早期攻略の必要性と鯉之助の決断

 現存艦隊主義

 軍艦は浮いている限りその周辺の海域に影響を及ぼし敵艦隊を拘束するという海軍思想だ。

 例え劣勢でも、敵は味方艦の損失を高価値な艦艇が失われるのを恐れて圧勝できるだけの戦力、相手の三倍の兵力を貼り付けておこうとする。

 結果、たった一隻でも三、四隻の敵艦を引き留めておくことができる。

 特に、無防備な通商路や補給路を背後に抱えている場合は効果が大きい。

 実際、ナポレオン戦争で英国はフランス風さに多数の艦艇を出していたし、第一次大戦では高海艦隊を封じるために英国大艦隊が常に北海に常駐、第二次大戦でもビスマルク追撃戦に多数の艦艇を出し、ティルピッツに備えて、本国の近くに数隻の戦艦を待機させていた。

 他に戦艦が必要な海域、戦域があるにも関わらず決して手なせなかった。

 それだけ本国と通商路が重要でありその近くにいる戦艦が脅威だった。

 それは、旅順近くの港、大連に補給路を持つ日本軍も同じで、旅順に戦艦が一隻でも残っていたら絶えず商船を撃沈、補給路断絶の悪夢にうなされ続けることになる。

 その悪夢を無くすために旅順の早期攻略と太平洋艦隊撃滅を連合艦隊と日本海軍は求めていた。


「ですが、旅順は強固な要塞です。陥落させるには手間がかかります」

「時間が無いんだ。バルチック艦隊がやってきてしまう」


 日露開戦によりバルチック艦隊の派遣が決定したという報告が入ってきていた。

 まだ出航していないが、出航すれば最短で三ヶ月で旅順沖に現れてしまう。

 艦艇の整備を考えるなら、戦闘が行われる二ヶ月前に旅順の封鎖から離れて母港に戻り、態勢を整える必要がある。

 海軍が陸軍に早期攻略を求めるのはそれが理由だった。


「だからこそ海援隊にも協力を求めたい」

「しかし」

「これは大本営の決定事項です」

「ぐっ」


 そこまで言われては鯉太郎は反論できなかった。


「分かりました。しかし、海軍にも協力はしてもらいます」

「陸のことで協力できることなど」

「海軍側の要請で行われることでしょう」


 鯉之助の言葉に海軍は黙った。そもそも開戦初頭に旅順艦隊撃滅に海軍が失敗したからこそ旅順攻略が行われることになったのだ。

 そして現状戦果を上げているのは海援隊だ。

 義勇艦隊司令長官とはいえ、その発言を無視することはできなかった。

 そもそも義勇艦隊は連合艦隊の指揮下にはおらず、作戦傘下には鯉之助の同意が必要である。

 そのため上手くいく手立てを示さなければならなかった。

 これは鯉之助の企んだことでもあり、無謀な作戦を行わないよう牽制するためだ。

 思いつきを即実行、結果大損害という馬鹿げた結果にしないための処置だ。

 いや、海援隊が明治政府に対する牽制にもなっている。

 下手な政策を打てば海援隊へ人や金、物が流れてしまうため明治政府は慎重に事を進めている。

 そのため進歩は些か遅いが、確実に良い方へ、善い部分はより早く進んでいる。

 国会開設が早まったのもそのためで、民主主義が早くも根を下ろし始めている。

 だが、切迫した状況のときにはそんな事も言っていられない。


「分かった」


 鯉之助は、秋山の、いや連合艦隊の要請に応えることにした。

 秋山はホッとしたが束の間だった。


「俺も上陸して海援隊の部隊を率いて戦う」

「え?」


 鯉之助の言葉に秋山は驚いて目を点にした。


「おかしいか?」

「いや、艦隊司令官が陸で戦うなんて」

「戦いに陸も海もない」


 困惑する秋山に鯉之助は当然の様に言う。


「戦えるのかよ」

「伊達に樺太で戦ってはいない」

「そうだったな」


 海援隊は半分武装組織であり、樺太でロシアと対峙していた。

 樺太の防衛だけで無く海上での襲撃、逆上陸、沿岸襲撃などを行ってきており、船から陸へ上陸し、攻撃することは日常茶飯事。

 人数が少ないこともあり陸海と部隊が分かれて戦う事は少ない。

 鯉之助はそんな組織にいたから陸戦も経験済みで豊富だ。


「その代わり、海軍からも出せよ」

「海兵師団で十分じゃろう」

「いや、海軍には余っている大砲があるだろう。開戦前の装備刷新で取り外した艦載砲が。弾薬も残っているだろうから、弾薬と人員を含めて寄越せ」

「分かったよ」


 無茶ぶりをしていることを自覚しているだけに秋山は断れなかった。

 それに旅順が攻略できるのなら重砲を送るくらいはしてやるつもりだった。

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