弾が命中。

 こともあろうに艦橋のスリットに被弾し炸裂した。

 当時の司令塔は分厚い鉄板を丸めただけの代物。それだけだと、外の様子が見えないので目の位置に横長のスリットが作られている。

 しかも技術の限界により防弾ガラスなどなし、外気が素通りしてしまう。

 被弾してもスリットから離れていれば運が悪くなければ大丈夫なはずだった。

 だが、命中したのはよりによってスリットの縁。

 爆風が司令塔内に入り込み殺人的な嵐を巻き起こした。

 破片を伴った爆風は司令塔内にいた太平洋艦隊司令部を襲い、一人を除いて即死させてしまった。


「うっ」


 残ったのは操舵手、ただ一人だけだった。


「し……針路……の……維持……を……」


 だがその操舵手も致命傷を負っており、舵輪にもたれかかり、やがて事切れると舵輪を回しながら床に倒れた。

 舵輪が回されたツェザーレヴィチは左回頭をはじめていった。

 それを見た後続艦は旗艦の戦術行動と考え、続行してしまった。

 途中で期間の行動がおかしい事に後続艦が気がついたときには、すべて手遅れで修正することは不可能だった。

 司令塔に入ったツェザレーヴィチの乗員は惨状を見て、舵をとったが、すでに一周して味方艦隊へ突入コースに入っていた。

 艦隊運動は乱れ、完全にバラバラになって仕舞った。


「よし、これで撃破できる」


 太平洋艦隊の動きを見ていた鯉之助は突撃命令を下そうとした。


「連合艦隊が突入していきます」


 三笠以下の連合艦隊が太平洋艦隊の混乱を見て突撃してきた。


「突入中止!」


 付属する駆逐艦の突入を止めさせた。


「反転、現在位置で回頭を続ける」

「突入しないのですか?」

「危険だ」


 乱戦が行われている戦場に指揮系統が違う艦船を突入させたら同士討ちの危険もある。

 遠距離射撃も距離が近すぎて連合艦隊に当たってしまいそうだった。

 そして、この混乱を見て突入した連合艦隊も混乱してしまった。

 混乱は長時間続き、各艦はバラバラとなって仕舞った。太平洋艦隊はウラジオストック脱出を諦め、出港した旅順に戻っていこうとした。


「追撃だ! 針路北、最大戦速! 戦場の東側を駆け抜け、旅順とロシア太平洋艦隊の間に割り込む!」


 鯉之助は直ちに追撃を命じた。

 ウラジオストックへの回航を懸念して待機していたが、敵が旅順に戻るのであれば、追撃だ。

 バルブが全開となりボイラーへ重油が大量供給され、最新鋭蒸気タービンを全力で回して速力を上げ、旅順の間に回り込むように向かう。

 しかし、このときは位置が悪かった。


「敵艦が日没に紛れています」

「くそっ」


 沈む夕日をバックにロシア艦隊が写ってしまい東側にいる鯉之助達は照準が困難だった。

 東にあるウラジオストックへ逃走するとなると、何処かで必ず東に向かって針路を変更する。

 ロシア太平洋艦隊に先回りしてその鼻先を押さえられるようにできるだけ東側に位置するように鯉之助は操艦していた。それが仇となり、太陽が沈む今、狙いを付けるのは困難だ。

 かといって位置を変更することは出来ない。


「砲撃中止、日没を狙え」


 日が没して太陽の輝きが消え、残照の空に敵艦のシルエットが浮かぶ。

 それを狙って砲撃を行う。

 しかし、それはあまりにも短すぎた。

 一隻は撃沈したものの日没と共に見えなくなった敵艦への照準は困難となり、他の敵艦を逃してしまった。


「逃してしまった」

「いえ、大勝利でしょう」


 戦艦一隻を撃沈しロシア艦隊は旅順へ逃げ込みツェザーレヴィチは青島へ行き抑留される。

 太平洋艦隊は戦艦三隻を残すのみだが大損害を与えた。

 対して日本側は損害は殆ど無し。

 勝利と言えば勝利だった。


「戦術的にはな。戦略的には半分しか勝利していない」


 日本海軍の目的は、ウラジオストックへの逃走阻止だ。それは達成された。

 しかし、本来の目的である旅順艦隊の撃滅に失敗した。

 一隻残らず沈めて戦力を喪失させ無力化する。そうなれば東シナ海の制海権は日本の物となり、日本軍は大陸への輸送を簡単に行える。

 しかも旅順に貼り付けている連合艦隊をバルチック艦隊への対処に回すことも可能だ。

 だが、ロシア太平洋艦隊を撃滅出来なかったので、当分の間、旅順沖で封鎖を継続しなければならない。

 実際にはロシア艦隊は大損害を受けて当面の間行動不能だ。

 しかし、日本海軍はそのことを知らず、旅順攻略を要請することになる。


「さて、一仕事終わったので行こうか」

「まだ仕事をするのですか?」

「ああ、義勇艦隊は旅順を離脱円島で補給を行った後、新たな戦場へ向かう」

「勝手に離脱してよろしいのですか?」

「東郷長官には打電しておくように。事後報告だが、重要な戦いなんだ」


 言うやいなや鯉之助は艦隊を南東へ向けさせた。

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