ガポン神父

 教会の神父の勧めを聞いたアーニャはガポンのいる教会へ向かった。

 教会の中には多くの労働者がいた。

 日々の労働で筋骨たくましいが、表情は疲れていた。

 中には怒っているのか眉を寄せている労働者もいる。

 そのため教会と言うより、まるで工場のようだった。

 とても話しかけられる雰囲気ではない。


「済みません、助けていただけませんか」


 だが家族のためにアーニャは意を決して話しかけた。


「私の家族は困っています。このままではクリスマスを祝うどころか、クリスマス前に死んでしまいます。どうか助けてください」


 すると聖職者の帽子を被った口ひげとあごひげを蓄えた司祭が労働者達の間から現れた。

 眼光鋭く、眉は太く鋭く左右に伸びている一見厳しそうな人物だ。

 だが、彼は怯えるアーニャを見ると口元に笑みを浮かべて穏やかに話しかけた。


「よくぞ来てくださいました。神は自らを助けようとする者を助けます。神に仕える者として、あなたを助けましょう。ああ、申し遅れました私はガポンです。あなたは?」

「アーニャです」

「アーニャさん、よくいらした」


 ガボンは嬉しそうにアーニャに言った。

 ゲオルギー・アポロノヴィチ・ガポンはウクライナ中部のポルタワに土地を持つ裕福な地主の家庭に生まれた。

 神学校に通い、妻をめとった。

 だが妻は程なくして亡くなってしまう。

 失意のガポンは司祭になるべくサンクトペテロブルクの大学で進学を学び、一昨年卒業したばかりの、まだなりたて神父だった。

 しかし、彼はサンクトペテロブルクの労働者そして貧困層の窮状を見ると彼らの生活を改善するべく精力的に働いた。


「さあ、アーニャさんこちらへ、温かいボルシチをどうぞ」


ガポンは地元のビーツを使った郷土料理であるボルシチを振る舞った。

 寒さと空腹、そして不安のあったアーニャには何よりのご馳走だった。

 飢えへの恐怖と子供に沢山食べさせたいという思いから、受け取った途端平らげてしまった。


「ありがとうございます」


 手部終わると感謝の言葉を述べた。そして人心地がつくと。

 家族に渡さず自分だけ食べたことに罪悪感を感じた。


「大丈夫ですよ」


 顔を暗くするアーニャにガポンは亡き妻のことを思い浮かべながら優しく言う。


「帰りに家族のための食料をお渡しします。ですからご安心を」

「ありがとうございます。ガポン神父様」


 アーニャは涙を浮かべて感謝した。

 彼女を慰めた直後ガポン神父は顔を上げて、集まった人々に演説を始めた。


「皆さん、彼女のように我々は貧しく、圧迫され、無理な労働に苦しめられ、辱められ、人間として認められず、辛い運命を、奴隷のようにじっと黙って耐え忍んでおります」


 ガボンの言葉に教会にいる人間が自分の辛い生活を思い出し沈痛な表情となりガボンの言葉を聞いた。


「しかしそれでも、クリスマスを祝うどころか、日々の食料さえ得られずにいます。しかし私たちはますます貧乏で権利もなく、無教育のどん底に押しやられつつあります。最早力尽き窒息しそうです」

「そうだ!」

「その通りだ!」


 ガポンの言葉に周りの労働者も心から同意し強い声を上げた。


「労働者にも家族がおり、あなた方はその労働によって、妻や子、寄る辺なき年老いた親たちをも養わなければなりません。あなた方労働者の苦しみは、あなた方の家族の苦しみでもあります。この状況を神は決して許さないはず。我々はプラウダ――正義を求めましょう。人民に幸福をもたらすことを、プラウダを求めて私たちの元に届きましょう。そのために自分たちの声を届けるよう私たちは活動し行動しましょう。彼女のような方が増えないためにも、我々は行動しお願いして行きましょう」


 ガボンの言葉に周りの労働者達も賛同の言葉を上げた。

 その異様な熱気にアーニャは怯えた。


「ああ、大丈夫ですよ」


 アーニャが怯えているのに気がついたガポンは、落ち着くように優しい言葉をかけた。


「私たちはサンクトペテロブルクの労働者が幸せになれるよう、労働環境の改善、権利獲得と福利厚生の為に集まっている労働者の団体です」


 ガポンはロシア正教の司祭として彼らの相談を受けると共に今までにない新たな活動を始めた。

 それが労働組合の結成だった。

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