ロシア国民の苦境

 当初、ロシア政府は真実を隠そうとし一定の成果はあった。

 だが、日本と海援隊が積極的に従軍記者を受け入れ宣伝に努めた結果、外国系の新聞の報道が事実を報道する。そのため外国に居住する友人を持っていたり外国紙を得られる富裕層、知識人の間に真実が広がった。

 やがて彼らの周囲、彼らに使える従者やメイド達、その家族や友人から一般国民の間にも徐々に戦争の真相が伝わっていった。

 それでも緒戦であり、比較的小規模なのでいずれロシアが巻き返すと考えていた。

 本格的に危機感を募らせたのは遼陽会戦の時だ。

 日露戦争初の大規模会戦、双方二〇万人以上の兵力がぶつかった戦いでロシア軍は遼陽を奪われ、大損害を出し撤退した。

 欧州から派遣された兵団も参戦したため、従軍兵士の家族が出征した肉親からの通信が途絶えたことを不審に思いはじめ、騒ぎ出した。

 ロシア政府は、損害は軽微だと発表したが、外国政府の発表や捕虜となった兵士達からの手紙が来ては隠しようが無く、敗北と損害を認めた。

 ロシア政府への支持は低下し、ロシア国民の希望は失望に変わっていった。

 その後、沙河の戦いが起こり敗北が伝えられると厭戦気分が蔓延し始める。

 それでもロシア政府はロシア軍は最後には勝利すると伝えていた。

 だが、長期化の様相を呈してくると、徐々に国民生活に影響がで始める。

 食料が前線に送られるため、国内の食料が減ってきたのだ。

 他にも戦場へ送られる物資の量が増え、国内の物価が上昇して行き、国民は困窮した。

 クロパトキンは日本軍を奥地へ引きずり込んで日本軍の補給線が途切れたところで反撃する作戦を考えていた。

 だが長期戦になった場合の国内への影響、派遣した部隊を維持する為の物資を調達出来るか、出来たとしてそれがロシア国内へどう影響するかを考えていなかった。

 作戦的には正しかったが国家運営という意味でクロパトキンの作戦は最悪だった。

 そして撤退戦では何とか兵力の多くを撤退させロシア満州軍を維持できたが、大量の物資を集結地点だった遼陽に残置したため殆どを失った。

 兵士達に食料を与える必要もあり、ロシア国内から更に物資を調達。

 結果ロシア国内の食料が不足しロシア国民は困窮を強いられていた。

 戦局を何とか挽回し国民の支持を得ようと沙河の戦いを挑んだが、敗北。かえって国民の支持を失い不満は増大した。

 人々が不満を漏らす中、そこへ旅順陥落の報が伝えられてきた。

 開戦から守り切っていた難攻不落の旅順が陥落したことはロシア国民にも衝撃的だった。

 旅順を救うために戦わなければならないと考えていたが、旅順が陥落しては無意味となった。それどころか戦争に勝利出来るか疑念が国民の間でも生じた。

 黒構台の戦いが行われたのは、そうした戦線気分を払拭するためでもあった。

 国民の不満を宥めるために戦闘を行い、勝利しようとした。

 だが、結果は敗北。

 その被害を聞いたロシア国民は更に厭戦気分が高まる。

 しかし、ロシア政府はまだ戦う気だった。

 損失を補うために徴兵は強化され、あちこちの街や村から若者が消えていった。

 特に鯉之助が日本軍を強化し、日本に有利になるよう動いたため

 結果労働力が減少し、物流は停滞し、物価は更に上がる。

 兵数は増えたが彼らを食わせるための食料も必要になり、更に流通する食料が減る。

 そしてアーニャを始めとする国民、特に貧困層が打撃を受けることになった。




「どうしましょう」


 空の買い物籠を持ったままアーニャは家へ向かう。

 これではクリスマスどころか、家族が生活することさえ難しい。

 途方に暮れているとロシア正教の教会が見えてきた。

 一応正教徒であるアーニャだが最近は残業と疲れで足が向くことも少なかった。

 だが藁にも縋る思いで教会に入り、懺悔室に入っていった。


「どうなされましたか」


 優しい声が聞こえてきた。

 少し発音が特徴的だが、苦労を理解する温かい心お持ち主である事は伝わってきた。


「実は……」


 アーニャは少しずつ、自分の置かれた窮状を伝え始めた。

 物価高のこと、クリスマスを祝えないこと、家族を食べさせていけないこと、自分も夫も限界である事。


「どうすれば良いのか」


 最後には絶望からアーニャは泣き出してしまった。


「済みません司祭様」

「いいえ、構いません。心は少しは晴れましたか?」

「はい」

「それは良かった。では、もしお時間があるようでしたらガポン司祭の元へお行きなさい」

「ガポン司祭ですか?」

「ええ、彼は労働者の窮状に心を痛めております。きっと助けてくれるでしょう」

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