北京陥落と世界情勢

「柴兄」


 英国、フランスの部隊の先頭をきって突入した海援隊部隊を率いていた当時海援隊少将の鯉之助が真っ先に駆けつけたからだ。

 情勢不安から北京駐在の公使達からの要請を受けた列強は五月末より軍事介入を計画。英国海軍中将シーモアを指揮官に二〇〇〇名が北京を目指した。

 だが、北京への鉄道が義和団によって破壊され、準備不足もあって一度天津に撤退した。

 北京の情勢が厳しくなっていることは中国人キリスト教徒の密使と海援隊の無線で知っていたが、再進撃には準備が必要だった。

 それを補ったのが海援隊だった。

 すぐさま商船に武器弾薬食料そして手練れの海援隊士と部隊を積んだ船を天津に直行させ、連合軍に供給した。

 列強の要請を受けた日本軍も広島の第五師団を中心とした部隊を派遣し、勢力を盛り返した連合軍は北京に向かって進撃した。

 この時は海援隊が鉄道資材を大量に持ち込み迅速に鉄道を復旧。

 北京までの詳しい地図を海援隊が提供した事もあり、進軍は順調に進み、連合軍は北京城外まで進み、連合軍は総攻撃を実施。

 遂に北京城内に進軍し公使館を救った。

 内心、柴は日本陸軍が先に着いて欲しかった。

 だが、ロシアの抜け駆けに怒って攻撃を予定より早めた日本軍はロシア軍と共に義和団と清国軍の集中砲火を浴びて進撃を止められていた。

 そこへ鯉之助が英国とフランスの部隊と交渉して海援隊が英仏の先頭に立ち攻撃。

 手薄になっていた城門を易々と突破して海援隊が籠城していた公使館街へ一番に駆けつけた。


「お待ちしておりました、才谷海援隊少将」


 柴は恐怖心を二曳きの旗に向けた敬礼で押さえつけてようやく言った。


「ご指示を柴中佐。北京を早く掌握しませんと」


 鯉之助は柴の引きつった顔に苦笑すると、すぐさま柴に指示を請い、北京の要衝を占領した。

 紫禁城の城門は勿論、大蔵省の金庫や米倉を指揮下の部隊を使って手早く占領し物品を押収した。

 特に国庫にあった二五〇万両の銀は、早々に天津へ運び上げた。

 清国政府は北京の城門が破られると逃げし、西太后も二度目となる都落ちを経験した。

 無政府状態となった北京だったが、連合軍、特に日本軍と海援隊が手早く要衝を占領し衛兵を立てたため混乱は最小限に抑えられた。

 その後の占領行政でも鯉之助は柴の手足となって働き秩序を取り戻した。

 諸外国が略奪にいそしむ中、日本軍と海援隊だけは規律正しく、略奪行動は一切していない。

 日本軍は厳正に行動し、素早く部隊として清の国庫を接収した。

 それでも略奪で一番儲けたのは海援隊だった。

 幕末期、廃仏毀釈で海外に仏教関連品を美術品として輸出した海援隊は、日本だけで泣く東洋の美術品も扱うようになっていた。日清戦争で得た美術品を欧州に流していたため東洋美術品の売買ネットワークを完成させていた。

 そのため海援隊の取引は信用があり、特に鑑定は正確と言われていた。

 略奪した物品を高く売りさばこうとする各国の将兵が海援隊の東洋美術取り扱い部門に殺到したのだ。

 鑑定料だけで大もうけだがオークションも行い出品料、そして欧州への輸送の代金で大儲けだった。

 北京陥落後、ドイツからヴァルダーゼー元帥率いる数万の兵力に増強された連合軍が義和団の懲罰的掃討作戦を開始すると略奪も多くなり、海龍商会のオークションや鑑定部門はフル稼働となった。

 略奪は戦のならいである事を故郷会津を官軍によって蹂躙――略奪品に名札を付けて国元に送る荷車の途切れることのない列を見ていた柴だけに仕方ないと思っていた。

 だが、鯉之助のやり方はやり過ぎだと思い毛嫌いしていた。

 しかし、義和団の乱における日本の行動、特に籠城戦時の日本側将兵、義勇軍、海援隊の勇敢な戦いのお陰で国際的評価をが上がっていた。

 特に名目上総指揮官となった英国公使マクドナルドの報告と著名なジャーナリスト、モリソンの記事が流れたことにより英国の評価が上がり日英同盟締結の礎となった。

 特に籠城戦を事実上指揮した柴五郎は世界的に有名になった。

 鯉之助はそれを最大限に利用した。日本政府に進言して柴を即座に大佐に昇進、帰国ご盛大にパレードを行い、優先を称えると共に認知度を上げた。

 次いで視察の名目で世界一周の度に出させ、各国で顔を売らせた。

 訪問国は、柴を歓迎。特に籠城戦で共に戦った国は盛大に祝宴を開き、柴に叙勲などの栄典を与えた。

 同時に、親日的な雰囲気を作り出すことに成功している。

 そして、この影響力は日露の戦いにおいて大きな力となっている。

 また義和団の乱を奇貨として、義和団鎮圧を名目にロシアが満州へ進軍、駐屯し、日露戦争の遠因となる。

 ロシアの支那侵略、英国権益を侵害する恐れもあって日英同盟は成立した。

 開戦して、これまで鯉之助が用意していた、いや企んでいたことが柴五郎よく分かる。

 ロシアとの戦争を不可避と見て常に、それも幼い頃から準備していたことに。

 日本が優位になるように、全ての出来事で日本が優位になる、ロシアが不利になるように仕組んでいたのだ。

 そのことを理解すると更に恐怖が増した。


「まあ、お陰で多少は優位に戦えるか」


 柴五郎は軍人であり戦争に勝つためあらゆる手段を、有利に立つために様々な手を打つことを良しとしている。

 特に部下の命を預かる身では、一層痛感する。

 鯉之助の正体が神か悪魔だとしても日本を勝利に近づけるのであれば、かまわないし不気味さも気にしない。

 故郷の会津喪失のような事など五郎は二度とごめんである。

 日本全土を会津の二の舞にする訳にはいかないのだ。

 だから、鯉之助の計画を活用する、鯉之助の企みにも協力する、それが日本の為になる限りは。

 柴は決意を新たにした。

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