山岳部隊
「前進しろ」
山岳歩兵第三連隊連隊長柴崎中佐は部下に命じた。
だが言う必要は無かった。全員が前に進んでいる。
氷点下の寒さで雪が積もっているが足取りに乱れはない。
疲れているだろうが全員適宜に給食給水を行っている。
柴崎も腰に付けた袋に入った行動食炒り豆と煮干しを口に入れる。防寒着の下から布に包んだ水筒を出して中のほうじ茶を飲む。懐炉代わりと保温のために防寒着の下に入れているが十分に使える。その脇にある握り飯も食べる。
八甲田では凍結して食べられないため大量遭難の原因となったが、厚い布で包み熱源となる水筒の脇に置いておくことで凍結を防ぎ熱々の握り飯を食べることが出来た。
兵士達も同じように工夫をしている。
各個人の好みに応じて行動食が干し柿だったり、羊羹だったり、水筒の中身が鰹出汁、昆布出汁だったりしているが、全員冬の行動になれている。
下士官兵はマタギや猟師などで冬の行動に慣れている。
特に雇員として雇った歩荷たち――強力(ごうりき)とも呼ばれる山の荷物運び達だ。
一般に人間は訓練すれば体重の半分程度の荷物を担いで運ぶことができる。軍隊の個人装備が体重の半分以下になっているのはそのためだ。
だが運び屋である彼らは自分と同体重を険しい山道を歩くことになれている。中には百キロ以上の荷物を運べる強者さえいる。
彼らがいなければ装備も食料も弾薬も運べず、山岳師団は行動できなかっただろう。
意外なことに士官も慣れていた。
多くが山岳会の出身で小さい頃から山になれていた連中だった。大学時代に娯楽として山に入っているがその技術と知識は短時間の経験で十分実用のレベルに達したことからも彼らが十分なポテンシャルを持っていることを証明している。
装備面でも新設部隊故の試行錯誤があったが、入隊前の登山経験から適切な装備、必要なレベルや要求を心得ていた。
ほんの数年前に作られたばかりの新兵種にもかかわらず日露戦に投入できたのは彼らの知恵に寄るところが大きかった。
彼らは山岳会、元祖であるイギリス山岳会の会員のように遊びではあるが真剣に山に向かって取り付いている。時に柴崎さえ思いもよらぬ大胆な方法をとり成功させることさえある。
アルピニズム――ヨーロッパで主流になりつつある登山の考え方で、主要な山を登り尽くしたアルプスへの飽くなき挑戦を続けるため、より過酷な登山方法、季節、コースをあえて選ぶ思想に感化された若者達。
彼らは、そのために必要な技術と装備の開発を行い、海援隊の支援でヨーロッパのアルプスへ遠征にさえ行っている。
そして海援隊によるアラスカ購入が決め手となった。
ヨーロッパから帰ってきた彼らは、購入されたばかりのアラスカ探検の中心メンバーとなり、アラスカ各地を探検。途中、金鉱を発見して海援隊と日本に莫大な富をもたらした。
しかし、彼らにとっては登山資金が増えたことに意味があった。
雪と氷に閉ざされたアラスカは彼らにとって魅力的な場所であり、未踏峰とされた山々に登頂。最高峰であるデナリにも登頂に成功し生まれたばかりの日本山岳会の名を世界に轟かした。
日清戦争の勝利も日本山岳会の発展に貢献した。
莫大な賠償金を使い、国内の鉄道網、港湾網の整備、産業振興に使われ飛躍的に国力が増大。
その富は給与の形となって国民にばらまかれ、時間と金に余裕のある中産階級が生まれた。
彼らが日本の各所に生まれたことにより、文化レベルと産業の効率化が進み日本の国力は更に豊かになり急激な軍備拡張を支えた。
それでもなお余裕がありこうして山に親しみ山岳会が生まれる素地を作り上げ、登山は国民の余暇になりつつある。
そのため測量官の柴崎より腕はよい。
観測のため天気の安定した夏場に赴く測量官より雪で閉ざされ、悪天候に襲われる中でも進んでゆく彼らの技術が上なのは当然だった。
大半が一年志願兵を経て任官した、にわかの士官であったが、ひるむことなく悪天候の中、深い雪をかき分けて活躍する彼ら。
その姿を見ていては士官学校出身者も黙っていることはできず発奮して山岳での行軍行動向上に全力を注いだ。
おかげで夜間にもかかわらず、連隊は迅速に満州の山々を踏破していた。
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